大脳の聴覚野における周波数へのチューニングは再帰性の神経回路の抑制により制御される
加藤紘之・Jeffry S. Isaacson
(米国California大学San Diego校Department of Neurosciences)
email:加藤紘之
DOI: 10.7875/first.author.2017.071
Network-level control of frequency tuning in auditory cortex.
Hiroyuki K. Kato, Samuel K. Asinof, Jeffry S. Isaacson
Neuron, 95, 412-423.e4 (2017)
側方抑制はニューロンにおいて感覚刺激へのチューニングの精度を高める機構として広く知られている.この機構は,おのおののニューロンのうけとる抑制性シナプス入力が興奮性シナプス入力よりも広いチューニングをもつことにより実現されると考えられてきた.しかしながら,大脳の1次聴覚野においては抑制性入力と興奮性入力のチューニングの一致が報告されており,この領域における側方抑制の有無は議論になっていた.この研究においては,Ca2+イメージング法およびホールセル記録法を覚醒したマウスに適用することにより,1次聴覚野の側方抑制はこれまで考えられてきたものとは異なる機構をもつことを明らかにした.すなわち,至適ではない周波数の音による刺激は,抑制性入力の増加ではなく,興奮性入力および抑制性入力を同時に低下させることによりニューロンの発火を阻害した.これは,抑制性ニューロンの神経活動が,再帰性の神経回路の抑制を介して局所の神経回路の全体としての活動のレベルを低下させ,おのおののニューロンの発火を間接的に制御することを意味した.これらの結果から,高い再帰性をもつ大脳皮質のような神経回路においては,ニューロンの神経活動は周囲のニューロンへの直接の入力よりも,多数のシナプスを介した間接的な影響により神経回路の活動のレベルを制御するというモデルが支持された.
脳における感覚情報の処理の第1歩は,感覚刺激をマッピングして外界を脳の内部に表現することである.このマッピングにおいて,情報を表現する素子としてはたらくのが個々のニューロンである.外界のより正確な表現のためには,個々のニューロンが狭く限定された固有の感覚刺激に対してのみ応答性を示すことが重要であり,このことは,写真を用いて視覚情報を正確に表現するためには十分に小さな画像素子が必要であることと同様である.このような感覚刺激への狭いチューニングを実現する機構の代表的なものが側方抑制である1).側方抑制とは,特定の感覚刺激に応答したニューロンが,周囲の抑制性ニューロンの活性化を介して,その感覚刺激への応答性の弱いほかのニューロンの神経活動を阻害する現象である.多数のニューロンが互いに側方抑制をおよぼしあう結果として,それぞれのニューロンは固有の至適な感覚刺激に対してのみ応答するが,それ以外の感覚刺激からは抑制をうける.従来のモデルにおいて,この現象は個々のニューロンのうけとる抑制性シナプス入力が興奮性シナプス入力よりも広いチューニングをもつことにより実現されると解釈されてきた2,3)(図1).
しかしながら,大脳の聴覚野においては側方抑制の機構,さらには,その存在さえもが議論になってきた.聴覚野の個々のニューロンは特定の周波数の音声だけに応答を示すことが知られており,その選択性を高めるために側方抑制が寄与すると予想されていた4,5).ところが,麻酔した動物においてホールセル記録法を用いて個々のニューロンのうけとるシナプス入力を測定した実験においては,興奮性シナプス入力と抑制性シナプス入力の周波数へのチューニングはほぼ完全に一致することがくり返し報告されている6-8).これらの実験の結果は,広い抑制性シナプス入力によりニューロンの神経活動が阻害されるという仮説とは一致しないことから,大脳の聴覚野において側方抑制は大きな役割をもたないのではないかと問題が提起されていた.
この研究においては,実際に大脳の聴覚野において側方抑制が個々のニューロンにどのような影響をおよぼすのかを体系的に評価するため,覚醒したマウスにおける生体内Ca2+イメージング法により1000をこえる数のニューロンにおいて周波数へのチューニングを測定した.さらに,覚醒したマウスに生体内ホールセル記録法および光遺伝学的な手法を適用することにより,興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力が至適な周波数あるいは至適でない周波数に応じてどのような動態を示すのか,側方抑制の機構をより詳細に再検討した.
