女王バチへの分化を誘導する因子ロイヤラクチンの発見
鎌倉 昌樹
(富山県立大学工学部 生物工学研究センター)
email:鎌倉昌樹
DOI: 10.7875/first.author.2011.096
ミツバチは女王バチと働きバチからなるカーストを形成しており,働きバチの分泌するローヤルゼリーを幼虫のあいだに摂取した個体のみが女王バチへと分化する.これまでに,この女王バチへの分化のしくみについてはまったく明らかになっていなかった.そこで,この研究においてミツバチの女王バチへの分化誘導機構を解析した結果,ローヤルゼリーに含まれる成分“ロイヤラクチン”が女王バチへの分化を誘導する因子であることが明らかになった.さらに驚くべきことに,ロイヤラクチンをショウジョウバエに投与あるいは過剰発現させた場合にも女王バチと同じように,体の大きさ,産卵数,寿命の増加がみられた.ショウジョウバエおよびミツバチを用いた詳細な解析から,ロイヤラクチンはEGF受容体シグナルを活性化して女王バチへの分化を誘導していることが明らかになった.ミツバチのカースト分化はその生態の根幹をなす現象であることから,今回の研究成果は,今後のミツバチの安定供給のための飼育法の開発や,ミツバチが突然失踪する蜂群崩壊症候群の解明につながるものと期待できる.
ミツバチは女王バチと働きバチからなる階級社会(カースト)を形成しており,同じ遺伝子型をもつ雌の幼虫のなかでも働きバチの分泌するローヤルゼリーを摂取した個体のみが女王バチへと分化することから,ミツバチの発生および分化においてはローヤルゼリーによるエピジェネティックな調節が行われている.女王バチは働きバチに比べ,体サイズが1.5倍,寿命が20倍であり,1日に2000個の卵を産むという特徴をもつ.筆者が研究をはじめた当時,この女王バチへの分化のしくみについてはまったく明らかになっていなかったが,それまでに,ローヤルゼリーに含まれるカースト分化に関与する因子の探索は数多く行われてきた.1970年代くらいにその研究がさかんとなりカースト分化誘導因子の探索が広く行われたが同定にはいたらなかった1).そんななか,カースト分化を誘導する因子として候補にあがったのはローヤルゼリーに含まれるグルコースとフルクトースであった.一般の生物学的な概念ではそれら糖質が個体の分化を制御することは考えにくいが,糖質とカースト分化との関係の報告は数多くなされた2).
一方,これまでにミツバチのみならず膜翅目に属する社会性昆虫のカースト分化の誘導には幼若ホルモン(図1a)の関与していることが明らかになっている3).働きバチと女王バチの幼虫期の幼若ホルモン濃度の変化を測定した結果,4齢期において女王バチに働きバチよりも高い濃度が観察された(図1b)ことから,幼虫に幼若ホルモンを塗布する実験が行われた.その結果,幼若ホルモンをあたえられた幼虫は女王バチになることがわかった.この実験により,女王バチへの分化には幼若ホルモンが重要であることが明らかにされた3).しかし,幼虫の体内における女王バチへの分化の際,何が幼若ホルモンを増加させ,幼若ホルモンは何に作用しているのかはわかっていなかった.このように,女王バチへの分化において,ローヤルゼリーに含まれる誘導因子や分化誘導機構に関してはどれも断片的なデータのみで,明確な答えの得られないままの状態であった.そこで,筆者は,ミツバチの女王バチへの分化誘導機構の解明を試みた.
ローヤルゼリーに含まれるミツバチのカースト分化誘導因子が見い出せなかったひとつの要因として,それまでin vitroで女王バチを飼育する培地の組成はわかっていたが,働きバチを完全に誘導する培地の組成が明らかになっていなかったことがあげられる.働きバチに分化させる培地がわかっていればその培地にローヤルゼリーの成分を添加することにより個体の表現型に及ぼす影響をはっきりとみわけることができるが,その培地が存在しなかったためカースト分化に対する評価の基準が曖昧なままであった.そこで,まず働きバチに分化させる培地の組成の探索を行った.
