胃プロトンポンプの結晶構造
阿部 一啓
(名古屋大学細胞生理学研究センター 細胞生理学研究部門)
email:阿部一啓
DOI: 10.7875/first.author.2018.042
Crystal structures of the gastric proton pump.
Kazuhiro Abe, Katsumasa Irie, Hanayo Nakanishi, Hiroshi Suzuki, Yoshinori Fujiyoshi
Nature, 556, 214-218 (2018)
胃プロトンポンプH+,K+-ATPaseは胃の内部をpH 1にまで酸性化する,P型ATPaseに分類される膜タンパク質である.これは胃壁細胞の細胞膜をへだてて100万倍ものH+濃度勾配に相当し,少なくとも哺乳類において知られるかぎり最大のイオン濃度勾配である.また,H+,K+-ATPaseは胃酸に関連する疾患に対する創薬の標的でもある.この研究において,筆者らは,H+,K+-ATPaseが2種類の薬剤,vonoprazanあるいはSCH28080と結合し,胃の内腔の側にゲートの開いた状態となった結晶構造を2.8Å分解能で解析した.vonoprazanあるいはSCH28080との結合部位は,部分的にはオーバーラップしていたものの,それぞれ明確に区別されるかたちでイオン結合部位から胃の内腔へとつながるイオンの通路に結合し,まさにこれをブロックしていた.結晶構造から,イオン結合部位における特徴的な荷電アミノ酸の配置によりGlu820の酸解離定数が低下し,胃の内部のpH 1という強酸性の環境にむけH+を放出するようになることが示唆された.
食物を消化するとき胃の内部はpH 1という強酸性の環境にさらされる.これは,タンパク質の消化や外部からの病原体に対する障壁として生理的に重要である.しかしながら,胃酸の過多は胃潰瘍や逆流性食道炎といった症状をひき起こす.また,胃がんの危険因子であるピロリ菌の除菌には抗生物質とともに胃酸抑制剤が用いられる.omeprazoleなどに代表されるプロトンポンプ阻害薬や,最近になり開発された新しいクラスの薬剤であるvonoprazanなどのK+競合型アシドブロッカーは,どちらも胃酸に関連する病態の治療に用いられている.胃プロトンポンプH+,K+-ATPaseは過度な胃酸の分泌を治療するための分子標的である.
H+,K+-ATPaseによるイオンの輸送反応(図1)は,ほかのP型ATPaseと同様に,Post-Albers型の反応機構1),すなわち,E1状態,E2状態およびそれぞれが自己リン酸化されたE1P状態,E2P状態という異なるコンフォメーションを遷移することにより達成される.ATPにより駆動される細胞外(胃の内腔)へのH+の放出および細胞内へのK+の輸送における化学量論は,中性の状態においては1分子のATPの加水分解あたり2H+:2K+であるが,これは胃の内部が酸性化されるにともない1H+:1K+へと変化すると考えられてきた2).
H+,K+-ATPaseは2つのサブユニットから構成される.触媒能をもつαサブユニットは類縁のP2型ATPaseであるNa+,K+-ATPase 3) や筋小胞体Ca2+-ATPase 4) と高い相同性をもつ.このαサブユニットは,イオン結合部位を内包する10本の膜貫通ヘリックスM1~M10と,Aドメイン(actuator),Pドメイン(phosphorylation),Nドメイン(nucleotide-binding)ドメインの3つのドメインからなる細胞質領域から構成される.これにくわえ,H+,K+-ATPaseはβサブユニットを必要とし,これらが1対1で会合したαβ複合体として機能を発揮する.
H+,K+-ATPaseは中性の細胞質から胃の内部のpH 1の酸性溶液へとH+を輸送するわけであるが,これは100万倍のH+濃度勾配に相当する.とくに,pH 1の溶液へとH+を放出することは,アミノ酸残基だけで構成されるタンパク質としてはかなりチャレンジングな仕事である.なぜなら,H+の結合および解離にかかわる酸性アミノ酸の酸解離定数は通常3~5であり,これは,pH 1の溶液へのH+の放出はほとんど起こらないことを意味するからである.この問題は,いまから40年以上まえにH+,K+-ATPaseが発見されて以来5),長いあいだ謎であった.
