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ピンぼけ像を利用したハエトリグモの奥行きの知覚

永田 崇・小柳光正・寺北明久
(大阪市立大学大学院理学研究科 生物地球系専攻生物分子機能学)
email:寺北明久
DOI: 10.7875/first.author.2012.028

Depth perception from image defocus in a jumping spider.
Takashi Nagata, Mitsumasa Koyanagi, Hisao Tsukamoto, Shinjiro Saeki, Kunio Isono, Yoshinori Shichida, Fumio Tokunaga, Michiyo Kinoshita, Kentaro Arikawa, Akihisa Terakita
Science, 335, 469-471 (2012)




要 約


 奥行きの知覚はもっとも重要な視覚機能のひとつである.筆者らは,ハエトリグモがもつまったく新しい奥行きの知覚機構を発見した.ハエトリグモの主眼とよばれる眼には視細胞が4層に積み重なった特殊な構造をもつ網膜が存在し,それぞれの視細胞層にはレンズの色収差により異なる波長の光が焦点を結ぶ.筆者らは,視細胞において光をとらえる分子である視物質を解析することにより,レンズから2番目に遠い第2層のすべての視細胞は緑色光に高い感度をもつことを見い出した.しかしながら,先行研究によると,緑色光はレンズからもっとも遠い第1層のみに焦点を結ぶため,第2層はつねにピンぼけ像を受け取っていることが示唆された.また,光の波長を変えると色収差の効果により第2層におけるピンぼけの大きさが変わると考えられたが,行動実験によりハエトリグモの奥行き知覚もまた光の波長により影響をうけることが明らかになった.これらのことから,ハエトリグモはピンぼけ像のぼけの大きさにもとづき奥行きを知覚していることが強く示唆された.

はじめに


 対象までの距離,すなわち,奥行きを判断することは視覚の重要な機能のひとつである.動物は視覚によるさまざまな手がかりから奥行きを知覚するが,相対的な位置情報を知るだけでなく絶対的な距離を測ることのできる機構として,つぎの3種類が知られている.1つ目は,左右の眼の見え方の違い(両眼視差)を利用した両眼性の機構であり,ヒトを含む多くの動物がこの機構をもつ.2つ目は,カメレオンなどの脊椎動物で知られているaccommodationとよばれる機構である1).脊椎動物は一般にレンズの厚みを変えたり動かしたりしてピントを調節するが,対象にピントを合わせるためにどれだけレンズを調節したかという情報から奥行きの情報を得ることができる.3つ目は,カマキリなどの昆虫で知られている運動視差とよばれる機構で2),これらの昆虫は頭部を左右に振った際にどれだけ対象が速く(あるいは,大きく)動くかにより距離を判断している.この原理は,走行中の列車から外を眺めたとき近くのものほど速く通り過ぎていくことを思い浮かべるとわかりやすいだろう.さらに,これらの機構のほかにも,ピンぼけした像のぼけの量(ある像がどれだけピンぼけであるかという情報)から絶対的な距離情報を得ることも原理的には可能であるが3),このような機構をもつ動物はこれまで知られていなかった.ヒトはピンぼけの情報を対象どうしの相対的な位置関係のおおざっぱな把握に使っているが4),あるピンぼけ像からぼけの量を正確に知るためには別のピントの合った像あるいはピントの異なる像との比較が必要となるため,ヒトはぼけの情報から絶対的な距離を知ることはできない.今回,筆者らは,ハエトリグモの一種Hasarius adansoniがピンぼけ像のぼけの量を用いて絶対的な奥行きを知覚することを示した.

1.“ピンぼけ像のぼけの量にもとづく奥行きの知覚”仮説


 ハエトリグモは左右2対の前方をむいた眼,主眼および前側眼を使って獲物に近づき,獲物にむかい正確な距離をジャンプする.前側眼を塗りつぶしても正確な距離をジャンプすることから,主眼のみを使った絶対的な奥行きの知覚が可能であることがわかっている5).ところが,主眼は左右の視野が重なっておらず,ピントの調節機構もない6).また,ジャンプのまえに運動視差を生じさせるような動きも観察されていなかった.筆者らは,両方の前側眼と片側の主眼を塗りつぶして1つの主眼だけが見える状態にしたハエトリグモの行動を観察したが,やはり,運動視差を生じさせる動きをせずに正確な距離をジャンプした.これらのことから,ハエトリグモは既知の機構以外により正確な距離を判断していることが示された.
 ハエトリグモの主眼における奥行きの知覚機構の手がかりは,その特殊な網膜構造にあった.主眼の網膜は視細胞の光をとらえる部位が4層に積み重なった特殊な層構造をもつ7).また,レンズが色収差を生じるため,網膜においてピントの合った像が形成される位置(深さ)は対象までの距離と光の波長により決まる.これまで,電気生理学的な手法によりレンズから2番目に遠い視細胞層(第2層)から緑色光に高い感度をもつ視細胞がいくつか発見されているが,しかし同時に,緑色光はレンズからもっとも遠い層(第1層)のみに焦点を結び第2層には焦点を結ばないことが見い出されており,このことから,第2層に存在する緑色光に高い感度をもつ視細胞はピンぼけの像を受け取っているかもしれないことが示唆されていた8).筆者らは,理論的には第2層におけるピンぼけ像のぼけの量から対象までの距離が一意的に決まることに着目し,ハエトリグモが第2層のピンぼけ像のぼけの量をもとに奥行きを知覚しているのではないかと考えた(図1).