筆者は,ミツバチの研究を開始する以前に,新鮮な(-20℃で保存した)ローヤルゼリーはマウスに対し抗疲労効果を示すが,40℃で7日間保存したローヤルゼリーではその効果の消失することを明らかにしていた4).この実験結果と同様に,40℃で7日間保存したローヤルゼリーは働きバチを飼育するための培地として利用できないかと考えミツバチのカースト分化に及ぼす影響を検討した.その結果,40℃で7日間保存したローヤルゼリーは働きバチを誘導しなかったが,女王バチへの分化の指標が若干減少する傾向がみられた.そこで,40℃での保存期間をもう少し延長すれば女王バチへの分化の度合いがより減少し働きバチへの分化を誘導できるのではないかと考え,ローヤルゼリーを40℃で7日間,14日間,21日間,30日間,保存したローヤルゼリーを作製しそれぞれのサンプルの女王バチへの分化に対する影響を調べた.その結果,40℃で30日間保存したローヤルゼリーは完全な働きバチを誘導することがわかった.
つぎに,新鮮なローヤルゼリーと40℃で30日間保存したローヤルゼリーとのあいだで成分組成の違いを調べ,さらに,違いの見い出された成分について女王バチへの分化に対する影響を観察した結果,ロイヤラクチンと命名したタンパク質,170 kDaタンパク質,450 kDaタンパク質が40℃での保存により分解していることがわかった.170 kDaタンパク質のまったく含まれない加熱されたローヤルゼリーでも女王バチへの分化に影響をあたえたことから,ロイヤラクチンと450 kDaタンパク質が女王バチへの分化を誘導する因子として機能する可能性が考えられた.精製したロイヤラクチンあるいは450 kDaタンパク質を含む培地でミツバチの幼虫を飼育したところ,ロイヤラクチンだけが女王バチへの分化を誘導した.また,同様の効果は大腸菌で発現させた組換えロイヤラクチンでもみられた.これらの結果から,ロイヤラクチンがローヤルゼリーに含まれる女王バチへの分化誘導因子であることが明らかになった.
ロイヤラクチンの女王バチへの分化誘導における作用機構について解析を行った.ミツバチには保存されている変異体がないため,発生生物学の研究でよく用いられ多数の変異体の存在するショウジョウバエを女王バチへの分化誘導機構の解析のためのモデル生物として使えないかと考え,ショウジョウバエに対するローヤルゼリーの影響を調べた.ショウジョウバエにローヤルゼリーだけを食べさせるとすぐに死んでしまったが,培地の組成の変化がショウジョウバエの表現型に及ぼす影響について検討した結果,ショウジョウバエの体の大きさを増加させることのできるような,ローヤルゼリーを含有する培地の組成をつきとめることに成功した.
さらに,対象生物をミツバチからショウジョウバエに変えローヤルゼリーの成分がショウジョウバエの表現型に及ぼす影響を検討した結果,ロイヤラクチンがショウジョウバエに対し,女王バチと同じように,体の大きさ,産卵数,寿命の増加を誘導することを明らかにした.このようなロイヤラクチンによる表現型の変化はロイヤラクチンをショウジョウバエの体内で過剰発現させた場合にもみられた.ローヤルゼリーにはロイヤラクチンのほか,MRJP2~MRJP5(MRJP:major royal jelly protein)の含まれていることが報告されているが,ロイヤラクチン以外のローヤルゼリータンパク質MRJP2~MRJP5の過剰発現ではロイヤラクチンと同じ効果はみられなかった.これらの結果は,ロイヤラクチンがミツバチのカースト分化誘導因子であることを支持する結果であった.また,これらの結果は,ロイヤラクチンがミツバチだけなく種をこえショウジョウバエにまで作用し,同じ遺伝子型をもつ個体をまったく異なる表現型をもつ個体へと誘導するエピジェネティックな因子であることを示しており,ミツバチのように生育環境が形質を変化させるという現象が生物に普遍に存在することを強く示唆していた.
ローヤルゼリーを含有する培地で種々のショウジョウバエ変異体を飼育し,ロイヤラクチンによるショウジョウバエの女王バチ様の表現型への変化に関与するシグナルについて調べた.その結果,ロイヤラクチンはこれまで生物個体の体の大きさや寿命などの制御に中心的な役割を担っていることが知られていたインスリン受容体5) ではなく,脂肪体(哺乳類の肝臓に相当)のEGF受容体(EGF:epidermal growth factor,上皮成長因子)に作用しその下流シグナルを活性化させることによりショウジョウバエの体の大きさ,産卵数,寿命を増加させていることがわかった.EGF受容体の寿命への関与は今回はじめて見い出された知見である.