ブタに由来するH+,K+-ATPaseを改変バキュロウイルスを介しHEK293S細胞GnT1-株に発現させた6).精製の過程においてアフィニティタグやβサブユニットに6箇所あるN-結合型糖鎖を除去し,脂質の存在下において結晶化させることにより,ほかのP型ATPaseと同様にタイプIの3次元結晶が得られ,結晶構造が2.8Å分解能で解析された(PDB ID:5YLU,図2a).結晶はリン酸のアナログであるBeFおよびK+競合型アシドブロッカーであるvonoprazanあるいはSCH28080の存在下において生成されたことから,K+競合型アシドブロッカーがもっとも高い親和性で結合するE2P状態であると考えられた.実際に,PドメインにはBeFが結合しており,膜貫通領域に存在するイオン結合部位と胃の内腔とをつなぐイオンの通路にはK+競合型アシドブロッカーが結合していた.細胞質ドメインの相対的な位置や,イオン輸送のゲートが胃の内腔(細胞外)にむけ開かれていたことから,この構造はH+を放出した直後の内腔に開いたE2P状態であることがわかった.
2種類の薬剤,vonoprazan 7) あるいはSCH28080 8) は,どちらも胃の内腔にむけ開いた,イオン結合部位と胃の内腔をつなぐイオンの通路に,部分的にオーバーラップしていたものの明確に区別できるかたちで結合していた.イオンの通路をふさぐような結合の様式は,これらの薬剤によるK+と競合的な阻害の様式をよく説明するものであった(図2 b, c).
得られた電子密度図はこれら化合物の官能基の位置や配向を特定するのに十分な解像度をもっていた.それぞれの薬剤との結合に対し共通して重要なアミノ酸残基や,一方の薬剤との結合にだけ重要なアミノ酸残基がいくつかみつかり,これは変異体における薬剤の親和性の測定により裏づけられた.薬剤とH+,K+-ATPaseとの結合は,どちらの場合もほとんど疎水的なものであった.タンパク質の部分の結合部位にすっぽりとはまり込むことにより薬剤の周囲から水が排除され,薬剤の結合にとり好ましいエントロピーの上昇をあたえていた.このような結合の様式は,ほとんどの酸性アミノ酸残基が電荷をもたないと考えられるpH 1という溶液においてリーズナブルなものであった.
Post-Albers型の反応機構によれば,内腔に開いたE2P状態は,H+が細胞外へと放出された直後,対向輸送イオンであるK+が細胞外から結合する直前の状態ということになる(図1).事実,イオン結合部位は,構造に結合していた薬剤を仮に取り除くと,イオンの通路を介して胃の内腔の溶液とつながっていた.胃から調製した小胞を用いたH+の輸送に関する過去の報告によれば,H+,K+-ATPaseは中性の状態において1分子のATPの加水分解と共役して2つのH+と2つのK+を対向輸送する.しかしながら,ATPの加水分解から得られる自由エネルギーによる制限から,胃の内部がpH 3以下の酸性の条件においては,対向輸送されるH+およびK+の数はそれぞれ1つにならざるをえない2).このような,イオン輸送の化学量論が細胞外のpHにより変化するためには酸解離定数の異なる2つのH+結合部位が必要であることが考えられたが,詳細はいっさい不明であった.
H+,K+-ATPaseやNa+,K+-ATPaseを対象とした過去の変異体の解析から,M4あるいはM6に存在するいくつかの酸性アミノ酸残基がイオンの輸送にかかわることが知られていたが,このほか,M5に存在するLys791の関与が指摘されていた.Lys791はH+,K+-ATPaseにのみ普遍的に保存されており,Na+,K+-ATPaseや筋小胞体Ca2+-ATPaseにおいてはSerに置換されている.Lys791はイオン輸送部位に存在する唯一の塩基性アミノ酸残基として,H+,K+-ATPaseにおけるH+の輸送など重要な性質にかかわることが指摘されてきた9).
