ライフサイエンス新着論文レビュー

パターン解析により明らかにされた脳における価値表象の普遍性

近添 淳一
(米国Cornell大学College of Human Ecology,Department of Human Development)
email:近添淳一
DOI: 10.7875/first.author.2014.107

Population coding of affect across stimuli, modalities and individuals.
Junichi Chikazoe, Daniel H. Lee, Nikolaus Kriegeskorte, Adam K. Anderson
Nature Neuroscience , 17, 1114-1122 (2014)




要 約


 自然界においても人間の社会環境においても,複数の選択肢のなかから最良のものを選び出すためには,個体は対象の価値を評価し比較する必要がある.しかし,そのような対象は必ずしも同じカテゴリーあるいは同じ感覚モダリティに属するとはかぎらない.神経科学と経済学との融合領域である神経経済学においては,あらゆる外的な刺激を変換して比較の可能なものとして扱う“共通通貨”の概念が提唱されているが,どの脳領域においてどのようなフォーマットで表象されるのかは明らかにされていない.筆者らは,視覚刺激および味覚刺激を提示中の脳活動の空間的なパターンを調べることにより,前頭眼窩皮質および中部帯状皮質において視覚情報および味覚情報は抽象化され,物理的な特徴とは切り離された“価値”として共通のフォーマットで表象されることを明らかにした.さらに,被験者間推定の手法を用いることにより,この価値表象のフォーマットは被験者のあいだで共通であることを示した.これらの知見は,脳における価値表象の理解に寄与するのみならず,主観的な価値を客観的に測定することが可能であることを示唆しており,気分障害や統合失調症の病状の評価や治療効果の判定における客観的な指標としての利用など,臨床応用の可能性を拓くものである.

はじめに


 われわれが複数の選択肢のなかから行動を決定するためには,対象の主観的な価値を比較する必要がある.このような価値の比較は,必ずしも同じカテゴリーあるいは同じ感覚モダリティの対象のあいだで行われるとはかぎらない.たとえば,週末の昼,何をして過ごすかを決めるとき,美術館に絵を見に行くという選択肢と,ケーキを食べに行くという選択肢が心に浮かんだとする.そのとき,美術館で体験するであろう視覚的な経験の価値と,ケーキから得られる味覚的な経験の価値とを思い描き(表象し),これらを直接比較する必要がある.このような感覚モダリティの異なる刺激のあいだの価値の比較には,それらを共通のフォーマットで表象する脳領域の存在が必要である.ヒト1) およびサル2) における先行研究から,前頭眼窩皮質が価値表象の中心的な領域であることが示唆されているが,この脳領域における表象の内容や様式が感覚モダリティの違いをこえた普遍的なものであるかどうかは明らかではない.たとえば,愛らしい赤ん坊の絵を見たときの脳活動と,砂糖菓子を口にしたときの脳活動は,類似したものになりうるだろうか? そのような類似性が存在するとすれば,それはどの脳領域においてみられるものなのか? この研究においては,同一の被験者に視覚刺激実験および味覚刺激実験してもらい,視覚刺激および味覚刺激を提示中の被験者の脳活動を機能的MRI法により計測した.これらの実験内および実験間における脳活動のパターンの類似性を調べることにより,価値表象の普遍性を,物理的な特徴における非依存性,感覚モダリティにおける非依存性,被験者に特異的な反応における非依存性の3つのレベルにおいて調べた.

1.前頭眼窩皮質においては正の価値あるいは負をコードするニューロンが混在している


 サルにおける電気生理学的な研究から,刺激がどれだけ好ましいものであるか(正の価値)あるいはどれだけ不快なものであるか(負の価値)をコードするニューロンは前頭眼窩皮質において混在していることが知られている3).ヒトの前頭眼窩皮質においても同様のニューロンの分布がみられるとすれば,機能的MRI法におけるシグナルもそれを反映したものになるはずである.しかしながら,従来,ヒトにおいては前頭眼窩皮質の外側部が負の価値を,内側部が正の価値をコードするとの考え4) が支配的であり,これが実験的に検証されたことはなかった.そこでこの研究では,価値指標を分解して正の価値の大きさと負の価値の大きさに2次元化したうえで,これらがそれぞれどの脳領域の活動と関連するかを調べた.その結果,脳内でもっとも鋭敏に価値情報に反応する領域は,正の価値および負の価値のいずれにおいても前頭眼窩皮質の内側部であることが示された(図1).さらに,前頭眼窩皮質の内側部において,正の価値あるいは負の価値に反応する領域は広域にわたり重複していることが示された.これは,さきに述べたサルにおける先行研究の結果と整合的であった.この結果から,前頭眼窩皮質の内側部は価値情報の処理において中心的な領域であると考えられたと同時に,この領域の脳活動の平均値や絶対値からは価値情報を解読することは困難であることが示された.そこで,おのおのの脳画素の情報を個別に扱う解析法ではなく,複数の脳画素により形成される空間的なパターンを解析することにより,価値情報の解読を試みた.