これまで,大脳の聴覚野における周波数へのチューニングの測定においては,ほとんどの場合,麻酔した動物が用いられてきた.しかしながら,筆者らによる以前の研究により,1次聴覚野における音の情報の表現は覚醒時と麻酔時とでは大きく異なることが明らかにされた9)(新着論文レビュー でも掲載).そこで,覚醒した動物において周波数へのチューニングを測定するため,GCaMP6sを発現するマウスと2光子励起顕微鏡を用いたCa2+イメージング法により,1次聴覚野の第2層/第3層における1000以上もの錐体ニューロンの神経活動を観察した.マウスにさまざまな周波数あるいは音量の純音を聞かせたところ,多くの錐体ニューロンにおいて狭い範囲の周波数による選択的な活性化が観察された.これらのニューロンの多くは至適な周波数の音により活性化されるだけでなく,至適ではない周波数の音により自発的な発火が阻害された.この結果から,覚醒した動物の聴覚野においては側方抑制がチューニングを制御することが示された.
1次聴覚野における側方抑制の存在は,おのおののニューロンのうけとる興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力のチューニングが一致するという過去の報告とは矛盾するようにみえた.そこで,この実験系において側方抑制がどのような機構に起因するのかを検討するため,覚醒したマウスにおけるホールセル記録法によりシナプス入力のチューニングを詳細に解析した.頭部を固定したマウスにおいて,ブラインド記録法を用いて1次聴覚野の第2層/第3層のニューロンからホールセル記録を取得し,膜電位を-70 mVに固定することにより興奮性シナプス入力を,+20 mVに固定することにより抑制性シナプス入力を測定した.その結果,過去の麻酔した動物における報告とは異なり,覚醒したマウスにおいては音の刺激をあたえない定常な状態においてもニューロンは自発的なシナプス入力をきわめて高頻度に継続してうけていた.したがって,覚醒した状態においては大脳皮質の神経回路はつねに高いレベルの自発的な神経活動を維持することがわかった.さまざまな周波数あるいは音量の純音をマウスに提示して音の刺激に依存的なシナプス入力のチューニングを測定した結果,過去の麻酔した動物における報告と同様に6-8),それぞれのニューロンの至適な周波数の周辺においては大きなシナプス入力が観察され,抑制性シナプス入力のチューニングは興奮性シナプス入力のチューニングとほぼ一致した.ところが,至適ではない周波数の音の刺激をマウスに提示したところ,自発的な興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力がともに定常な状態より低いレベルにまで減少した(図2).この結果は,従来の側方抑制のモデルにおいて想定されてきた抑制性シナプス入力の増加とはまったく異なっていた.この実験の結果から,側方抑制においては局所の神経回路の全体としての活動のレベルが低下し,興奮性ニューロンおよび抑制性ニューロンの神経活動がともに抑制されること(“ネットワーク抑制”)が示された.
側方抑制において興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力がともに阻害されるというネットワーク抑制は,大脳皮質のどのような性質により可能になるのだろうか.この結果を説明するひとつの有力な仮説が抑制-安定化ネットワーク(inhibition-stabilized network:ISN)モデルである10-12).このモデルは,高い再帰性をもつ大脳皮質や海馬のような神経回路においては,抑制性ニューロンへの側方からの入力は局所の神経回路における活動のレベルを間接的に低下させ,抑制性ニューロンそれ自体の神経活動も逆説的に低下させるというものである.そこで,聴覚野の神経回路が抑制-安定化ネットワークとして機能するかどうかを検討するため,光遺伝学的な手法を用いて抑制性ニューロンを操作し,神経回路の逆説的な挙動が観察されるかどうか解析した.抑制性ニューロンに選択的にeNpHR3を発現させたマウスにおいては光の照射により抑制性ニューロンに対し人工的な抑制性入力をあたえることができる.そこで,1次聴覚野の錐体ニューロンからホールセル記録をとりつつ光を照射したところ,抑制性ニューロンを光遺伝学的に抑制しているにもかかわらず,興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力の増加が観察された.この結果から,抑制-安定化ネットワークにおける逆説的な神経回路の挙動が強く支持された.
