味覚感覚ニューロンの感受性の変異がゴキブリに毒餌を忌避させる
勝又綾子・Coby Schal
(米国North Carolina State大学Department of Entomology)
email:勝又綾子
DOI: 10.7875/first.author.2013.081
Changes in taste neurons support the emergence of an adaptive behavior in cockroaches.
Ayako Wada-Katsumata, Jules Silverman, Coby Schal
Science, 340, 968-971 (2013)
駆除用の毒餌により強い淘汰圧をうけたチャバネゴキブリの個体群では,毒餌の甘味づけに使われるグルコースの摂食を忌避するゴキブリが生き残る.結果的に,その個体群では毒餌の忌避の適応行動が発達する.筆者らは,グルコースを忌避するゴキブリには,本来はこの種の摂食行動をひき出すグルコースの味覚情報処理系に変異があるという仮説をたてた.グルコースを含む複数の味物質を用い,野生型の系統およびグルコース忌避性の系統において摂食行動と口器の味覚感覚ニューロンの電気生理学的な応答を比較したところ,2つの系統の摂食行動をひき出すフラクトースへの甘味感覚ニューロンの応答に差はなく,また,忌避行動をひき出すカフェインへの苦味感覚ニューロンの応答にも差はなかった.一方,グルコースは野生型の系統においてフラクトースと同様に甘味感覚ニューロンの応答をひき出したが,グルコース忌避性の系統では甘味感覚ニューロンにくわえ苦味感覚ニューロンの応答をもひき出した.苦味感覚ニューロンのグルコースへの感受性は野外で採集したグルコース忌避性のゴキブリでも確認された.この研究の結果は,野生型のゴキブリはグルコースを摂食刺激物質として情報処理するのに対し,グルコース忌避性のゴキブリはグルコースを受容する際に摂食促進および摂食阻害という対立する情報を感覚ニューロンを介して処理することを示した.また,グルコースの濃度に依存して甘味感覚ニューロンではなく苦味感覚ニューロンの応答が強まったことからも,グルコースを忌避する行動の根幹には苦味感覚ニューロンによるグルコース感受性の獲得が関与すると考えられた.急激な環境の変化にともないチャバネゴキブリ個体群が急速に適応行動を発達させる過程には,この種の味覚感覚系の多型性が重要な役割をしていると考えられた.
動物の感覚系は,食物や産卵場所の探索をはじめ,コミュニケーションや異なる種との相互作用において必要不可欠である.種それぞれの感覚の特性は環境に適応して発達したと考えられている.昆虫の化学感覚系はこれまでモデル生物であるショウジョウバエやカイコにおいてよく調べられてきた.しかし,環境の変化にともない野外の昆虫の個体群が新しい適応行動を発達させたとき,その陰で行動の解発をささえる感覚系がどのように変更されたかを説明する研究例は少ない.
チャバネゴキブリは世界的な害虫で,1980年代半ばから,駆除のために毒餌がよく用いられている1).毒餌は殺虫成分にゴキブリの食いつきをよくする甘味がくわえられており,摂食を刺激する物質の本体はグルコースやフラクトースである.しかし,毒餌を経験したゴキブリの個体群は数年のうちに毒餌の摂食を忌避する新しい行動特性を発達させた.この忌避行動は毒餌に添加されているグルコースによりひき起こされ(グルコース忌避性),遺伝的に次世代へとひき継がれる2).グルコース忌避性のゴキブリはグルコースを好んで摂食する野生型のゴキブリに比べ,幼虫の発育や繁殖においてやや遅延が認められるが,グルコースを含む毒餌の淘汰圧のもとではその行動の特性に根ざした決定的な適応性を発揮する3,4).