また,ロイヤラクチンによるショウジョウバエの体の大きさの増加においては,S6キナーゼがEGF受容体の下流で関与して細胞の大きさを増加させることで個体の体の大きさを増加させていることも明らかになった(図2).通常の生物個体は大きいものほど発生期間が長くかかるが,女王バチは体が大きいにもかかわらず早く羽化することが特徴である.この表現型はロイヤラクチンを摂取または過剰発現したショウジョウバエでもみられ,ロイヤラクチンが脂肪体のEGF受容体を介してMAPキナーゼを活性化し,さらに脱皮ホルモンの分泌を増加させることに起因していることが明らかになった(図2).さらに,幼若ホルモンが女王バチへの分化誘導のための重要な内因性因子であることはさきに述べたが,ロイヤラクチンはミツバチあるいはショウジョウバエのどちらに対してもEGF受容体を介して幼若ホルモンの分泌を誘導し,この幼若ホルモンの分泌誘導が幼若ホルモン受容体(Methoprene tolerant:Met)を介して卵黄タンパク質の発現を増加させ産卵数の増加に関与していることも明らかになった(図2).もう一方,ロイヤラクチンによる寿命の延長もEGF受容体を介していた.
このように,ショウジョウバエを用いた解析から明らかになったロイヤラクチンによる活性化シグナルが実際にミツバチの女王バチへの分化に関与しているかどうかを確認するため,ミツバチのRNAi試験を中心に詳細な解析を実施した結果,ショウジョウバエを対象とした解析と一致した結果が得られ,ミツバチにおいてもロイヤラクチンがEGF受容体シグナルを刺激して女王バチへの分化を誘導していることが明らかになった.
ロイヤラクチンはmrjp1遺伝子の産物であり57 kDaの単量体からなる糖タンパク質である.一方,ミツバチのカースト分化に影響をあたえなかった450 kDaタンパク質は,MRJP1が6つ会合したアパルブミンと,そこに5.5 kDaのアピシミンが会合した多量体タンパク質である6).抗ロイヤラクチン抗体は450 kDaタンパク質を認識しなかったことや,450 kDaタンパク質からMRJP1やアピシミンを遊離させるには界面活性剤が必要であったことから,ロイヤラクチンと450 kDaタンパク質はローヤルゼリーにおいてまったく異なるタンパク質として存在していることが示唆された.また,40℃で30日保存したローヤルゼリーでは450 kDaタンパク質の90%が残存していたにもかかわらずミツバチの幼虫を働きバチへと分化させ,さらに,40℃で30日保存したローヤルゼリーに精製した450 kDaタンパク質をくわえても幼虫から女王バチへの分化を誘導しなかった.一方,ロイヤラクチンや大腸菌で発現した組換えロイヤラクチンは女王バチへの分化を誘導した.ロイヤラクチンはローヤルゼリーに2%含まれているが,40℃で30日保存したローヤルゼリーにロイヤラクチンを2%まで添加した場合には,ローヤルゼリーを添加したときと同じ程度まで女王バチへの分化を促進させた.これらの結果から,ローヤルゼリーに含まれるMRJP1の単量体であるロイヤラクチンのみがミツバチのカースト分化誘導因子として機能することが明らかになった.
筆者はこれまでに,ロイヤラクチンがラット肝細胞の表面のEGF受容体に直接に結合することにより肝細胞に対しEGF様の作用を示すことを明らかにしている7).さらに,ロイヤラクチンはミツバチあるいはショウジョウバエに由来するEGF受容体を発現させたS2細胞においてEGF受容体のリン酸化を促進しMAPキナーゼやS6キナーゼを活性化することも明らかにした.ロイヤラクチンはEGFと1次構造において相同性はみられないが,これまでにエリスロポエチンやトロンボポエチンにおいて,1次構造のまったく異なるペプチドライブラリーからスクリーニングされたペプチドが天然型のリガンドと同じ生理効果を発揮したことが報告されていることから8,9),ロイヤラクチンのEGF様の作用においてもこのケースがあてはまったものと推察された.