以上の結果を考慮すると,覚醒したマウスにおける側方抑制は,1)抑制性ニューロンに対し側方からの入力がくわわる,2)抑制性ニューロンの一時的な活性化により興奮性ニューロンが抑制される,3)興奮性ニューロンの形成する再帰性の神経回路が阻害され,結果として,局所の神経回路の全体としての活動のレベルが低下する,4)興奮性ニューロンおよび抑制性ニューロンの神経活動がともに低下した新たな平衡状態に達する,という段階をへて実現されると結論づけられた.高い再帰性をもつ大脳皮質のような神経回路においては,抑制性ニューロンの神経活動は,周囲のニューロンへの直接の入力よりも,多数のシナプスを介した間接的な影響により神経回路の活動のレベルを制御すると考えられた.
この研究において,大脳の聴覚野の側方抑制に関して互いに矛盾するとして議論されてきた電気生理学的な手法による過去の知見が,側方抑制の新たな機構により統一して説明されうることが明らかにされた.筆者らの実験は,大脳の聴覚野における側方抑制の存在4,5),および,至適な周波数の周辺においておのおののニューロンのうけとる興奮性シナプス入力と抑制性シナプス入力のチューニングの一致6-8),といういずれの結果をも再現した.しかしながら,これら過去の報告においてみおとされていたのは,至適な周波数から大きくはずれた音の刺激により興奮性および抑制性の自発的なシナプス入力がともに阻害されるというネットワーク抑制の存在であった.直接的な抑制性入力の増加ではなく,再帰性の神経回路の抑制を介して間接的に興奮性入力を減少させるというこの機構は,過去の報告を矛盾なく説明するだけでなく,大脳皮質における神経回路の作動機構を考えるうえで重要な示唆をあたえるものである.
高い再帰性をもつ大脳皮質のような神経回路においては,ニューロンは直接的なシナプス入力だけでなく,連鎖的につながる多数のシナプスを介した間接的な影響によっても周囲のニューロンの神経活動を制御しうる.この研究において明らかにされたネットワーク抑制は,覚醒した動物の大脳の聴覚野においては後者が前者をうわまわることを示しており,神経回路の作動モデルを構築するためにはネットワークの全体を考慮しなければならないことを強く示唆した.とくに,光遺伝学的な手法により抑制性ニューロンを阻害したつもりであっても,実際には,抑制性ニューロンの神経活動を逆説的に高進しうるという実験の結果は,神経回路の特定のニューロンを操作する光遺伝学的な実験の解釈に対して強く注意を喚起する.将来的には,このようなネットワークのレベルにおける挙動が複雑な音声情報の抽出にどのように役だつのか,さらに,1次聴覚野だけでなく高次の聴覚野をも含めた大きなネットワークはどのような挙動を示すのか,より包括的な検討を進めていきたい.
略歴:2008年 東京大学大学院医学系研究科博士課程 修了,同年 同 博士研究員,2010年 米国California大学San Diego校 博士研究員を経て,2017年より米国North Carolina大学Chapel Hill校Assistant Professor.
研究テーマ:複雑な音声パターンの抽出を可能にする大脳の聴覚野における神経回路の機構.
Jeffry S. Isaacson
米国California大学San Diego校Professor.
研究室URL:http://isaacsonlab.net
? 2017 加藤紘之・Jeffry S. Isaacson Licensed under CC 表示 2.1 日本
(米国California大学San Diego校Department of Neurosciences)
email:加藤紘之
DOI: 10.7875/first.author.2017.071
Network-level control of frequency tuning in auditory cortex.