筆者らは,グルコース忌避性ゴキブリの行動特性はグルコースを検知する感覚系の変異にもとづくのではないかと考えた.そこで,多くの昆虫においてグルコースの化学受容を担う味覚感覚系に着目した.一般に,昆虫の口器や触角には毛状のクチクラ構造をもつ味覚感覚器が存在し,味覚感覚毛とよばれている(図1).味覚感覚毛は先端の部分に1つの味孔が開いており,グルコースやカフェインなど外界の水溶性の化学物質は味孔から味覚感覚毛へ入り,内部に存在する2~4個で構成される味覚感覚ニューロンにより受容される.それぞれの味覚感覚ニューロンは,糖やアミノ酸などの栄養素を受容する甘味感覚ニューロン,苦味物質を受容する苦味感覚ニューロン,また,水の受容や低濃度の塩に応答するための感覚ニューロンに機能が特化しており,樹状突起に発現している味覚受容体にて適切な基質が受容されると,味覚感覚ニューロンは固有の波形をもつ活動電位を発生させる(図1).このため,それぞれの味覚感覚毛の複数の味覚感覚ニューロンを同時に刺激し,発生した活動電位の波形を電気生理学的に解析することで,どの感覚ニューロンがどの基質に応答したのかを区別することができる5).活動電位は感覚ニューロンの軸索をとおして中枢神経(脳)の異なる領域へと送られ,脳はこの入力情報を統合して行動を決定する.甘味感覚ニューロンからの入力は摂食行動の解発,苦味感覚ニューロンからの入力は摂食忌避の解発に寄与すると考えられている6,7)(図2).
筆者らは,グルコースを含む複数の味物質を用い,野生型のゴキブリおよびグルコース忌避性のゴキブリの口器の味覚感覚ニューロンの感受性を電気生理学的に調べ,その結果,グルコースは野生型のゴキブリにおいては甘味感覚ニューロンのみを刺激するのに対し,グルコース忌避性のゴキブリにおいてはグルコースが甘味感覚ニューロンだけでなく苦味感覚ニューロンも刺激することを発見した.そして,グルコース忌避性のゴキブリの苦味感覚ニューロンにグルコース受容体が発現している可能性のあることを示した.
これまで,チャバネゴキブリの味覚感覚についてはほとんど調べられていなかった8).そこで,グルコースを含め,多くの動物において一般的な摂食刺激物質あるいは摂食阻害物質である糖や苦味物質20種を用いて,野生型の系統における摂食行動を観察した.うち10種の化合物を用いた電気生理学的な実験を行い,摂食促進および摂食忌避にかかわる味覚感覚ニューロンの感受性を明らかにした.この研究では,行動実験および電気生理学的な実験ともに,口器のパラグロッサとよばれる部位の味覚感覚毛を用いた(図1).これは,野生型の系統におけるグルコースの摂食行動,および,グルコース忌避性の系統におけるグルコースの忌避行動が,パラグロッサへの刺激により解発されるためである9).実験の結果,野生型の系統のパラグロッサの味覚感覚毛には4つの感覚ニューロンが含まれることがわかった.そのうち2つは基質への特異性を示し,グルコースやフラクトースなど摂食刺激物質にのみ応答する甘味感覚ニューロン,および,カフェインなど摂食阻害物質にのみ応答する苦味感覚ニューロンであった.残り2つの感覚ニューロンには基質特異性がなく,浸透圧への感受性などを示した.このことから,摂食促進あるいは摂食忌避のための基質の情報選別は,甘味感覚ニューロンおよび苦味ニューロンの2つの感覚ニューロンによりまかなわれていると考えられた.そして,野生型の系統では,グルコースの味情報がフラクトースやスクロースなどと同様に甘味感覚ニューロンにおいて処理され,摂食行動の解発に寄与すると考えられた(図3).
グルコース忌避性のゴキブリにおけるグルコース感受性を調べるため,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とで戻し交配を行い,野生型の系統の試験で用いた同じ化合物を用いて,戻し交配の系統における摂食行動および味覚感覚ニューロンの電気生理学的な応答を調べた.フラクトースなど摂食刺激物質またカフェインなど摂食阻害物質に対する行動と4つの味覚感覚ニューロンの感受性には,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とのあいだに差はなかった.このことから,感覚ニューロンの基本構成,感覚ニューロンにおけるフラクトースやカフェインの受容系,および,感覚ニューロンが基質に応答してから行動の解発までの情報処理の過程は,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とのあいだで変わらないと考えられた(図3).一方,グルコースは野生型の系統の摂食刺激物質として甘味感覚ニューロンのみを興奮させたのに対し,グルコース忌避性の系統ではグルコースが甘味感覚ニューロンだけでなく苦味感覚ニューロンをも興奮させ,摂食の忌避をまねいた.基質特異性のないほかの2つの感覚ニューロンの応答は,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とで差はなかった.つまり,グルコース忌避性の系統における味覚情報処理系の変異は,グルコースに対する苦味感覚ニューロンの感受性の獲得にあることがわかった.さらに,グルコース忌避性の系統の甘味感覚ニューロンは野生型の系統の甘味感覚ニューロンに比べ,グルコースに対する応答が非常に弱いことがわかった.これらのことから,グルコース忌避性の系統では味覚感覚ニューロンのレベルにおいてグルコースの情報を甘味より苦味として処理するため,忌避行動が解発されると考えられた(図3).
グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンにグルコースの受容部位が存在することについて,それがどのような受容体であるのか,少なくとも2つの仮説をたてることができた.ひとつは,本来は甘味感覚ニューロンに発現するグルコース受容体がグルコース忌避性の系統では苦味感覚ニューロンにも発現しているというもの,もうひとつは,グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンにある苦味受容体が変異してグルコースを受容するというものである.そこで,グルコースとその誘導体を用いて,基質の構造と行動活性との相関関係,および,基質の構造と味覚感覚ニューロンの応答との相関関係を,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とのあいだで比較した.その結果,野生型の系統においては,グルコースとメチル-α-グルコースは甘味感覚ニューロンを刺激し摂食行動を解発した.メチル-β-グルコースに対しては甘味感覚ニューロンおよび苦味感覚ニューロンは応答せず,摂食促進あるいは摂食忌避の効果はなかった.3-O-メチルグルコースに対しては甘味感覚ニューロンではなく苦味感覚ニューロンが応答し,摂食忌避が解発された.一方,グルコース忌避性の系統では,これらの化合物のいずれもが苦味感覚ニューロンを刺激し摂食忌避をまねいた.この実験でとくに,野生型の系統の甘味感覚ニューロンと苦味感覚ニューロンで識別されないメチル-β-グルコースが,グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンで識別されたことは,グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンに発現するグルコース受容体が,甘味感覚ニューロンに存在するグルコース受容体とは異なる基質特異性をもつことを示した(図3).チャバネゴキブリの化学感覚に寄与するゲノム情報は明らかでないので,この研究では,グルコース受容体の変異の遺伝子レベルでの解析は行わなかったが,現在のところ,2つの仮説のうち,後者が正しい可能性がある.
グルコース忌避性の系統ではグルコースに対する甘味感覚ニューロンの応答が野生型の系統のものより著しく弱かった.この点についても,少なくとも2つの仮説がたてられた.ひとつは,グルコース忌避性の系統の甘味感覚ニューロンのグルコース感受性に変異があるというもの,もうひとつは,グルコース忌避性の系統ではグルコースの受容の際にグルコースに対する甘味感覚ニューロンの正常な応答が抑制されるというものである.これまで,ショウジョウバエや鱗翅目昆虫の幼虫の味覚の研究においては,甘味感覚ニューロンの応答が摂食阻害物質により直接的に,または,苦味感覚ニューロンの応答が摂食阻害物質を受容することにより間接的に,抑制される現象が報告されている10).そこで,後者の仮説を行動実験と電気生理学的な実験で確かめた.野生型の系統とグルコース忌避性の系統におけるフラクトースに対する甘味感覚ニューロンの応答は,フラクトースにカフェインをくわえることで同じ程度に抑制された.一方,グルコースをカフェインの代わりに用いて同様の実験を行ったところ,フラクトースにグルコースをくわえた混合液はフラクトース単独で刺激したときに比べ,野生型の系統では甘味感覚ニューロンの応答を増大させた.グルコース忌避性の系統では甘味感覚ニューロンの応答の低下と苦味感覚ニューロンの興奮をまねいた.このことより,かりにグルコース忌避性の系統の甘味感覚ニューロンがグルコース感受性に変異をもたなくとも,グルコースはカフェインなどの摂食阻害物質と似た機構により甘味感覚ニューロンの応答を抑制する可能性があると考えられた(図3).
実験室での結果を,実際に野外でみられるグルコース忌避性のゴキブリに適用できるかどうか確かめるため,米国の内外の19カ所からゴキブリを採集し,そのうち7カ所からグルコース忌避性のゴキブリを得た.その2カ所のグルコース忌避性ゴキブリ,および,これまで実験室での実験に用いたグルコース忌避性の系統において,グルコース,フラクトース,カフェインを用いた行動実験および電気生理学的な実験を行ったところ,野外で採集したいずれのグルコース忌避性のゴキブリにおいても,実験室での実験においてみられた現象,つまり,苦味感覚ニューロンによるグルコース感受性の獲得と,甘味感覚ニューロンの弱い応答が確認された.このことから,野外で採集したチャバネゴキブリでみられるグルコース忌避性にも,味覚感覚ニューロンの感受性の変異が寄与すると結論づけられた.