2.緑色光に高い感度をもつ第2層はピンぼけの像を受け取る


 この仮説の前提となるのは第2層が緑色光を像として受け取っていることであり,そのためには,緑色光に高い感度をもつ視細胞が層の全体に分布していることが必要であった.しかし,第2層の大部分の視細胞について,どのような波長の光に高い感度をもつのかは不明であった.そこで,網膜全体の視細胞の性質を知るため,視細胞において光をとらえる分子である視物質の分布と性質の解析を行った.その結果,第2層と第1層にはすべての視細胞に緑色光を効率よくとらえる緑視物質が存在し,よりレンズに近いほかの2つの層ではすべての視細胞に紫外光を効率よくとらえる視物質が存在することが明らかになった.以上の結果から,第2層および第1層は緑色光に高い感度をもつ視細胞のみから構成されているものと結論した.なおこの結論は,今回の主眼の網膜全体の電気生理学的な解析の結果や,これまでに報告されていた細胞内記録の結果とも合致するものであった8-10)
 また,視物質の解析からハエトリグモは青色光を効率よくとらえる青視物質をもっていることも明らかになった.第2層には青色光が焦点を結ぶため8),もし,青視物質を含む青色光に高い感度をもつ視細胞が分布しているのなら第2層はピントの合った像を受け取ることができるものと想像された.しかし実際には,第2層には緑視物質が存在し,主眼には青視物質は発現していなかった.このことは,緑視物質が第2層の機能により適していることを示唆しており,したがって,第2層が受け取るピンぼけ像は生理的に重要な意味をもつものと考えられた.

3.ピンぼけが大きくなる赤色光のもとではジャンプの距離は短くなる


 この“ピンぼけ像のぼけの量にもとづく奥行きの知覚”仮説を行動学的に検証するため,第2層および第1層のみが感度をもつ2種類の単色光,緑色光(波長約520 nm)および赤色光(波長約630 nm)のもとでのハエトリグモのジャンプの解析を行った.仮説のとおり,ハエトリグモがピンぼけ像のぼけの量から距離を判断しているなら,以下のような結果が予想された.まず,第2層は緑色光に高い感度をもつことから,さまざまな波長の光の含まれる自然光のもとでは緑色光により生じるピンぼけをもとに距離を見積もっているものと考えられた.そのため,緑色光のもとでは自然光のもとと同様にジャンプの距離は正確であると予想された.つぎに,赤色光のもとでの場合だが,レンズの色収差のため赤色光は緑色光に比べて焦点距離は長くなるので,第2層で生じるピンぼけも赤色光のもとではより大きくなる.この赤色光のもとでのピンぼけの大きさは,緑色光のもとにおいて対象がより近くにある場合に生じるピンぼけの大きさと等しくなる(図2).そのため,赤色光のもとでは獲物までの距離を過少に見積もり,ジャンプの距離は短くなることが予想された.実際に,前側眼を塗りつぶしたハエトリグモを用いて解析を行ったところ,緑色光のもとではジャンプの距離は正確であったのに対し,赤色光のもとでは獲物までの実際の距離に対しジャンプの距離は有意に短くなった.この実験で用いた緑色光と赤色光の照明については,ハエトリグモにとり主観的な明るさが同等となるようにするため,精製した緑視物質を同じ効率で活性化するようそれぞれの光の強さを調整して用いた.さらに,赤色光の強度を緑色光の6倍にして行った解析でも同様の結果が得られたことから,ジャンプの距離が短くなったのは光の強度ではなく波長の違いによるものであると結論した.