このように,筆者は,ミツバチの女王バチへの分化誘導因子としてロイヤラクチンを見い出し,その作用機構を明らかにした.ロイヤラクチンはEGF受容体の下流においてTORも活性化している.糖質はTORを活性して細胞の成長に関与することが報告されていることから10),糖質によりカースト分化が誘導されたというこれまでの知見は,ロイヤラクチンの下流のTORを擬似的に活性化したことによりもたらされたものと推察された.ロイヤラクチンがEGF受容体の下流において幼若ホルモンの分泌誘導も促進することから,今回,明らかにした結果は過去のミツバチのカースト分化について報告された知見をすべて集約するものであった.
これまでに,個体のサイズや寿命の制御における中心はインスリン受容体であることがいわれており,ミツバチのカースト分化の制御においてもインスリン受容体がかかわっているものと考えられていた.しかし,今回の解析により,インスリン受容体ではなくEGF受容体が女王バチへの分化に重要であることが明らかになり,個体のサイズや寿命の制御における新たなシグナルの存在を明示することができた.これは,個体発生の研究に対し新たな視点を提供するものであり,生物学的に意義のある知見であると考えられる.一方,今回の成果の応用面としては,in vitro飼育系で生育させた女王バチが実際の女王バチとして機能できれば,女王バチの安定供給のための新たな飼育法として活用できる可能性がある.さらに,今回の解析により女王バチと働きバチとの分化のポイントが明らかになったことから,今後,さらにミツバチの脳における神経の発生分化の分子機構を解析することで,農業において深刻な問題となっているミツバチが突然失踪する現象(蜂群崩壊症候群)の解明にもつながるものと期待できる.
略歴:1996年 京都大学大学院農学研究科 修了,同年 天野製薬 研究員,1998年 ポーラ化成工業 研究員,2003年 富山県立大学工学部 助教を経て,2008年より同 講師.
研究テーマ:ミツバチのカースト分化誘導の機構および神経発生の機構の解明.
抱負:ひとつでも多くの生命現象の原理を明らかにし,最終的に世のため人のため社会のためになる基礎研究をしていきたいと思います.
© 2011 鎌倉 昌樹 Licensed under CC 表示 2.1 日本
(富山県立大学工学部 生物工学研究センター)
email:鎌倉昌樹
DOI: 10.7875/first.author.2011.096
要 約
ミツバチは女王バチと働きバチからなるカーストを形成しており,働きバチの分泌するローヤルゼリーを幼虫のあいだに摂取した個体のみが女王バチへと分化する.これまでに,この女王バチへの分化のしくみについてはまったく明らかになっていなかった.そこで,この研究においてミツバチの女王バチへの分化誘導機構を解析した結果,ローヤルゼリーに含まれる成分“ロイヤラクチン”が女王バチへの分化を誘導する因子であることが明らかになった.さらに驚くべきことに,ロイヤラクチンをショウジョウバエに投与あるいは過剰発現させた場合にも女王バチと同じように,体の大きさ,産卵数,寿命の増加がみられた.ショウジョウバエおよびミツバチを用いた詳細な解析から,ロイヤラクチンはEGF受容体シグナルを活性化して女王バチへの分化を誘導していることが明らかになった.ミツバチのカースト分化はその生態の根幹をなす現象であることから,今回の研究成果は,今後のミツバチの安定供給のための飼育法の開発や,ミツバチが突然失踪する蜂群崩壊症候群の解明につながるものと期待できる.
はじめに
ミツバチは女王バチと働きバチからなる階級社会(カースト)を形成しており,同じ遺伝子型をもつ雌の幼虫のなかでも働きバチの分泌するローヤルゼリーを摂取した個体のみが女王バチへと分化することから,ミツバチの発生および分化においてはローヤルゼリーによるエピジェネティックな調節が行われている.女王バチは働きバチに比べ,体サイズが1.5倍,寿命が20倍であり,1日に2000個の卵を産むという特徴をもつ.筆者が研究をはじめた当時,この女王バチへの分化のしくみについてはまったく明らかになっていなかったが,それまでに,ローヤルゼリーに含まれるカースト分化に関与する因子の探索は数多く行われてきた.1970年代くらいにその研究がさかんとなりカースト分化誘導因子の探索が広く行われたが同定にはいたらなかった1).そんななか,カースト分化を誘導する因子として候補にあがったのはローヤルゼリーに含まれるグルコースとフルクトースであった.一般の生物学的な概念ではそれら糖質が個体の分化を制御することは考えにくいが,糖質とカースト分化との関係の報告は数多くなされた2).
