海馬においてリップル波は神経回路をクールダウンする
乘本裕明1,2・藤澤茂義2・池谷裕二1
(1東京大学大学院薬学系研究科 薬品作用学教室,2理化学研究所脳科学総合研究センター システム神経生理学研究チーム)
email:池谷裕二
DOI: 10.7875/first.author.2018.024
Hippocampal ripples down-regulate synapses.
Hiroaki Norimoto, Kenichi Makino, Mengxuan Gao, Yu Shikano, Kazuki Okamoto, Tomoe Ishikawa, Takuya Sasaki, Hiroyuki Hioki, Shigeyoshi Fujisawa, Yuji Ikegaya
Science, 359, 1524-1527 (2018)
海馬において長期増強は記憶の素子である一方,長期間にわたり海馬に記憶は保持されない.このことから,海馬には長期増強を消去する自発的な機構が存在することが示唆される.長期増強を消去する機構として長期抑圧があげられるが,長期抑圧がどのようにして自発的にひき起こされるのか,根源的な問いであるにもかかわらず明らかにされていない.この研究において,筆者らは,海馬においてリップル波という脳波が長期抑圧をひき起こすことを明らかにした.また,長期抑圧がひき起こされる結果,新奇の経験に関連しないニューロンの神経活動が選択的に抑制された.この自発的に生じるニューロンの神経活動により,海馬から大脳皮質へと伝達される情報のシグナル/ノイズ比が上昇し,精度の高い情報処理が実現されることが示唆された.
海馬においてシナプスの多くはさまざまなタイプの神経活動に依存する可塑性を示す.もっとも典型的な可塑性は長期増強(long-term potentiation:LTP)とよばれ,シナプスの結合強度が長期的に強まる現象である.長期増強は記憶が成立するうえで不可欠であると考えられているが,人工的な刺激によりマウスの海馬に長期増強をひき起こしつづけると記憶の機能が飽和することが報告されている1).この事実から,生じた長期増強はほかのなんらかの機構により弱められていることが示唆される.
覚醒しているときに長期増強の側にかたよったシナプスの結合強度は,睡眠によりもとの状態にもどされるという“シナプスホメオスタシス仮説”が提唱されている2).実際に,睡眠しているときには海馬や大脳皮質において自発的に長期抑圧(long-tern depression:LTD)がひき起こされることが示されている3).これらの知見から,睡眠時に生じる自発的な神経活動が長期抑圧をひき起こすことが考えられる.
睡眠時の海馬において観察される脳波のひとつにリップル波(sharp wave ripple)がある.学習の直後の睡眠においてリップル波を観察すると,その頻度が一過的に上昇することが知られている4).このことから,筆者らは,リップル波が学習により興奮した神経回路をクールダウンしているのではないかと仮説をたてた.
睡眠中のマウスからニューロンどうしのつながりの強さの指標である興奮性後シナプス場電位を記録した.すると,睡眠の経過とともに興奮性後シナプス場電位は減弱した.つまり,睡眠中の海馬においてニューロンのあいだのつながりが自然と弱まることが確認された.睡眠中に生じるリップル波の発生を光遺伝学的な手法を用いて選択的に阻害したところ,興奮性後シナプス場電位の減弱は観察されなくなった.このまま7時間にわたりリップル波の発生を阻害しつづけると,十分な睡眠をとっているにもかかわらず,神経回路の興奮性は高いままで長期抑圧はひき起こされなかった.このマウスに物体位置認識試験を施行したところ,学習成績が低下し,これは睡眠を剥奪する処置をしたマウスの成績と似ていた(図1).
同様の現象は摘出した海馬においても観察された.海馬の切片は通常はリップル波を発生しないが,ニューロンの結合が多く残存するように作製すると自発的にリップル波を発生する.この切片から興奮性後シナプス場電位を記録したところ,マウス個体と同じように,徐々に減弱するようすが確認された.これはNMDA受容体に依存する可塑性であった.この減弱もリップル波の発生を阻害することによりみられなくなった.
以上の結果から,海馬においてリップル波はニューロンのあいだのつながりを弱めることにより神経回路をクールダウンしていることが明らかにされた.