Hiroyuki K. Kato, Samuel K. Asinof, Jeffry S. Isaacson
Neuron, 95, 412-423.e4 (2017)
要 約
側方抑制はニューロンにおいて感覚刺激へのチューニングの精度を高める機構として広く知られている.この機構は,おのおののニューロンのうけとる抑制性シナプス入力が興奮性シナプス入力よりも広いチューニングをもつことにより実現されると考えられてきた.しかしながら,大脳の1次聴覚野においては抑制性入力と興奮性入力のチューニングの一致が報告されており,この領域における側方抑制の有無は議論になっていた.この研究においては,Ca2+イメージング法およびホールセル記録法を覚醒したマウスに適用することにより,1次聴覚野の側方抑制はこれまで考えられてきたものとは異なる機構をもつことを明らかにした.すなわち,至適ではない周波数の音による刺激は,抑制性入力の増加ではなく,興奮性入力および抑制性入力を同時に低下させることによりニューロンの発火を阻害した.これは,抑制性ニューロンの神経活動が,再帰性の神経回路の抑制を介して局所の神経回路の全体としての活動のレベルを低下させ,おのおののニューロンの発火を間接的に制御することを意味した.これらの結果から,高い再帰性をもつ大脳皮質のような神経回路においては,ニューロンの神経活動は周囲のニューロンへの直接の入力よりも,多数のシナプスを介した間接的な影響により神経回路の活動のレベルを制御するというモデルが支持された.
はじめに
脳における感覚情報の処理の第1歩は,感覚刺激をマッピングして外界を脳の内部に表現することである.このマッピングにおいて,情報を表現する素子としてはたらくのが個々のニューロンである.外界のより正確な表現のためには,個々のニューロンが狭く限定された固有の感覚刺激に対してのみ応答性を示すことが重要であり,このことは,写真を用いて視覚情報を正確に表現するためには十分に小さな画像素子が必要であることと同様である.このような感覚刺激への狭いチューニングを実現する機構の代表的なものが側方抑制である1).側方抑制とは,特定の感覚刺激に応答したニューロンが,周囲の抑制性ニューロンの活性化を介して,その感覚刺激への応答性の弱いほかのニューロンの神経活動を阻害する現象である.多数のニューロンが互いに側方抑制をおよぼしあう結果として,それぞれのニューロンは固有の至適な感覚刺激に対してのみ応答するが,それ以外の感覚刺激からは抑制をうける.従来のモデルにおいて,この現象は個々のニューロンのうけとる抑制性シナプス入力が興奮性シナプス入力よりも広いチューニングをもつことにより実現されると解釈されてきた2,3)(図1).
しかしながら,大脳の聴覚野においては側方抑制の機構,さらには,その存在さえもが議論になってきた.聴覚野の個々のニューロンは特定の周波数の音声だけに応答を示すことが知られており,その選択性を高めるために側方抑制が寄与すると予想されていた4,5).ところが,麻酔した動物においてホールセル記録法を用いて個々のニューロンのうけとるシナプス入力を測定した実験においては,興奮性シナプス入力と抑制性シナプス入力の周波数へのチューニングはほぼ完全に一致することがくり返し報告されている6-8).これらの実験の結果は,広い抑制性シナプス入力によりニューロンの神経活動が阻害されるという仮説とは一致しないことから,大脳の聴覚野において側方抑制は大きな役割をもたないのではないかと問題が提起されていた.
この研究においては,実際に大脳の聴覚野において側方抑制が個々のニューロンにどのような影響をおよぼすのかを体系的に評価するため,覚醒したマウスにおける生体内Ca2+イメージング法により1000をこえる数のニューロンにおいて周波数へのチューニングを測定した.さらに,覚醒したマウスに生体内ホールセル記録法および光遺伝学的な手法を適用することにより,興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力が至適な周波数あるいは至適でない周波数に応じてどのような動態を示すのか,側方抑制の機構をより詳細に再検討した.