一方,これまでにミツバチのみならず膜翅目に属する社会性昆虫のカースト分化の誘導には幼若ホルモン(図1a)の関与していることが明らかになっている3).働きバチと女王バチの幼虫期の幼若ホルモン濃度の変化を測定した結果,4齢期において女王バチに働きバチよりも高い濃度が観察された(図1b)ことから,幼虫に幼若ホルモンを塗布する実験が行われた.その結果,幼若ホルモンをあたえられた幼虫は女王バチになることがわかった.この実験により,女王バチへの分化には幼若ホルモンが重要であることが明らかにされた3).しかし,幼虫の体内における女王バチへの分化の際,何が幼若ホルモンを増加させ,幼若ホルモンは何に作用しているのかはわかっていなかった.このように,女王バチへの分化において,ローヤルゼリーに含まれる誘導因子や分化誘導機構に関してはどれも断片的なデータのみで,明確な答えの得られないままの状態であった.そこで,筆者は,ミツバチの女王バチへの分化誘導機構の解明を試みた.
1.ロイヤラクチンがローヤルゼリーに含まれるカースト分化誘導因子である
ローヤルゼリーに含まれるミツバチのカースト分化誘導因子が見い出せなかったひとつの要因として,それまでin vitroで女王バチを飼育する培地の組成はわかっていたが,働きバチを完全に誘導する培地の組成が明らかになっていなかったことがあげられる.働きバチに分化させる培地がわかっていればその培地にローヤルゼリーの成分を添加することにより個体の表現型に及ぼす影響をはっきりとみわけることができるが,その培地が存在しなかったためカースト分化に対する評価の基準が曖昧なままであった.そこで,まず働きバチに分化させる培地の組成の探索を行った.
筆者は,ミツバチの研究を開始する以前に,新鮮な(-20℃で保存した)ローヤルゼリーはマウスに対し抗疲労効果を示すが,40℃で7日間保存したローヤルゼリーではその効果の消失することを明らかにしていた4).この実験結果と同様に,40℃で7日間保存したローヤルゼリーは働きバチを飼育するための培地として利用できないかと考えミツバチのカースト分化に及ぼす影響を検討した.その結果,40℃で7日間保存したローヤルゼリーは働きバチを誘導しなかったが,女王バチへの分化の指標が若干減少する傾向がみられた.そこで,40℃での保存期間をもう少し延長すれば女王バチへの分化の度合いがより減少し働きバチへの分化を誘導できるのではないかと考え,ローヤルゼリーを40℃で7日間,14日間,21日間,30日間,保存したローヤルゼリーを作製しそれぞれのサンプルの女王バチへの分化に対する影響を調べた.その結果,40℃で30日間保存したローヤルゼリーは完全な働きバチを誘導することがわかった.
つぎに,新鮮なローヤルゼリーと40℃で30日間保存したローヤルゼリーとのあいだで成分組成の違いを調べ,さらに,違いの見い出された成分について女王バチへの分化に対する影響を観察した結果,ロイヤラクチンと命名したタンパク質,170 kDaタンパク質,450 kDaタンパク質が40℃での保存により分解していることがわかった.170 kDaタンパク質のまったく含まれない加熱されたローヤルゼリーでも女王バチへの分化に影響をあたえたことから,ロイヤラクチンと450 kDaタンパク質が女王バチへの分化を誘導する因子として機能する可能性が考えられた.精製したロイヤラクチンあるいは450 kDaタンパク質を含む培地でミツバチの幼虫を飼育したところ,ロイヤラクチンだけが女王バチへの分化を誘導した.また,同様の効果は大腸菌で発現させた組換えロイヤラクチンでもみられた.これらの結果から,ロイヤラクチンがローヤルゼリーに含まれる女王バチへの分化誘導因子であることが明らかになった.
2.ロイヤラクチンはショウジョウバエに対し女王バチ様の表現型を誘導する
ロイヤラクチンの女王バチへの分化誘導における作用機構について解析を行った.ミツバチには保存されている変異体がないため,発生生物学の研究でよく用いられ多数の変異体の存在するショウジョウバエを女王バチへの分化誘導機構の解析のためのモデル生物として使えないかと考え,ショウジョウバエに対するローヤルゼリーの影響を調べた.ショウジョウバエにローヤルゼリーだけを食べさせるとすぐに死んでしまったが,培地の組成の変化がショウジョウバエの表現型に及ぼす影響について検討した結果,ショウジョウバエの体の大きさを増加させることのできるような,ローヤルゼリーを含有する培地の組成をつきとめることに成功した.