長期抑圧はすべてのシナプスにおいてひき起こされるのだろうか.このことを調べるため,記憶にかかわったニューロンを標識できるトランスジェニックマウスに新奇の環境を探索させ,そのマウスから海馬の切片を作製して,リップル波が発生しているときのニューロンの神経活動を観察した.新奇の経験に関与したニューロンとそうでないニューロンを区別しながら神経活動を観察するため,Ca2+蛍光指示薬を用いたイメージングを実施した.すると,すでに知られているように,新奇の経験にかかわったニューロンのほうが,かかわっていないニューロンに比べ,リップル波が発生しているときに高い神経活動を示すことがわかった5).しかし,この神経活動の差は,記録の初期においてはそれほど明確でなく,時間の経過にともない顕著になった.くわしく調べると,新奇の経験のときに活動しなかったニューロンの神経活動が弱まることにより差が生じていることがわかった.この現象は,NMDA受容体の拮抗薬であるMK801により阻害された.つまり,リップル波は直前の学習に関与したニューロンにおいてはニューロンのあいだのつながりを減弱させず,NMDA受容体を介した可塑性により記憶とは無関係なノイズの成分を低下させ,情報のシグナル/ノイズ比を高めることに寄与することが明らかにされた.
マウス個体の海馬においてもこの選択的な可塑性が生じるのかどうかを確認するため,場所細胞のメモリーリアクティベーションを記録した.メモリーリアクティベーションとは,動物が課題を遂行したのちの睡眠あるいは安静な状態において,課題を遂行しているときと類似した神経活動が観察される現象のことである6).これは,おもにリップル波に生じることが知られており,記憶の固定との関与が示唆されている7).新奇の環境を探索させたマウスの睡眠において,睡眠の初期においては,新奇の環境をコードする場所細胞,ホームケージをコードする場所細胞,場所をコードしない細胞,の3つのグループがともにリップル波において高い発火率を示していたが,新奇の環境をコードする場所細胞のほかは,時間が経過するにつれその発火率は徐々に低下した.この作用はNMDA受容体の拮抗薬であるMK801により阻害された.
以上の結果から,海馬において睡眠中に生じる長期抑圧は直前の新奇の経験に関与したニューロンには生じないことが示唆された.
これまで,リップル波は記憶の固定において重要であると考えられてきたが,具体的にどのように記憶を定着させるのかは明確ではなかった.この研究において,リップル波が海馬において長期抑圧をひき起こすこと,また,その長期抑圧は直前の新奇経験に関与したニューロンには影響しないことが明らかにされた.これらの結果から,リップル波が不要なシナプスの結合強度を弱めることにより必要なシナプスのコントラストを強め,その結果,海馬において長期増強が飽和することをふせいでいることが示唆された.
現在,多くの脳疾患と睡眠の異常とのかかわりが指摘されているが,リップル波の発生が破綻している可能性も大いにありうる8,9).それを詳細に記述し,正常にもどす処置を施すことにより,これらの疾患の症状の緩和あるいは治療の方法を探ることが今後の課題である.
略歴:2016年 東京大学大学院薬学系研究科 修了,同年 理化学研究所 基礎科学特別研究員を経て,2017年よりドイツMax Planck Institute for Brain Research研究員.
研究テーマ:睡眠の機構および役割.
藤澤 茂義(Shigeyoshi Fujisawa)
理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダー.
研究室URL:http://fujisawalab.brain.riken.jp/aboutjp.html
池谷 裕二(Yuji Ikegaya)
東京大学大学院薬学系研究科 教授.
研究室URL:http://www.yakusaku.jp/index.html
© 2018 乘本裕明・藤澤茂義・池谷裕二 Licensed under CC 表示 2.1 日本
(1東京大学大学院薬学系研究科 薬品作用学教室,2理化学研究所脳科学総合研究センター システム神経生理学研究チーム)
email:池谷裕二
DOI: 10.7875/first.author.2018.024
Hippocampal ripples down-regulate synapses.
Hiroaki Norimoto, Kenichi Makino, Mengxuan Gao, Yu Shikano, Kazuki Okamoto, Tomoe Ishikawa, Takuya Sasaki, Hiroyuki Hioki, Shigeyoshi Fujisawa, Yuji Ikegaya
Science, 359, 1524-1527 (2018)
要 約
海馬において長期増強は記憶の素子である一方,長期間にわたり海馬に記憶は保持されない.このことから,海馬には長期増強を消去する自発的な機構が存在することが示唆される.長期増強を消去する機構として長期抑圧があげられるが,長期抑圧がどのようにして自発的にひき起こされるのか,根源的な問いであるにもかかわらず明らかにされていない.この研究において,筆者らは,海馬においてリップル波という脳波が長期抑圧をひき起こすことを明らかにした.また,長期抑圧がひき起こされる結果,新奇の経験に関連しないニューロンの神経活動が選択的に抑制された.この自発的に生じるニューロンの神経活動により,海馬から大脳皮質へと伝達される情報のシグナル/ノイズ比が上昇し,精度の高い情報処理が実現されることが示唆された.