この研究では,グルコース忌避性のゴキブリはグルコースおよびグルコース骨格をもつ単糖を苦味感覚ニューロンで受容し情報処理することを示した.苦味感覚ニューロンによるグルコース受容体の獲得がグルコースに対する忌避を促し,その結果,グルコースを含む毒餌を用いた害虫駆除の現場において,ゴキブリの個体群は毒餌を忌避する適応的な行動特性を発達させたと考えられた.
苦味感覚ニューロンがグルコースに対する感受性をもつようになった原因については,少なくとも3つの可能性が考えられた.1つ目は毒餌により変異が生じたというもの,2つ目はチャバネゴキブリの祖先が保有していたグルコース忌避の特性が現在のチャバネゴキブリの個体群のなかに残っていたというもの,3つ目はグルコース忌避性をもつほかの種のゴキブリとチャバネゴキブリとが異種交配したことによりチャバネゴキブリにグルコース忌避性が現われたというものである.今後,これらの仮説は確かめられていくだろう.
略歴:1998年 岩手大学大学院連合農学研究科博士課程 修了,同年 京都工芸繊維大学繊維学部 博士研究員,2005年 京都大学大学院農学研究科 博士研究員を経て,2009年より米国North Carolina State大学 主任研究員.
研究テーマ:昆虫の化学感覚と行動解発の神経機構.
感心事:研究,教育,動物の行動と形態の観察.
Coby Schal
米国North Carolina State大学Professor.
研究室URL:http://www.cals.ncsu.edu/entomology/schal_lab
© 2013 勝又綾子・Coby Schal Licensed under CC 表示 2.1 日本
(米国North Carolina State大学Department of Entomology)
email:勝又綾子
DOI: 10.7875/first.author.2013.081
Changes in taste neurons support the emergence of an adaptive behavior in cockroaches.
Ayako Wada-Katsumata, Jules Silverman, Coby Schal
Science, 340, 968-971 (2013)
要 約
駆除用の毒餌により強い淘汰圧をうけたチャバネゴキブリの個体群では,毒餌の甘味づけに使われるグルコースの摂食を忌避するゴキブリが生き残る.結果的に,その個体群では毒餌の忌避の適応行動が発達する.筆者らは,グルコースを忌避するゴキブリには,本来はこの種の摂食行動をひき出すグルコースの味覚情報処理系に変異があるという仮説をたてた.グルコースを含む複数の味物質を用い,野生型の系統およびグルコース忌避性の系統において摂食行動と口器の味覚感覚ニューロンの電気生理学的な応答を比較したところ,2つの系統の摂食行動をひき出すフラクトースへの甘味感覚ニューロンの応答に差はなく,また,忌避行動をひき出すカフェインへの苦味感覚ニューロンの応答にも差はなかった.一方,グルコースは野生型の系統においてフラクトースと同様に甘味感覚ニューロンの応答をひき出したが,グルコース忌避性の系統では甘味感覚ニューロンにくわえ苦味感覚ニューロンの応答をもひき出した.苦味感覚ニューロンのグルコースへの感受性は野外で採集したグルコース忌避性のゴキブリでも確認された.この研究の結果は,野生型のゴキブリはグルコースを摂食刺激物質として情報処理するのに対し,グルコース忌避性のゴキブリはグルコースを受容する際に摂食促進および摂食阻害という対立する情報を感覚ニューロンを介して処理することを示した.また,グルコースの濃度に依存して甘味感覚ニューロンではなく苦味感覚ニューロンの応答が強まったことからも,グルコースを忌避する行動の根幹には苦味感覚ニューロンによるグルコース感受性の獲得が関与すると考えられた.急激な環境の変化にともないチャバネゴキブリ個体群が急速に適応行動を発達させる過程には,この種の味覚感覚系の多型性が重要な役割をしていると考えられた.