さらに,対象生物をミツバチからショウジョウバエに変えローヤルゼリーの成分がショウジョウバエの表現型に及ぼす影響を検討した結果,ロイヤラクチンがショウジョウバエに対し,女王バチと同じように,体の大きさ,産卵数,寿命の増加を誘導することを明らかにした.このようなロイヤラクチンによる表現型の変化はロイヤラクチンをショウジョウバエの体内で過剰発現させた場合にもみられた.ローヤルゼリーにはロイヤラクチンのほか,MRJP2~MRJP5(MRJP:major royal jelly protein)の含まれていることが報告されているが,ロイヤラクチン以外のローヤルゼリータンパク質MRJP2~MRJP5の過剰発現ではロイヤラクチンと同じ効果はみられなかった.これらの結果は,ロイヤラクチンがミツバチのカースト分化誘導因子であることを支持する結果であった.また,これらの結果は,ロイヤラクチンがミツバチだけなく種をこえショウジョウバエにまで作用し,同じ遺伝子型をもつ個体をまったく異なる表現型をもつ個体へと誘導するエピジェネティックな因子であることを示しており,ミツバチのように生育環境が形質を変化させるという現象が生物に普遍に存在することを強く示唆していた.
3.ミツバチのカースト分化はロイヤラクチンがEGF受容体を介して誘導する
ローヤルゼリーを含有する培地で種々のショウジョウバエ変異体を飼育し,ロイヤラクチンによるショウジョウバエの女王バチ様の表現型への変化に関与するシグナルについて調べた.その結果,ロイヤラクチンはこれまで生物個体の体の大きさや寿命などの制御に中心的な役割を担っていることが知られていたインスリン受容体5) ではなく,脂肪体(哺乳類の肝臓に相当)のEGF受容体(EGF:epidermal growth factor,上皮成長因子)に作用しその下流シグナルを活性化させることによりショウジョウバエの体の大きさ,産卵数,寿命を増加させていることがわかった.EGF受容体の寿命への関与は今回はじめて見い出された知見である.
また,ロイヤラクチンによるショウジョウバエの体の大きさの増加においては,S6キナーゼがEGF受容体の下流で関与して細胞の大きさを増加させることで個体の体の大きさを増加させていることも明らかになった(図2).通常の生物個体は大きいものほど発生期間が長くかかるが,女王バチは体が大きいにもかかわらず早く羽化することが特徴である.この表現型はロイヤラクチンを摂取または過剰発現したショウジョウバエでもみられ,ロイヤラクチンが脂肪体のEGF受容体を介してMAPキナーゼを活性化し,さらに脱皮ホルモンの分泌を増加させることに起因していることが明らかになった(図2).さらに,幼若ホルモンが女王バチへの分化誘導のための重要な内因性因子であることはさきに述べたが,ロイヤラクチンはミツバチあるいはショウジョウバエのどちらに対してもEGF受容体を介して幼若ホルモンの分泌を誘導し,この幼若ホルモンの分泌誘導が幼若ホルモン受容体(Methoprene tolerant:Met)を介して卵黄タンパク質の発現を増加させ産卵数の増加に関与していることも明らかになった(図2).もう一方,ロイヤラクチンによる寿命の延長もEGF受容体を介していた.
このように,ショウジョウバエを用いた解析から明らかになったロイヤラクチンによる活性化シグナルが実際にミツバチの女王バチへの分化に関与しているかどうかを確認するため,ミツバチのRNAi試験を中心に詳細な解析を実施した結果,ショウジョウバエを対象とした解析と一致した結果が得られ,ミツバチにおいてもロイヤラクチンがEGF受容体シグナルを刺激して女王バチへの分化を誘導していることが明らかになった.