1.覚醒したマウスの1次聴覚野において側方抑制は周波数へのチューニングを制御する
これまで,大脳の聴覚野における周波数へのチューニングの測定においては,ほとんどの場合,麻酔した動物が用いられてきた.しかしながら,筆者らによる以前の研究により,1次聴覚野における音の情報の表現は覚醒時と麻酔時とでは大きく異なることが明らかにされた9)(新着論文レビュー でも掲載).そこで,覚醒した動物において周波数へのチューニングを測定するため,GCaMP6sを発現するマウスと2光子励起顕微鏡を用いたCa2+イメージング法により,1次聴覚野の第2層/第3層における1000以上もの錐体ニューロンの神経活動を観察した.マウスにさまざまな周波数あるいは音量の純音を聞かせたところ,多くの錐体ニューロンにおいて狭い範囲の周波数による選択的な活性化が観察された.これらのニューロンの多くは至適な周波数の音により活性化されるだけでなく,至適ではない周波数の音により自発的な発火が阻害された.この結果から,覚醒した動物の聴覚野においては側方抑制がチューニングを制御することが示された.
2.至適ではない周波数はおのおののニューロンのうけとる興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力を減少させる
1次聴覚野における側方抑制の存在は,おのおののニューロンのうけとる興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力のチューニングが一致するという過去の報告とは矛盾するようにみえた.そこで,この実験系において側方抑制がどのような機構に起因するのかを検討するため,覚醒したマウスにおけるホールセル記録法によりシナプス入力のチューニングを詳細に解析した.頭部を固定したマウスにおいて,ブラインド記録法を用いて1次聴覚野の第2層/第3層のニューロンからホールセル記録を取得し,膜電位を-70 mVに固定することにより興奮性シナプス入力を,+20 mVに固定することにより抑制性シナプス入力を測定した.その結果,過去の麻酔した動物における報告とは異なり,覚醒したマウスにおいては音の刺激をあたえない定常な状態においてもニューロンは自発的なシナプス入力をきわめて高頻度に継続してうけていた.したがって,覚醒した状態においては大脳皮質の神経回路はつねに高いレベルの自発的な神経活動を維持することがわかった.さまざまな周波数あるいは音量の純音をマウスに提示して音の刺激に依存的なシナプス入力のチューニングを測定した結果,過去の麻酔した動物における報告と同様に6-8),それぞれのニューロンの至適な周波数の周辺においては大きなシナプス入力が観察され,抑制性シナプス入力のチューニングは興奮性シナプス入力のチューニングとほぼ一致した.ところが,至適ではない周波数の音の刺激をマウスに提示したところ,自発的な興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力がともに定常な状態より低いレベルにまで減少した(図2).この結果は,従来の側方抑制のモデルにおいて想定されてきた抑制性シナプス入力の増加とはまったく異なっていた.この実験の結果から,側方抑制においては局所の神経回路の全体としての活動のレベルが低下し,興奮性ニューロンおよび抑制性ニューロンの神経活動がともに抑制されること(“ネットワーク抑制”)が示された.
3.覚醒したマウスにおいて1次聴覚野の神経回路は抑制-安定化ネットワークとして機能する
側方抑制において興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力がともに阻害されるというネットワーク抑制は,大脳皮質のどのような性質により可能になるのだろうか.この結果を説明するひとつの有力な仮説が抑制-安定化ネットワーク(inhibition-stabilized network:ISN)モデルである10-12).このモデルは,高い再帰性をもつ大脳皮質や海馬のような神経回路においては,抑制性ニューロンへの側方からの入力は局所の神経回路における活動のレベルを間接的に低下させ,抑制性ニューロンそれ自体の神経活動も逆説的に低下させるというものである.そこで,聴覚野の神経回路が抑制-安定化ネットワークとして機能するかどうかを検討するため,光遺伝学的な手法を用いて抑制性ニューロンを操作し,神経回路の逆説的な挙動が観察されるかどうか解析した.抑制性ニューロンに選択的にeNpHR3を発現させたマウスにおいては光の照射により抑制性ニューロンに対し人工的な抑制性入力をあたえることができる.そこで,1次聴覚野の錐体ニューロンからホールセル記録をとりつつ光を照射したところ,抑制性ニューロンを光遺伝学的に抑制しているにもかかわらず,興奮性シナプス入力および抑制性シナプス入力の増加が観察された.この結果から,抑制-安定化ネットワークにおける逆説的な神経回路の挙動が強く支持された.