 “ピンぼけ像のぼけの量にもとづく奥行きの知覚”仮説によりこの実験結果が定量的に説明できるかどうかを考察するため,実験により得られたジャンプの距離の値と,理論的に予測された値との比較を行った.単純なモデルとして,レンズからの距離dの点からの赤色光と,距離d’の点からの緑色光とが,第2層に同じ大きさのピンぼけを生じる場合を考えた(図2).仮説が正しければ,獲物までの実際の距離dに対し,赤色光のもとでのジャンプの距離は距離d’に等しくなるはずであった.距離d’は,緑色光および赤色光のそれぞれの焦点距離FgおよびFrを用いて,d’ = {1- 1/(1 + fd)}/f,ただし,f = 1/Fg- 1/Fr と表すことができる.そこで,ハエトリグモの主眼のレンズを取り出し,光学的な手法により焦点距離FgおよびFrを測定して,距離d’の理論曲線を求めた.その結果,この理論曲線は実験により得られたジャンプの距離とよく一致することがわかった.すなわち,第2層におけるぼけの量をもとにしたモデル(図2)は,赤色光のもとではジャンプの距離が短くなることをよく説明することができた.このことは,ハエトリグモにおける“ピンぼけ像のぼけの量にもとづく奥行きの知覚”仮説を強く支持した.

おわりに


 ハエトリグモの主眼の網膜の第1層は階段状の構造を形成しているため,遠近の非常に広い範囲にある対象に対しピントの合った像を得ることができると報告されていた8).さきに述べたように,あるピンぼけ像からぼけの量を正確に知るためにはピントの合った像との比較が重要となるので,ハエトリグモの場合は,第2層で受け取るピンぼけ像と第1層で受け取るピントの合った像とを比較しているのかもしれない.実際,これら2つの層のみが感度をもつ緑色光のもとで正確な奥行きの知覚が可能であったことはこの可能性を示唆した.ハエトリグモが第2層と第1層の像を比較するための神経基盤をもつのかどうかということを含め,どのようにしてピンぼけ像においてぼけの量を測定しているのかについては今後の課題である.
 ぼけの量から奥行きを計算する“depth from defocus”とよばれる手法は,現在,コンピュータービジョンの分野において注目されている画像技術である.ハエトリグモのピンぼけ像を利用した奥行きの知覚機構は,動物ではじめてみつかったdepth from defocusの例であると思われる.ハエトリグモの主眼について,光学系や網膜の構造,神経ネットワークなどの研究がさらに進めば,コンピュータービジョンの分野に対してインスピレーションをあたえることができるかもしれない.

文 献



  1. Harkness, L.: Chameleons use accommodation cues to judge distance. Nature, 267, 346-349 (1977)[PubMed]

  2. Kral, K.: Behavioural-analytical studies of the role of head movements in depth perception in insects, birds and mammals. Behav. Processes, 64, 1-12 (2003)[PubMed]

  3. Chaudhuri, S. & Rajagopalan, A. N.: Depth from Defocus: A Real Aperture Imaging Approach. Springer-Verlag, New York (1999)

  4. Pentland, A. P.: A new sense for depth of field. IEEE Trans. Pattern Anal. Mach. Intell., 9, 523-531 (1987)[PubMed]

  5. Forster, L. M.: Visual mechanisms of hunting behavior in Trite-Planiceps, a jumping spider (Araneae, Salticidae). N. Z. J. Zool., 6, 79-93 (1979)

  6. Land, M. F.: Movements of the retinae of jumping spiders (Salticidae: Dendryphantinae) in response to visual stimuli. J. Exp. Biol., 51, 471-493 (1969)[PubMed]

  7. Land, M. F.: Structure of the retinae of the principal eyes of jumping spiders (Salticidae: Dendryphantinae) in relation to visual optics. J. Exp. Biol., 51, 443-470 (1969)[PubMed]

  8. Blest, A. D., Hardie, R. C., McIntyre, P. et al.: The spectral sensitivities of identified receptors and the function of retinal tiering in the principal eyes of a jumping spider. J. Comp. Physiol. A, 145, 227-239 (1981)

  9. DeVoe, R. D.: Ultraviolet and green receptors in principal eyes of jumping spiders. J. Gen. Physiol., 66, 193-208 (1975)[PubMed]

  10. Yamashita, S. & Tateda, H.: Spectral sensitivities of jumping spider eyes. J. Comp. Physiol. A, 105, 29-41 (1976)



生命科学の教科書における関連するセクションへのリンク


東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構自然科学教育高度化部門から公開されている生命科学の教科書 “A Comprehensive Approach To LIFE SCIENCE”(羊土社『理系総合のための生命科学 第2版』の英語版)における関連するセクションへのリンクです.



著者プロフィール


永田 崇(Takashi Nagata)
略歴:2010年 大阪市立大学大学院理学研究科後期博士課程 修了,同年 同 博士研究員を経て,2011年より総合研究大学院大学先導科学研究科 研究員.
研究テーマ:動物の光受容系の多様性.
抱負:これまでに知られていないような動物の光情報の利用のしかたを明らかにしたい.

小柳 光正(Mitsumasa Koyanagi)
大阪市立大学大学院理学研究科 准教授.

寺北 明久(Akihisa Terakita)
大阪市立大学大学院理学研究科 教授.
研究室URL:http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/biol/mphys/index.html

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