イオン結合部位の構造(図2d)においてまず目をひくのは,非常に近接したGlu795とGlu820である.これら酸性アミノ酸残基は通常は負に帯電しているので,この近接した構造は少なくともどちらかのGluがH+と結合していることを意味する.Glu795をGlnに置換した変異体は野生型とほぼ変わらない活性プロファイルを示したことから,この場合,Glu795はH+と結合した状態にあると考えられた.したがって,Glu820はGlu795と水素結合を形成していることになる.このほかにも,Glu820はAsn792や近傍の水と水素結合を形成しており,Glu820を中心とした水素結合ネットワークが形成されていた.これにくわえ,Lys791のアミノ基はGlu820と塩橋を形成できる距離に存在していた.このように,まわりから多くの極性の相互作用をうけるGlu820のカルボキシル基のおかれた特異な環境により,Glu820の酸解離定数は大きく低下する(つまり,H+が解離しやすくなる)ことが示唆され,Glu820はH+を放出する部位の有力な候補といえた.
このような酸性アミノ酸残基の近接した構造は多くの酵素の活性中心にみられる.H+,K+-ATPaseと同様に胃ではたらく消化酵素ペプシンもそのひとつである.ペプシンの場合,活性中心に存在する2つのAspが近接しており,互いの酸解離定数を大きく変化させることにより触媒能を発揮する.また,ペプシンの外側に存在する酸性の側鎖のいくつかは,多くの水素結合や塩橋により胃の内部の酸性の環境においてもその電離した状態を維持することにより,ペプシンが水和した状態に寄与すると考えられている10).
もう一方のGlu343であるが,こちらもP2型ATPaseにおいて高度に保存されており,イオンの輸送への関与が報告されている.結晶構造をみると,Glu343はLys791,Glu795,Glu820とははなれた位置にあり,したがって,胃の内部が酸性の場合にはH+を解離せず,弱酸性から中性の状態のときにのみH+を放出すると考えられた.
Glu343,Glu795,Glu820はH+,K+-ATPaseに普遍的に保存されているが,Glu820はNa+,K+-ATPaseやH+と同様にNa+を輸送するともいわれている非胃型のH+,K+-ATPaseにおいては,これより側鎖の短いAspに置換されている.より側鎖の長いGluであることが,H+との親和性を低下させるためにまわりの極性基と相互作用するという点で有利なのかもしれないし,また,H+とNa+の特異性にもかかわる可能性がある.
H+の胃の内腔への放出について,以下のようなモデルが考えられた(図3).細胞内から取り込まれたH+を閉塞したE1P状態において,イオン結合部位に存在する3つのGluはすべてH+を結合した状態にあると考えられる.これが構造変化によりE2P状態,すなわち,細胞外(胃の内腔)にゲートを開いた状態になると,Glu820にGlu795が近接し酸解離定数を低下させる.これにくわえ,正電荷をもつLys791のアミノ基が相互作用することにより,もはやGlu820はH+を保持することができず,外部の溶液のpHにかかわらずH+は解離する.Glu795はイオンの通路の壁に露出しており,Glu820から押し出されたH+が,おそらく水素結合をへて,ちょうどビリヤードの玉が押し出されるように1つだけ遊離する.Glu343はそれ自体の酸解離定数に依存してH+を1つ解離する.この機構は,胃の内腔が酸性になるにつれてイオン輸送の化学量論が2個から1個へと変化するという仮説2) をよく説明する.H+を放出したのち,H+,K+-ATPaseはK+と結合することにより反応サイクルが進行する.K+がGlu820に配位することでLys791との塩橋が解離し,H+を閉塞したE1P状態へと移行すると考えられる.
この研究により,H+,K+-ATPaseがどのようにしてpH 1の胃酸に対しH+を放出するのか? という長年の謎に対し,構造的な証拠が示された.これまでに,多くの研究者が必死に積み重ねてきた機能解析のデータや,阻害薬としてはたらく胃酸抑制剤,そして,近縁のP型ATPaseの多くの結晶構造がなければ,今回の結論は決して導き出されない.あらためて,これまでの研究データの含蓄に感嘆するとともに,この結論に近いものを予測した慧眼11) に畏敬の念を禁じ得ない.結晶構造は道のおわりでは決してないが,ゴールにたどりつくためには構造が非常に有用であるのも事実である.細胞膜をへだてた100万倍のH+濃度勾配を分子レベルで理解するためには,どのようにH+が放出されるかだけでは不十分である.放出されるしくみが理解されたことで,今度は,どのように中性の(H+の濃度の低い)溶液からH+だけを取り込むのか? という逆の疑問が浮上してくる.ダイナミックに構造が変化するH+,K+-ATPaseの作動機構の理解には,まだまだ残されたピースが多い.