以上の結果を考慮すると,覚醒したマウスにおける側方抑制は,1)抑制性ニューロンに対し側方からの入力がくわわる,2)抑制性ニューロンの一時的な活性化により興奮性ニューロンが抑制される,3)興奮性ニューロンの形成する再帰性の神経回路が阻害され,結果として,局所の神経回路の全体としての活動のレベルが低下する,4)興奮性ニューロンおよび抑制性ニューロンの神経活動がともに低下した新たな平衡状態に達する,という段階をへて実現されると結論づけられた.高い再帰性をもつ大脳皮質のような神経回路においては,抑制性ニューロンの神経活動は,周囲のニューロンへの直接の入力よりも,多数のシナプスを介した間接的な影響により神経回路の活動のレベルを制御すると考えられた.
おわりに
この研究において,大脳の聴覚野の側方抑制に関して互いに矛盾するとして議論されてきた電気生理学的な手法による過去の知見が,側方抑制の新たな機構により統一して説明されうることが明らかにされた.筆者らの実験は,大脳の聴覚野における側方抑制の存在4,5),および,至適な周波数の周辺においておのおののニューロンのうけとる興奮性シナプス入力と抑制性シナプス入力のチューニングの一致6-8),といういずれの結果をも再現した.しかしながら,これら過去の報告においてみおとされていたのは,至適な周波数から大きくはずれた音の刺激により興奮性および抑制性の自発的なシナプス入力がともに阻害されるというネットワーク抑制の存在であった.直接的な抑制性入力の増加ではなく,再帰性の神経回路の抑制を介して間接的に興奮性入力を減少させるというこの機構は,過去の報告を矛盾なく説明するだけでなく,大脳皮質における神経回路の作動機構を考えるうえで重要な示唆をあたえるものである.
高い再帰性をもつ大脳皮質のような神経回路においては,ニューロンは直接的なシナプス入力だけでなく,連鎖的につながる多数のシナプスを介した間接的な影響によっても周囲のニューロンの神経活動を制御しうる.この研究において明らかにされたネットワーク抑制は,覚醒した動物の大脳の聴覚野においては後者が前者をうわまわることを示しており,神経回路の作動モデルを構築するためにはネットワークの全体を考慮しなければならないことを強く示唆した.とくに,光遺伝学的な手法により抑制性ニューロンを阻害したつもりであっても,実際には,抑制性ニューロンの神経活動を逆説的に高進しうるという実験の結果は,神経回路の特定のニューロンを操作する光遺伝学的な実験の解釈に対して強く注意を喚起する.将来的には,このようなネットワークのレベルにおける挙動が複雑な音声情報の抽出にどのように役だつのか,さらに,1次聴覚野だけでなく高次の聴覚野をも含めた大きなネットワークはどのような挙動を示すのか,より包括的な検討を進めていきたい.
文 献
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- Kato, H. K., Gillet, S. N. & Isaacson, J. S.: Flexible sensory representations in auditory cortex driven by behavioral relevance. Neuron, 88, 1027-1039 (2015)[PubMed] [新着論文レビュー]
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著者プロフィール
略歴:2008年 東京大学大学院医学系研究科博士課程 修了,同年 同 博士研究員,2010年 米国California大学San Diego校 博士研究員を経て,2017年より米国North Carolina大学Chapel Hill校Assistant Professor.
研究テーマ:複雑な音声パターンの抽出を可能にする大脳の聴覚野における神経回路の機構.
Jeffry S. Isaacson
米国California大学San Diego校Professor.
研究室URL:http://isaacsonlab.net
? 2017 加藤紘之・Jeffry S. Isaacson Licensed under CC 表示 2.1 日本