はじめに
動物の感覚系は,食物や産卵場所の探索をはじめ,コミュニケーションや異なる種との相互作用において必要不可欠である.種それぞれの感覚の特性は環境に適応して発達したと考えられている.昆虫の化学感覚系はこれまでモデル生物であるショウジョウバエやカイコにおいてよく調べられてきた.しかし,環境の変化にともない野外の昆虫の個体群が新しい適応行動を発達させたとき,その陰で行動の解発をささえる感覚系がどのように変更されたかを説明する研究例は少ない.
チャバネゴキブリは世界的な害虫で,1980年代半ばから,駆除のために毒餌がよく用いられている1).毒餌は殺虫成分にゴキブリの食いつきをよくする甘味がくわえられており,摂食を刺激する物質の本体はグルコースやフラクトースである.しかし,毒餌を経験したゴキブリの個体群は数年のうちに毒餌の摂食を忌避する新しい行動特性を発達させた.この忌避行動は毒餌に添加されているグルコースによりひき起こされ(グルコース忌避性),遺伝的に次世代へとひき継がれる2).グルコース忌避性のゴキブリはグルコースを好んで摂食する野生型のゴキブリに比べ,幼虫の発育や繁殖においてやや遅延が認められるが,グルコースを含む毒餌の淘汰圧のもとではその行動の特性に根ざした決定的な適応性を発揮する3,4).
筆者らは,グルコース忌避性ゴキブリの行動特性はグルコースを検知する感覚系の変異にもとづくのではないかと考えた.そこで,多くの昆虫においてグルコースの化学受容を担う味覚感覚系に着目した.一般に,昆虫の口器や触角には毛状のクチクラ構造をもつ味覚感覚器が存在し,味覚感覚毛とよばれている(図1).味覚感覚毛は先端の部分に1つの味孔が開いており,グルコースやカフェインなど外界の水溶性の化学物質は味孔から味覚感覚毛へ入り,内部に存在する2~4個で構成される味覚感覚ニューロンにより受容される.それぞれの味覚感覚ニューロンは,糖やアミノ酸などの栄養素を受容する甘味感覚ニューロン,苦味物質を受容する苦味感覚ニューロン,また,水の受容や低濃度の塩に応答するための感覚ニューロンに機能が特化しており,樹状突起に発現している味覚受容体にて適切な基質が受容されると,味覚感覚ニューロンは固有の波形をもつ活動電位を発生させる(図1).このため,それぞれの味覚感覚毛の複数の味覚感覚ニューロンを同時に刺激し,発生した活動電位の波形を電気生理学的に解析することで,どの感覚ニューロンがどの基質に応答したのかを区別することができる5).活動電位は感覚ニューロンの軸索をとおして中枢神経(脳)の異なる領域へと送られ,脳はこの入力情報を統合して行動を決定する.甘味感覚ニューロンからの入力は摂食行動の解発,苦味感覚ニューロンからの入力は摂食忌避の解発に寄与すると考えられている6,7)(図2).
筆者らは,グルコースを含む複数の味物質を用い,野生型のゴキブリおよびグルコース忌避性のゴキブリの口器の味覚感覚ニューロンの感受性を電気生理学的に調べ,その結果,グルコースは野生型のゴキブリにおいては甘味感覚ニューロンのみを刺激するのに対し,グルコース忌避性のゴキブリにおいてはグルコースが甘味感覚ニューロンだけでなく苦味感覚ニューロンも刺激することを発見した.そして,グルコース忌避性のゴキブリの苦味感覚ニューロンにグルコース受容体が発現している可能性のあることを示した.
1.野生型のゴキブリの味覚感覚ニューロンの構成と感受性
これまで,チャバネゴキブリの味覚感覚についてはほとんど調べられていなかった8).そこで,グルコースを含め,多くの動物において一般的な摂食刺激物質あるいは摂食阻害物質である糖や苦味物質20種を用いて,野生型の系統における摂食行動を観察した.うち10種の化合物を用いた電気生理学的な実験を行い,摂食促進および摂食忌避にかかわる味覚感覚ニューロンの感受性を明らかにした.この研究では,行動実験および電気生理学的な実験ともに,口器のパラグロッサとよばれる部位の味覚感覚毛を用いた(図1).これは,野生型の系統におけるグルコースの摂食行動,および,グルコース忌避性の系統におけるグルコースの忌避行動が,パラグロッサへの刺激により解発されるためである9).実験の結果,野生型の系統のパラグロッサの味覚感覚毛には4つの感覚ニューロンが含まれることがわかった.そのうち2つは基質への特異性を示し,グルコースやフラクトースなど摂食刺激物質にのみ応答する甘味感覚ニューロン,および,カフェインなど摂食阻害物質にのみ応答する苦味感覚ニューロンであった.残り2つの感覚ニューロンには基質特異性がなく,浸透圧への感受性などを示した.このことから,摂食促進あるいは摂食忌避のための基質の情報選別は,甘味感覚ニューロンおよび苦味ニューロンの2つの感覚ニューロンによりまかなわれていると考えられた.そして,野生型の系統では,グルコースの味情報がフラクトースやスクロースなどと同様に甘味感覚ニューロンにおいて処理され,摂食行動の解発に寄与すると考えられた(図3).
