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ショウジョウバエにおいて空腹な状態はCRTCを活性化させ長期記憶の形成を促進する

平野恭敬・齊藤 実
(東京都医学総合研究所 学習記憶プロジェクト)
email:平野恭敬齊藤 実
DOI: 10.7875/first.author.2013.013

Fasting launches CRTC to facilitate long-term memory formation in Drosophila.
Yukinori Hirano, Tomoko Masuda, Shintaro Naganos, Motomi Matsuno, Kohei Ueno, Tomoyuki Miyashita, Junjiro Horiuchi, Minoru Saitoe
Science, 339, 443-446 (2013)




要 約


 学習記憶の分子機構についてはこれまでさまざまな研究が行われてきたが,先天的および後天的な記憶障害を効果的に改善する方法はいまだ確立されていない.今回,筆者らは,ショウジョウバエを用いて,空腹な状態は長期記憶の形成を促進することを示し,その分子機構を明らかにした.通常,長期記憶は複数回の学習により形成され,この過程において転写因子CREBとその結合タンパク質CBPが必須である.しかし,筆者らは,空腹状態では別のCREB結合タンパク質であるCRTCが活性化され,1回の学習でも長期記憶が形成されることを見い出した.また,空腹状態において起こるインスリンシグナル伝達系の低下がCRTCを介した長期記憶の促進に重要であることが示唆された.さらに,恒常活性型のCRTCを発現させると,空腹状態でなくとも長期記憶が促進されることを見い出した.この研究から,脳においてCRTCを活性化させることにより記憶を改善するという新たな可能性が示唆された.

はじめに


 動物は経験した事柄を記憶することによって生存に有利な行動をとることができる.ヒトにおいては長期的に保持された記憶により生活がささえられているといっても過言ではないだろう.記憶は,1時間ほど持続する短期記憶から,1日以上にわたり持続する長期記憶に固定される1).この長期記憶の形成過程にはcAMP応答性の転写因子であるCREBcAMP response element-binding protein)による新規の遺伝子発現が重要な役割をはたしている.このような長期記憶の形成の分子機構は,線虫,ショウジョウバエから哺乳類まで共通している2).これまでの研究から記憶の分子機構は明らかにされつつあるが,ヒトにおいて日常生活を困難にさせるような,精神遅滞にみられる先天的な記憶障害やアルツハイマー病や老化に起因する後天的な記憶障害を効果的に改善する方法はいまだ確立されていない.今回,筆者らは,ショウジョウバエをモデル生物として用いて,軽度の空腹な状態は長期記憶の形成を促進することを明らかにした.

1.空腹な状態はCREBに依存して長期記憶の形成を促進する


 ショウジョウバエを材料としたこれまでの長期記憶の研究における,つぎのような謎に着目した.ショウジョウバエに匂いと電気ショックとを同時にあたえると(嫌悪学習),その匂いを嫌いになる.嫌悪の記憶が長期記憶に固定されるためには,1回だけの学習では不十分で15分間隔で復習させる必要がある3).一方,ショウジョウバエに匂いと砂糖水とを同時にあたえると,その匂いが好きになる(報酬記憶).不思議なことに,報酬記憶は1回の学習でも長期記憶に固定されることがわかっていた4).なぜ報酬に関する長期記憶は1回の学習でも効率よく形成されるのか? その原因として,嫌悪と報酬との神経回路の違いや神経伝達物質の違いが考えられた.しかし,特筆すべき違いとして,報酬学習のまえには砂糖水を効率的に飲ませるためショウジョウバエを空腹な状態にしていた.この空腹状態こそが1回の学習でも長期記憶が形成される要因なのではないかと考えた.
 もし空腹状態が長期記憶を促進させるなら,空腹状態にしたショウジョウバエに嫌悪学習をさせれば,1回の学習でも長期記憶が形成されるはずである.実際に,ショウジョウバエを9時間から16時間にわたり絶食させたのち1回だけ嫌悪学習をさせると,1日後の記憶が促進された.この記憶の促進はタンパク質合成阻害剤の摂取により阻害されたことから,促進された記憶は新規の遺伝子発現を介した長期記憶であることが示唆された.さらに,ショウジョウバエの記憶中枢においてCREBを阻害すると記憶の促進はみられなくなった.以上より,空腹な状態は1回の学習でもCREBに依存した長期記憶の形成を促進させることがわかった.