略歴:2004年 北海道大学大学院理学研究科博士後期課程 修了,同年 京都大学大学院理学研究科 博士研究員,2009年 バイオ産業情報化コンソーシアム 特別研究員,2013年 名古屋大学細胞生理学研究センター 助教を経て,2016年より同 准教授.
研究テーマ:能動輸送体の機能構造解析.
関心事:膜タンパク質,ビール,ウイスキー.
© 2018 阿部 一啓 Licensed under CC 表示 2.1 日本
(名古屋大学細胞生理学研究センター 細胞生理学研究部門)
email:阿部一啓
DOI: 10.7875/first.author.2018.042
Crystal structures of the gastric proton pump.
Kazuhiro Abe, Katsumasa Irie, Hanayo Nakanishi, Hiroshi Suzuki, Yoshinori Fujiyoshi
Nature, 556, 214-218 (2018)
要 約
胃プロトンポンプH+,K+-ATPaseは胃の内部をpH 1にまで酸性化する,P型ATPaseに分類される膜タンパク質である.これは胃壁細胞の細胞膜をへだてて100万倍ものH+濃度勾配に相当し,少なくとも哺乳類において知られるかぎり最大のイオン濃度勾配である.また,H+,K+-ATPaseは胃酸に関連する疾患に対する創薬の標的でもある.この研究において,筆者らは,H+,K+-ATPaseが2種類の薬剤,vonoprazanあるいはSCH28080と結合し,胃の内腔の側にゲートの開いた状態となった結晶構造を2.8Å分解能で解析した.vonoprazanあるいはSCH28080との結合部位は,部分的にはオーバーラップしていたものの,それぞれ明確に区別されるかたちでイオン結合部位から胃の内腔へとつながるイオンの通路に結合し,まさにこれをブロックしていた.結晶構造から,イオン結合部位における特徴的な荷電アミノ酸の配置によりGlu820の酸解離定数が低下し,胃の内部のpH 1という強酸性の環境にむけH+を放出するようになることが示唆された.
はじめに
食物を消化するとき胃の内部はpH 1という強酸性の環境にさらされる.これは,タンパク質の消化や外部からの病原体に対する障壁として生理的に重要である.しかしながら,胃酸の過多は胃潰瘍や逆流性食道炎といった症状をひき起こす.また,胃がんの危険因子であるピロリ菌の除菌には抗生物質とともに胃酸抑制剤が用いられる.omeprazoleなどに代表されるプロトンポンプ阻害薬や,最近になり開発された新しいクラスの薬剤であるvonoprazanなどのK+競合型アシドブロッカーは,どちらも胃酸に関連する病態の治療に用いられている.胃プロトンポンプH+,K+-ATPaseは過度な胃酸の分泌を治療するための分子標的である.
H+,K+-ATPaseによるイオンの輸送反応(図1)は,ほかのP型ATPaseと同様に,Post-Albers型の反応機構1),すなわち,E1状態,E2状態およびそれぞれが自己リン酸化されたE1P状態,E2P状態という異なるコンフォメーションを遷移することにより達成される.ATPにより駆動される細胞外(胃の内腔)へのH+の放出および細胞内へのK+の輸送における化学量論は,中性の状態においては1分子のATPの加水分解あたり2H+:2K+であるが,これは胃の内部が酸性化されるにともない1H+:1K+へと変化すると考えられてきた2).
H+,K+-ATPaseは2つのサブユニットから構成される.触媒能をもつαサブユニットは類縁のP2型ATPaseであるNa+,K+-ATPase 3) や筋小胞体Ca2+-ATPase 4) と高い相同性をもつ.このαサブユニットは,イオン結合部位を内包する10本の膜貫通ヘリックスM1~M10と,Aドメイン(actuator),Pドメイン(phosphorylation),Nドメイン(nucleotide-binding)ドメインの3つのドメインからなる細胞質領域から構成される.これにくわえ,H+,K+-ATPaseはβサブユニットを必要とし,これらが1対1で会合したαβ複合体として機能を発揮する.