2.視覚刺激の視覚的な特徴,カテゴリー,価値の脳における表象


 価値表象を調べることのむずかしさのひとつは,純粋な価値そのものを対象にすることができないことにある.事物の価値は視覚的な特徴やカテゴリーの情報といった付随的な多次元の情報とともに表象されているので,価値表象を調べるためには脳内で表象されている複合的な情報を分解することが必要となる.この研究においては,まずおのおのの視覚刺激によりひき起こされる脳活動の強さを個別に推定し,対象となる領域(たとえば,初期視覚野,腹側側頭皮質,前頭眼窩皮質)における脳活動の空間的なパターンの類似性を相関係数の計算によりもとめ,脳活動から推定されるおのおのの視覚刺激のあいだの距離の指標として用いた.刺激のあいだの距離は多くの次元をもちうる.視覚的な特徴(エッジの数,明るさ,コントラストなど),カテゴリー(生物と無生物の区別),価値(正の価値あるいは負の価値)といった特性の類似度は,脳活動パターンの類似度に反映されると考えられた5).そこで,一般線形モデルにもとづく重回帰分析を用いて,脳活動における類似度をおのおのの特性の類似度の寄与度に分解した(図2).この解析の結果,初期視覚野および腹側側頭皮質は視覚的な特徴を,腹側側頭皮質はカテゴリーの情報を,前頭眼窩皮質は価値情報を,コードすることが明らかになった.前頭眼窩皮質において,価値以外の情報による寄与を取り除いたうえでもなお価値情報の寄与が認められたという結果は,この領域が視覚刺激の物理的な特徴によらない,抽象的な価値を表象する領域であることを示した.




3.前頭眼窩皮質は感覚モダリティをこえた価値を表象する


 前頭眼窩皮質が視覚刺激6) や味覚刺激7) の価値表象にかかわりをもつことは知られていたが,その表象の内容や様式が異なる感覚モダリティのあいだで共通であるかどうかは明らかにされていなかった.そこでまず,味覚刺激実験のデータに対しさきに述べた類似度解析を施すことにより味覚刺激の価値表象を調べたところ,前頭眼窩皮質の活動パターンは味覚刺激の価値表象に関連することが明らかになった.ここまでの結果から,前頭眼窩皮質の活動パターンは視覚刺激間の比較,あるいは,味覚刺激間の比較において,価値の類似度を反映したものになることが明らかにされた.しかしこれは,異なる感覚モダリティから入力された価値表象の内容やその様式が前頭眼窩皮質において同一であるということを必ずしも意味しない.視覚には視覚の,味覚には味覚の,独自の価値の様式がありうるからである.そこで,視覚刺激・味覚刺激間の表象の様式の相同性を調べることを目的に,視覚刺激によりひき起こされた脳活動のパターンと,味覚刺激によりひき起こされた脳活動のパターンの類似度を直接的に計算し,これと価値との関係を調べた.その結果,感覚モダリティの違いがあっても,価値の類似している刺激,たとえば,赤ん坊の写真(視覚刺激)と甘い水(味覚刺激)とのあいだでは,類似した前頭眼窩皮質の活動パターンのみられることが明らかになった.これは,前頭眼窩皮質における価値表象は感覚モダリティによらない抽象的なものであることを意味している.味覚刺激をともなわない主観的な経験が“ほろ苦い”“甘酸っぱい”“辛口”といった味覚的な表現により形容されることが可能であるのは,この前頭眼窩皮質により表象される抽象的な価値の感覚モダリティに対する非依存性によるのかもしれない.

4.視覚および味覚の処理領域において価値表象の構造が存在する


 ここまでの解析は,あらかじめ定められた関心領域(初期視覚野,腹側側頭皮質,前頭眼窩皮質)を対象としたものだった.これらの脳領域のほかにも価値表象の存在する可能性,および,領域の内部の小領域に価値表象の存在する可能性について確かめるため,すべての脳領域を対象にサーチライト解析を行った8).その結果,前頭眼窩皮質の内側部および外側部,中部帯状皮質に感覚モダリティに非依存的な価値を表象する小領域が存在することが明らかになった.さらに,腹側視覚路に視覚刺激の価値のみを表象する領域が,初期味覚野に味覚刺激の価値のみを表象する領域が,存在することも明らかになった.これらの結果は,価値表象が価値情報の処理に特化した脳領域のみに存在するのではなく,感覚処理を行う脳領域にすでに存在していることを示しており,われわれの知覚が事物の主観的な価値に影響をうけていることを示唆した.