2.空腹による長期記憶の促進にはCREB結合タンパク質CRTCが必須である


 転写因子CREBCBPCREB-binding protein)あるいはCRTC(cAMP-regulated transcriptional coactivator)と結合することにより標的となる遺伝子からの転写を活性化させる5).マウスを材料としたこれまでの研究からCBPは長期記憶の形成に重要であることが知られていたが,CRTCの記憶における機能は不明であった.しかし,代謝組織の研究からCRTCは空腹な状態において活性化することが示唆されていたことから,CRTCは空腹状態における長期記憶の形成に必須ではないかと考えた.ショウジョウバエの記憶中枢においてCBPをノックダウンしたところ,空腹時の1回の学習による長期記憶は阻害されなかったが,複数回の学習による長期記憶は阻害された.一方,CRTCをノックダウンすると,空腹時の1回の学習による長期記憶は阻害されたが,複数回の学習による長期記憶は阻害されなかった.この結果から,複数回の学習ではCREBおよびCBPに依存して長期記憶が形成される一方,空腹状態ではCREBおよびCRTCに依存した異なる経路により,1回の学習でも長期記憶が形成されることが明らかになった.

3.CRTCを活性化させると空腹でなくとも長期記憶の形成は促進される


 代謝組織におけるこれまでの研究から,満腹時にはCRTCはリン酸化されることで細胞質に局在しており,空腹時にはこれが脱リン酸化されることにより核へと移行し,CREBを活性化させることがわかっていた5).この知見と同様に,ショウジョウバエの記憶中枢にあるニューロンにおいても,空腹時にはCRTCは核へと移行した.CRTCが核へと移行することにより記憶は促進されるのではないかと考えた.リン酸化部位に置換変異をもつためリン酸化の起こらないCRTC 6) を発現させたところ,この恒常活性型のCRTCは核へと移行し,空腹にしなくても1日後の記憶は促進されることがわかった.以上より,空腹による長期記憶の促進にはCRTCの活性化が必要十分であることがわかった.

4.インスリンシグナル伝達系の低下がCRTCを活性化させ長期記憶の形成を促進する


 空腹時に血糖値は低下し,その結果,インスリンの分泌は低下する.代謝組織におけるこれまでの研究により,CRTCはインスリンシグナル伝達系の低下により活性化することが示唆されていた5).空腹時におけるインスリンの低下が長期記憶の形成を促進させるとしたら,インスリンシグナル伝達系の低下したショウジョウバエ変異体では満腹な状態でもCRTCが活性化し長期記憶が促進されると考えた.このような変異体を解析したところ記憶中枢においてCRTCが活性化しており,満腹状態においても1回の学習により1日後の記憶が促進されることがわかった.さらに,この変異体においてCRTCをノックダウンすると長期記憶の促進はみられなくなった.これらの結果から,インスリンシグナル伝達系の低下はCRTCを活性化させ,長期記憶の形成を促進させることが明らかになった.

おわりに


 以上より,軽度の空腹な状態はインスリン活性を低下させ,その結果,CRTCが活性化し,1回の学習でも長期記憶が形成されることが明らかになった(図1).この発見が記憶障害の改善において重要な一歩となることを期待している.注意すべき点は,20時間以上の絶食といった過度の空腹により飢餓状態におちいると,長期記憶の形成の促進はみられなかったことである7).したがって,記憶障害の改善には空腹状態なしでCRTCを活性化させることが求められるだろう.今後,脳におけるCRTC活性化の機構を詳細に解析することにより,CRTC活性化の薬理的な操作が確立されることを強く期待する.




文 献



  1. McGaugh, J. L.: Memory-a century of consolidation. Science, 287, 248-251 (2000)[PubMed]

  2. Lonze, B. E. & Ginty, D. D.: Function and regulation of CREB family transcription factors in the nervous system. Neuron, 35, 605-623 (2002)[PubMed]

  3. Tully, T., Preat, T., Boynton, S. C. et al.: Genetic dissection of consolidated memory in Drosophila. Cell, 79, 35-47 (1994)[PubMed]

  4. Krashes, M. J. & Waddell, S.: Rapid consolidation to a radish and protein synthesis-dependent long-term memory after single-session appetitive olfactory conditioning in Drosophila. J. Neurosci., 28, 3103-3013 (2008)[PubMed]

  5. Altarejos, J. Y. & Montminy, M.: CREB and the CRTC co-activators: sensors for hormonal and metabolic signals. Nat. Rev. Mol. Cell Biol., 12, 141-151 (2011)[PubMed]

  6. Wang, B., Goode, J., Best, J. et al.: The insulin-regulated CREB coactivator TORC promotes stress resistance in Drosophila. Cell Metab., 7, 434-444 (2008)[PubMed]

  7. Placais, P. Y. & Preat, T.: To favor survival under food shortage, the brain disables costly memory. Science, 339, 440-442 (2013)[PubMed]



生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク


東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.



著者プロフィール


平野 恭敬(Yukinori Hirano)
略歴:2008年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程 修了,2009年 東京都神経科学総合研究所 研究員を経て,2012年より同 主任研究員.2011年より科学技術振興機構さきがけ 研究員 兼任.
研究テーマ:長期記憶におけるダイナミックな遺伝子発現制御の解明.
関心事:麗しき娘の成長と,最近はじめたホームアクアリウム.

齊藤 実(Minoru Saitoe)
東京都医学総合研究所 参事研究員.
研究室URL:http://www.igakuken.or.jp/memory/index.html

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