H+,K+-ATPaseは中性の細胞質から胃の内部のpH 1の酸性溶液へとH+を輸送するわけであるが,これは100万倍のH+濃度勾配に相当する.とくに,pH 1の溶液へとH+を放出することは,アミノ酸残基だけで構成されるタンパク質としてはかなりチャレンジングな仕事である.なぜなら,H+の結合および解離にかかわる酸性アミノ酸の酸解離定数は通常3~5であり,これは,pH 1の溶液へのH+の放出はほとんど起こらないことを意味するからである.この問題は,いまから40年以上まえにH+,K+-ATPaseが発見されて以来5),長いあいだ謎であった.
1.H+,K+-ATPaseの全体構造
ブタに由来するH+,K+-ATPaseを改変バキュロウイルスを介しHEK293S細胞GnT1-株に発現させた6).精製の過程においてアフィニティタグやβサブユニットに6箇所あるN-結合型糖鎖を除去し,脂質の存在下において結晶化させることにより,ほかのP型ATPaseと同様にタイプIの3次元結晶が得られ,結晶構造が2.8Å分解能で解析された(PDB ID:5YLU,図2a).結晶はリン酸のアナログであるBeFおよびK+競合型アシドブロッカーであるvonoprazanあるいはSCH28080の存在下において生成されたことから,K+競合型アシドブロッカーがもっとも高い親和性で結合するE2P状態であると考えられた.実際に,PドメインにはBeFが結合しており,膜貫通領域に存在するイオン結合部位と胃の内腔とをつなぐイオンの通路にはK+競合型アシドブロッカーが結合していた.細胞質ドメインの相対的な位置や,イオン輸送のゲートが胃の内腔(細胞外)にむけ開かれていたことから,この構造はH+を放出した直後の内腔に開いたE2P状態であることがわかった.
2.薬剤との結合部位の構造
2種類の薬剤,vonoprazan 7) あるいはSCH28080 8) は,どちらも胃の内腔にむけ開いた,イオン結合部位と胃の内腔をつなぐイオンの通路に,部分的にオーバーラップしていたものの明確に区別できるかたちで結合していた.イオンの通路をふさぐような結合の様式は,これらの薬剤によるK+と競合的な阻害の様式をよく説明するものであった(図2 b, c).
得られた電子密度図はこれら化合物の官能基の位置や配向を特定するのに十分な解像度をもっていた.それぞれの薬剤との結合に対し共通して重要なアミノ酸残基や,一方の薬剤との結合にだけ重要なアミノ酸残基がいくつかみつかり,これは変異体における薬剤の親和性の測定により裏づけられた.薬剤とH+,K+-ATPaseとの結合は,どちらの場合もほとんど疎水的なものであった.タンパク質の部分の結合部位にすっぽりとはまり込むことにより薬剤の周囲から水が排除され,薬剤の結合にとり好ましいエントロピーの上昇をあたえていた.このような結合の様式は,ほとんどの酸性アミノ酸残基が電荷をもたないと考えられるpH 1という溶液においてリーズナブルなものであった.
3.H+を胃の内腔へと放出する機構
Post-Albers型の反応機構によれば,内腔に開いたE2P状態は,H+が細胞外へと放出された直後,対向輸送イオンであるK+が細胞外から結合する直前の状態ということになる(図1).事実,イオン結合部位は,構造に結合していた薬剤を仮に取り除くと,イオンの通路を介して胃の内腔の溶液とつながっていた.胃から調製した小胞を用いたH+の輸送に関する過去の報告によれば,H+,K+-ATPaseは中性の状態において1分子のATPの加水分解と共役して2つのH+と2つのK+を対向輸送する.しかしながら,ATPの加水分解から得られる自由エネルギーによる制限から,胃の内部がpH 3以下の酸性の条件においては,対向輸送されるH+およびK+の数はそれぞれ1つにならざるをえない2).このような,イオン輸送の化学量論が細胞外のpHにより変化するためには酸解離定数の異なる2つのH+結合部位が必要であることが考えられたが,詳細はいっさい不明であった.