2.グルコース忌避性のゴキブリの味覚感覚ニューロンの構成と感受性
グルコース忌避性のゴキブリにおけるグルコース感受性を調べるため,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とで戻し交配を行い,野生型の系統の試験で用いた同じ化合物を用いて,戻し交配の系統における摂食行動および味覚感覚ニューロンの電気生理学的な応答を調べた.フラクトースなど摂食刺激物質またカフェインなど摂食阻害物質に対する行動と4つの味覚感覚ニューロンの感受性には,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とのあいだに差はなかった.このことから,感覚ニューロンの基本構成,感覚ニューロンにおけるフラクトースやカフェインの受容系,および,感覚ニューロンが基質に応答してから行動の解発までの情報処理の過程は,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とのあいだで変わらないと考えられた(図3).一方,グルコースは野生型の系統の摂食刺激物質として甘味感覚ニューロンのみを興奮させたのに対し,グルコース忌避性の系統ではグルコースが甘味感覚ニューロンだけでなく苦味感覚ニューロンをも興奮させ,摂食の忌避をまねいた.基質特異性のないほかの2つの感覚ニューロンの応答は,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とで差はなかった.つまり,グルコース忌避性の系統における味覚情報処理系の変異は,グルコースに対する苦味感覚ニューロンの感受性の獲得にあることがわかった.さらに,グルコース忌避性の系統の甘味感覚ニューロンは野生型の系統の甘味感覚ニューロンに比べ,グルコースに対する応答が非常に弱いことがわかった.これらのことから,グルコース忌避性の系統では味覚感覚ニューロンのレベルにおいてグルコースの情報を甘味より苦味として処理するため,忌避行動が解発されると考えられた(図3).
3.グルコース忌避性のゴキブリでは苦味感覚ニューロンにグルコース受容体が存在する
グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンにグルコースの受容部位が存在することについて,それがどのような受容体であるのか,少なくとも2つの仮説をたてることができた.ひとつは,本来は甘味感覚ニューロンに発現するグルコース受容体がグルコース忌避性の系統では苦味感覚ニューロンにも発現しているというもの,もうひとつは,グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンにある苦味受容体が変異してグルコースを受容するというものである.そこで,グルコースとその誘導体を用いて,基質の構造と行動活性との相関関係,および,基質の構造と味覚感覚ニューロンの応答との相関関係を,野生型の系統とグルコース忌避性の系統とのあいだで比較した.その結果,野生型の系統においては,グルコースとメチル-α-グルコースは甘味感覚ニューロンを刺激し摂食行動を解発した.メチル-β-グルコースに対しては甘味感覚ニューロンおよび苦味感覚ニューロンは応答せず,摂食促進あるいは摂食忌避の効果はなかった.3-O-メチルグルコースに対しては甘味感覚ニューロンではなく苦味感覚ニューロンが応答し,摂食忌避が解発された.一方,グルコース忌避性の系統では,これらの化合物のいずれもが苦味感覚ニューロンを刺激し摂食忌避をまねいた.この実験でとくに,野生型の系統の甘味感覚ニューロンと苦味感覚ニューロンで識別されないメチル-β-グルコースが,グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンで識別されたことは,グルコース忌避性の系統の苦味感覚ニューロンに発現するグルコース受容体が,甘味感覚ニューロンに存在するグルコース受容体とは異なる基質特異性をもつことを示した(図3).チャバネゴキブリの化学感覚に寄与するゲノム情報は明らかでないので,この研究では,グルコース受容体の変異の遺伝子レベルでの解析は行わなかったが,現在のところ,2つの仮説のうち,後者が正しい可能性がある.