5.価値表象の構造は被験者のあいだで共通している


 感覚モダリティをまたぐような比喩表現が個人の特殊な経験の形容にとどまらず社会全体で共有されるためには,主観的な価値表象の構造が個人のあいだで共通のものであることが必要である.そこで,被験者の脳内の表象の構造をほかの被験者の脳内の表象の構造から推定する被験者間推定を,個別の事物を対象とした個別表象のレベル,および,抽象化された価値表象のレベルで行った.その結果,個別表象の被験者のあいだでの共通の構造は腹側側頭皮質において,価値表象の被験者間での共通の構造は前頭眼窩皮質において見い出された.個別表象のレベルでの被験者間推定の結果はいくつかの先行研究により報告されていたが9,10),主観的な価値表象のレベルで被験者間推定を行い被験者のあいだで構造が共有さていれることを示したのは,この研究の新奇な部分であった.この方法により,価値表象のフォーマットがほかの被験者と比べてどの程度異なるかを客観的な指標として測定することができる.価値表象を対象とした被験者間推定は,主観的な経験や価値の表象が障害される気分障害や統合失調症などの疾患において,病状の評価や治療効果の判定のバイオマーカーとして用いることができるかもしれない.

おわりに


 神経経済学の分野では“共通通貨”(common currency)という言葉により感覚モダリティをこえた価値表象の存在を仮定しているが,異なるモダリティのあいだで価値の類似した刺激が類似した空間的な脳活動パターンをひき起こすことを示したのは,この研究が最初である.一般に,特定の脳領域の活動をとらえて“Aという機能に関係する領域の活動がBという課題でも観察された.これは,課題Bにおいて機能Aがかかわるという証拠である”という逆推論のロジックを適用することは,脳活動のシグナルの平均値や絶対値を指標として用いるかぎり適切ではない.この研究において示したように,同じ領域の脳活動が正の価値および負の価値のように正反対の指標を反映することがありうるからである.しかしこの研究は,これを空間的パターンの類似度としてとらえることにより,シグナルの平均値では区別が不可能な脳領域においても区別が可能であることを示した.これは,価値表象に“どの”脳領域がかかわるかを調べるだけでは不十分で,“どのように”価値が表象されるかを調べることが重要であることを示唆している.今後の研究において,このような抽象的な価値表象が判断にどのような影響を及ぼすかを明らかにしていきたい.

文 献



  1. Anderson, A. K., Christoff, K., Stappen, I. et al.: Dissociated neural representations of intensity and valence in human olfaction. Nat. Neurosci., 6, 196-202 (2003)[PubMed]

  2. Padoa-Schioppa, C. & Assad, J. A.: Neurons in the orbitofrontal cortex encode economic value. Nature, 441, 223-226 (2006)[PubMed]

  3. Morrison, S. E. & Salzman, C. D.: The convergence of information about rewarding and aversive stimuli in single neurons. J. Neurosci., 29, 11471-11483 (2009)[PubMed]

  4. O’Doherty, J., Kringelbach, M. L., Rolls, E. T. et al.: Abstract reward and punishment representations in the human orbitofrontal cortex. Nat. Neurosci., 4, 95-102 (2001)[PubMed]

  5. Kriegeskorte, N. & Kievit, R. A.: Representational geometry: integrating cognition, computation, and the brain. Trends Cogn. Sci., 17, 401-412 (2013)[PubMed]

  6. Schmitz, T. W., De Rosa, E. & Anderson, A. K.: Opposing influences of affective state valence on visual cortical encoding. J. Neurosci., 29, 7199-7207 (2009)[PubMed]

  7. Small, D. M., Gregory, M. D., Mak, Y. E. et al.: Dissociation of neural representation of intensity and affective valuation in human gustation. Neuron, 39, 701-711 (2003)[PubMed]

  8. Kriegeskorte, N., Goebel, R. & Bandettini, P.: Information-based functional brain mapping. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, 3863-3868 (2006)[PubMed]

  9. Haxby, J. V., Guntupalli, J. S., Connolly, A. C. et al.: A common, high-dimensional model of the representational space in human ventral temporal cortex. Neuron, 72, 404-416 (2011)[PubMed]

  10. Raizada, R. D. & Connolly, A. C.: What makes different people’s representations alike: neural similarity space solves the problem of across-subject fMRI decoding. J. Cogn. Neurosci., 24, 868-877 (2012)[PubMed]





著者プロフィール


近添 淳一(Junichi Chikazoe)
略歴:2007年 東京大学大学院医学系研究科 修了,同 助手,同 特任講師,2010年 カナダToronto大学 博士研究員を経て,2013年より米国Cornell大学 博士研究員.
研究テーマ:情動と認知の双方向的な相互作用.
関心事:脳機能画像の臨床応用,認知行動療法,神経経済学.

© 2014 近添 淳一 Licensed under CC 表示 2.1 日本