H+,K+-ATPaseやNa+,K+-ATPaseを対象とした過去の変異体の解析から,M4あるいはM6に存在するいくつかの酸性アミノ酸残基がイオンの輸送にかかわることが知られていたが,このほか,M5に存在するLys791の関与が指摘されていた.Lys791はH+,K+-ATPaseにのみ普遍的に保存されており,Na+,K+-ATPaseや筋小胞体Ca2+-ATPaseにおいてはSerに置換されている.Lys791はイオン輸送部位に存在する唯一の塩基性アミノ酸残基として,H+,K+-ATPaseにおけるH+の輸送など重要な性質にかかわることが指摘されてきた9).
イオン結合部位の構造(図2d)においてまず目をひくのは,非常に近接したGlu795とGlu820である.これら酸性アミノ酸残基は通常は負に帯電しているので,この近接した構造は少なくともどちらかのGluがH+と結合していることを意味する.Glu795をGlnに置換した変異体は野生型とほぼ変わらない活性プロファイルを示したことから,この場合,Glu795はH+と結合した状態にあると考えられた.したがって,Glu820はGlu795と水素結合を形成していることになる.このほかにも,Glu820はAsn792や近傍の水と水素結合を形成しており,Glu820を中心とした水素結合ネットワークが形成されていた.これにくわえ,Lys791のアミノ基はGlu820と塩橋を形成できる距離に存在していた.このように,まわりから多くの極性の相互作用をうけるGlu820のカルボキシル基のおかれた特異な環境により,Glu820の酸解離定数は大きく低下する(つまり,H+が解離しやすくなる)ことが示唆され,Glu820はH+を放出する部位の有力な候補といえた.
このような酸性アミノ酸残基の近接した構造は多くの酵素の活性中心にみられる.H+,K+-ATPaseと同様に胃ではたらく消化酵素ペプシンもそのひとつである.ペプシンの場合,活性中心に存在する2つのAspが近接しており,互いの酸解離定数を大きく変化させることにより触媒能を発揮する.また,ペプシンの外側に存在する酸性の側鎖のいくつかは,多くの水素結合や塩橋により胃の内部の酸性の環境においてもその電離した状態を維持することにより,ペプシンが水和した状態に寄与すると考えられている10).
もう一方のGlu343であるが,こちらもP2型ATPaseにおいて高度に保存されており,イオンの輸送への関与が報告されている.結晶構造をみると,Glu343はLys791,Glu795,Glu820とははなれた位置にあり,したがって,胃の内部が酸性の場合にはH+を解離せず,弱酸性から中性の状態のときにのみH+を放出すると考えられた.
Glu343,Glu795,Glu820はH+,K+-ATPaseに普遍的に保存されているが,Glu820はNa+,K+-ATPaseやH+と同様にNa+を輸送するともいわれている非胃型のH+,K+-ATPaseにおいては,これより側鎖の短いAspに置換されている.より側鎖の長いGluであることが,H+との親和性を低下させるためにまわりの極性基と相互作用するという点で有利なのかもしれないし,また,H+とNa+の特異性にもかかわる可能性がある.
4.H+の胃の内腔への放出のモデル
H+の胃の内腔への放出について,以下のようなモデルが考えられた(図3).細胞内から取り込まれたH+を閉塞したE1P状態において,イオン結合部位に存在する3つのGluはすべてH+を結合した状態にあると考えられる.これが構造変化によりE2P状態,すなわち,細胞外(胃の内腔)にゲートを開いた状態になると,Glu820にGlu795が近接し酸解離定数を低下させる.これにくわえ,正電荷をもつLys791のアミノ基が相互作用することにより,もはやGlu820はH+を保持することができず,外部の溶液のpHにかかわらずH+は解離する.Glu795はイオンの通路の壁に露出しており,Glu820から押し出されたH+が,おそらく水素結合をへて,ちょうどビリヤードの玉が押し出されるように1つだけ遊離する.Glu343はそれ自体の酸解離定数に依存してH+を1つ解離する.この機構は,胃の内腔が酸性になるにつれてイオン輸送の化学量論が2個から1個へと変化するという仮説2) をよく説明する.H+を放出したのち,H+,K+-ATPaseはK+と結合することにより反応サイクルが進行する.K+がGlu820に配位することでLys791との塩橋が解離し,H+を閉塞したE1P状態へと移行すると考えられる.