4.グルコース忌避性のゴキブリの甘味感覚ニューロンの活動はグルコースにより抑制される
グルコース忌避性の系統ではグルコースに対する甘味感覚ニューロンの応答が野生型の系統のものより著しく弱かった.この点についても,少なくとも2つの仮説がたてられた.ひとつは,グルコース忌避性の系統の甘味感覚ニューロンのグルコース感受性に変異があるというもの,もうひとつは,グルコース忌避性の系統ではグルコースの受容の際にグルコースに対する甘味感覚ニューロンの正常な応答が抑制されるというものである.これまで,ショウジョウバエや鱗翅目昆虫の幼虫の味覚の研究においては,甘味感覚ニューロンの応答が摂食阻害物質により直接的に,または,苦味感覚ニューロンの応答が摂食阻害物質を受容することにより間接的に,抑制される現象が報告されている10).そこで,後者の仮説を行動実験と電気生理学的な実験で確かめた.野生型の系統とグルコース忌避性の系統におけるフラクトースに対する甘味感覚ニューロンの応答は,フラクトースにカフェインをくわえることで同じ程度に抑制された.一方,グルコースをカフェインの代わりに用いて同様の実験を行ったところ,フラクトースにグルコースをくわえた混合液はフラクトース単独で刺激したときに比べ,野生型の系統では甘味感覚ニューロンの応答を増大させた.グルコース忌避性の系統では甘味感覚ニューロンの応答の低下と苦味感覚ニューロンの興奮をまねいた.このことより,かりにグルコース忌避性の系統の甘味感覚ニューロンがグルコース感受性に変異をもたなくとも,グルコースはカフェインなどの摂食阻害物質と似た機構により甘味感覚ニューロンの応答を抑制する可能性があると考えられた(図3).
5.野外のグルコース忌避性のゴキブリでもグルコースは苦味として情報処理される
実験室での結果を,実際に野外でみられるグルコース忌避性のゴキブリに適用できるかどうか確かめるため,米国の内外の19カ所からゴキブリを採集し,そのうち7カ所からグルコース忌避性のゴキブリを得た.その2カ所のグルコース忌避性ゴキブリ,および,これまで実験室での実験に用いたグルコース忌避性の系統において,グルコース,フラクトース,カフェインを用いた行動実験および電気生理学的な実験を行ったところ,野外で採集したいずれのグルコース忌避性のゴキブリにおいても,実験室での実験においてみられた現象,つまり,苦味感覚ニューロンによるグルコース感受性の獲得と,甘味感覚ニューロンの弱い応答が確認された.このことから,野外で採集したチャバネゴキブリでみられるグルコース忌避性にも,味覚感覚ニューロンの感受性の変異が寄与すると結論づけられた.
おわりに
この研究では,グルコース忌避性のゴキブリはグルコースおよびグルコース骨格をもつ単糖を苦味感覚ニューロンで受容し情報処理することを示した.苦味感覚ニューロンによるグルコース受容体の獲得がグルコースに対する忌避を促し,その結果,グルコースを含む毒餌を用いた害虫駆除の現場において,ゴキブリの個体群は毒餌を忌避する適応的な行動特性を発達させたと考えられた.
苦味感覚ニューロンがグルコースに対する感受性をもつようになった原因については,少なくとも3つの可能性が考えられた.1つ目は毒餌により変異が生じたというもの,2つ目はチャバネゴキブリの祖先が保有していたグルコース忌避の特性が現在のチャバネゴキブリの個体群のなかに残っていたというもの,3つ目はグルコース忌避性をもつほかの種のゴキブリとチャバネゴキブリとが異種交配したことによりチャバネゴキブリにグルコース忌避性が現われたというものである.今後,これらの仮説は確かめられていくだろう.
文 献
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著者プロフィール
略歴:1998年 岩手大学大学院連合農学研究科博士課程 修了,同年 京都工芸繊維大学繊維学部 博士研究員,2005年 京都大学大学院農学研究科 博士研究員を経て,2009年より米国North Carolina State大学 主任研究員.
研究テーマ:昆虫の化学感覚と行動解発の神経機構.
感心事:研究,教育,動物の行動と形態の観察.
Coby Schal
米国North Carolina State大学Professor.
研究室URL:http://www.cals.ncsu.edu/entomology/schal_lab
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