4.ロイヤラクチンの構造とその生理機能
ロイヤラクチンはmrjp1遺伝子の産物であり57 kDaの単量体からなる糖タンパク質である.一方,ミツバチのカースト分化に影響をあたえなかった450 kDaタンパク質は,MRJP1が6つ会合したアパルブミンと,そこに5.5 kDaのアピシミンが会合した多量体タンパク質である6).抗ロイヤラクチン抗体は450 kDaタンパク質を認識しなかったことや,450 kDaタンパク質からMRJP1やアピシミンを遊離させるには界面活性剤が必要であったことから,ロイヤラクチンと450 kDaタンパク質はローヤルゼリーにおいてまったく異なるタンパク質として存在していることが示唆された.また,40℃で30日保存したローヤルゼリーでは450 kDaタンパク質の90%が残存していたにもかかわらずミツバチの幼虫を働きバチへと分化させ,さらに,40℃で30日保存したローヤルゼリーに精製した450 kDaタンパク質をくわえても幼虫から女王バチへの分化を誘導しなかった.一方,ロイヤラクチンや大腸菌で発現した組換えロイヤラクチンは女王バチへの分化を誘導した.ロイヤラクチンはローヤルゼリーに2%含まれているが,40℃で30日保存したローヤルゼリーにロイヤラクチンを2%まで添加した場合には,ローヤルゼリーを添加したときと同じ程度まで女王バチへの分化を促進させた.これらの結果から,ローヤルゼリーに含まれるMRJP1の単量体であるロイヤラクチンのみがミツバチのカースト分化誘導因子として機能することが明らかになった.
筆者はこれまでに,ロイヤラクチンがラット肝細胞の表面のEGF受容体に直接に結合することにより肝細胞に対しEGF様の作用を示すことを明らかにしている7).さらに,ロイヤラクチンはミツバチあるいはショウジョウバエに由来するEGF受容体を発現させたS2細胞においてEGF受容体のリン酸化を促進しMAPキナーゼやS6キナーゼを活性化することも明らかにした.ロイヤラクチンはEGFと1次構造において相同性はみられないが,これまでにエリスロポエチンやトロンボポエチンにおいて,1次構造のまったく異なるペプチドライブラリーからスクリーニングされたペプチドが天然型のリガンドと同じ生理効果を発揮したことが報告されていることから8,9),ロイヤラクチンのEGF様の作用においてもこのケースがあてはまったものと推察された.
おわりに
このように,筆者は,ミツバチの女王バチへの分化誘導因子としてロイヤラクチンを見い出し,その作用機構を明らかにした.ロイヤラクチンはEGF受容体の下流においてTORも活性化している.糖質はTORを活性して細胞の成長に関与することが報告されていることから10),糖質によりカースト分化が誘導されたというこれまでの知見は,ロイヤラクチンの下流のTORを擬似的に活性化したことによりもたらされたものと推察された.ロイヤラクチンがEGF受容体の下流において幼若ホルモンの分泌誘導も促進することから,今回,明らかにした結果は過去のミツバチのカースト分化について報告された知見をすべて集約するものであった.
これまでに,個体のサイズや寿命の制御における中心はインスリン受容体であることがいわれており,ミツバチのカースト分化の制御においてもインスリン受容体がかかわっているものと考えられていた.しかし,今回の解析により,インスリン受容体ではなくEGF受容体が女王バチへの分化に重要であることが明らかになり,個体のサイズや寿命の制御における新たなシグナルの存在を明示することができた.これは,個体発生の研究に対し新たな視点を提供するものであり,生物学的に意義のある知見であると考えられる.一方,今回の成果の応用面としては,in vitro飼育系で生育させた女王バチが実際の女王バチとして機能できれば,女王バチの安定供給のための新たな飼育法として活用できる可能性がある.さらに,今回の解析により女王バチと働きバチとの分化のポイントが明らかになったことから,今後,さらにミツバチの脳における神経の発生分化の分子機構を解析することで,農業において深刻な問題となっているミツバチが突然失踪する現象(蜂群崩壊症候群)の解明にもつながるものと期待できる.
文 献
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著者プロフィール
略歴:1996年 京都大学大学院農学研究科 修了,同年 天野製薬 研究員,1998年 ポーラ化成工業 研究員,2003年 富山県立大学工学部 助教を経て,2008年より同 講師.
研究テーマ:ミツバチのカースト分化誘導の機構および神経発生の機構の解明.
抱負:ひとつでも多くの生命現象の原理を明らかにし,最終的に世のため人のため社会のためになる基礎研究をしていきたいと思います.
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