おわりに
この研究により,H+,K+-ATPaseがどのようにしてpH 1の胃酸に対しH+を放出するのか? という長年の謎に対し,構造的な証拠が示された.これまでに,多くの研究者が必死に積み重ねてきた機能解析のデータや,阻害薬としてはたらく胃酸抑制剤,そして,近縁のP型ATPaseの多くの結晶構造がなければ,今回の結論は決して導き出されない.あらためて,これまでの研究データの含蓄に感嘆するとともに,この結論に近いものを予測した慧眼11) に畏敬の念を禁じ得ない.結晶構造は道のおわりでは決してないが,ゴールにたどりつくためには構造が非常に有用であるのも事実である.細胞膜をへだてた100万倍のH+濃度勾配を分子レベルで理解するためには,どのようにH+が放出されるかだけでは不十分である.放出されるしくみが理解されたことで,今度は,どのように中性の(H+の濃度の低い)溶液からH+だけを取り込むのか? という逆の疑問が浮上してくる.ダイナミックに構造が変化するH+,K+-ATPaseの作動機構の理解には,まだまだ残されたピースが多い.
文 献
- Post, R. L., Kume, S., Tobin, T. et al.: Flexibility of an active center in sodium-plus-potassium adenosine triphosphatase. J. Gen. Physiol., 54, 306S-326S (1969)[PubMed]
- Rabon, E. C., McFall, T. L. & Sachs, G.: The gastric [H,K]ATPase:H+/ATP stoichiometry. J. Biol. Chem., 257, 6296-6299 (1982)[PubMed]
- Morth, J. P., Pedersen, B. P., Toustrup-Jensen, M. S. et al.: Crystal structure of the sodium-potassium pump. Nature, 450, 1043-1049 (2007)[PubMed]
- Toyoshima, C., Nakasako, M., Nomura, H. et al.: Crystal structure of the calcium pump of sarcoplasmic reticulum at 2.6Å resolution. Nature, 405, 647-655 (2000)[PubMed]
- Ganser, A. & Forte, J. G.: K+-stimulated ATPase in purified microsomes of bullfrog oxyntic cells. Biochim. Biophys. Acta, 307, 169-180 (1973)[PubMed]
- Dukkipati, A., Park, H. H., Waghray, D. et al.: BacMam system for high-level expression of recombinant soluble and membrane glycoproteins for structural studies. Protein Expr. Purif., 62, 160-170 (2008)[PubMed]
- Otake, K., Sakurai, Y., Nishida, H. et al.: Characteristics of the novel potassium-competitive acid blocker vonoprazan fumarate (TAK-438). Adv. Ther., 33, 1140-1157 (2016)[PubMed]
- Kaminski, J. J., Wallmark, B., Briving, C. et al.: Antiulcer agents. 5. Inhibition of gastric H+/K+-ATPase by substituted imidazo[1,2-a]pyridines and related analogues and its implication in modeling the high affinity potassium ion binding site of the gastric proton pump enzyme. J. Med. Chem., 34, 533-541 (1991)[PubMed]
- Durr, K. L., Seuffert, I. & Friedrich, T.: Deceleration of the E1P-E2P transition and ion transport by mutation of potentially salt bridge-forming residues Lys-791 and Glu-820 in gastric H+/K+-ATPase. J. Biol. Chem., 285, 39366-39379 (2010)[PubMed]
- Sielecki, A. R., Fedorov, A. A., Boodhoo, A. et al.: Molecular and crystal structures of monoclinic porcine pepsin refined at 1.8Å resolution. J. Mol. Biol., 214, 143-170 (1990)[PubMed]
- Munson, K., Garcia, R. & Sachs, G.: Inhibitor and ion binding sites on the gastric H,K-ATPase. Biochemistry, 44, 5267-5284 (2005)[PubMed]
活用したデータベースにかかわるキーワードと統合TVへのリンク
著者プロフィール
略歴:2004年 北海道大学大学院理学研究科博士後期課程 修了,同年 京都大学大学院理学研究科 博士研究員,2009年 バイオ産業情報化コンソーシアム 特別研究員,2013年 名古屋大学細胞生理学研究センター 助教を経て,2016年より同 准教授.
研究テーマ:能動輸送体の機能構造解析.
関心事:膜タンパク質,ビール,ウイスキー.
© 2018 阿部 一啓 Licensed under CC 表示 2.1 日本