はじめに
海馬においてシナプスの多くはさまざまなタイプの神経活動に依存する可塑性を示す.もっとも典型的な可塑性は長期増強(long-term potentiation:LTP)とよばれ,シナプスの結合強度が長期的に強まる現象である.長期増強は記憶が成立するうえで不可欠であると考えられているが,人工的な刺激によりマウスの海馬に長期増強をひき起こしつづけると記憶の機能が飽和することが報告されている1).この事実から,生じた長期増強はほかのなんらかの機構により弱められていることが示唆される.
覚醒しているときに長期増強の側にかたよったシナプスの結合強度は,睡眠によりもとの状態にもどされるという“シナプスホメオスタシス仮説”が提唱されている2).実際に,睡眠しているときには海馬や大脳皮質において自発的に長期抑圧(long-tern depression:LTD)がひき起こされることが示されている3).これらの知見から,睡眠時に生じる自発的な神経活動が長期抑圧をひき起こすことが考えられる.
睡眠時の海馬において観察される脳波のひとつにリップル波(sharp wave ripple)がある.学習の直後の睡眠においてリップル波を観察すると,その頻度が一過的に上昇することが知られている4).このことから,筆者らは,リップル波が学習により興奮した神経回路をクールダウンしているのではないかと仮説をたてた.
1.リップル波は長期抑圧をひき起こす
睡眠中のマウスからニューロンどうしのつながりの強さの指標である興奮性後シナプス場電位を記録した.すると,睡眠の経過とともに興奮性後シナプス場電位は減弱した.つまり,睡眠中の海馬においてニューロンのあいだのつながりが自然と弱まることが確認された.睡眠中に生じるリップル波の発生を光遺伝学的な手法を用いて選択的に阻害したところ,興奮性後シナプス場電位の減弱は観察されなくなった.このまま7時間にわたりリップル波の発生を阻害しつづけると,十分な睡眠をとっているにもかかわらず,神経回路の興奮性は高いままで長期抑圧はひき起こされなかった.このマウスに物体位置認識試験を施行したところ,学習成績が低下し,これは睡眠を剥奪する処置をしたマウスの成績と似ていた(図1).
同様の現象は摘出した海馬においても観察された.海馬の切片は通常はリップル波を発生しないが,ニューロンの結合が多く残存するように作製すると自発的にリップル波を発生する.この切片から興奮性後シナプス場電位を記録したところ,マウス個体と同じように,徐々に減弱するようすが確認された.これはNMDA受容体に依存する可塑性であった.この減弱もリップル波の発生を阻害することによりみられなくなった.
以上の結果から,海馬においてリップル波はニューロンのあいだのつながりを弱めることにより神経回路をクールダウンしていることが明らかにされた.
2.リップル波は直前の新奇の経験に関与したニューロンには長期抑圧をひき起こさない
長期抑圧はすべてのシナプスにおいてひき起こされるのだろうか.このことを調べるため,記憶にかかわったニューロンを標識できるトランスジェニックマウスに新奇の環境を探索させ,そのマウスから海馬の切片を作製して,リップル波が発生しているときのニューロンの神経活動を観察した.新奇の経験に関与したニューロンとそうでないニューロンを区別しながら神経活動を観察するため,Ca2+蛍光指示薬を用いたイメージングを実施した.すると,すでに知られているように,新奇の経験にかかわったニューロンのほうが,かかわっていないニューロンに比べ,リップル波が発生しているときに高い神経活動を示すことがわかった5).しかし,この神経活動の差は,記録の初期においてはそれほど明確でなく,時間の経過にともない顕著になった.くわしく調べると,新奇の経験のときに活動しなかったニューロンの神経活動が弱まることにより差が生じていることがわかった.この現象は,NMDA受容体の拮抗薬であるMK801により阻害された.つまり,リップル波は直前の学習に関与したニューロンにおいてはニューロンのあいだのつながりを減弱させず,NMDA受容体を介した可塑性により記憶とは無関係なノイズの成分を低下させ,情報のシグナル/ノイズ比を高めることに寄与することが明らかにされた.
マウス個体の海馬においてもこの選択的な可塑性が生じるのかどうかを確認するため,場所細胞のメモリーリアクティベーションを記録した.メモリーリアクティベーションとは,動物が課題を遂行したのちの睡眠あるいは安静な状態において,課題を遂行しているときと類似した神経活動が観察される現象のことである6).これは,おもにリップル波に生じることが知られており,記憶の固定との関与が示唆されている7).新奇の環境を探索させたマウスの睡眠において,睡眠の初期においては,新奇の環境をコードする場所細胞,ホームケージをコードする場所細胞,場所をコードしない細胞,の3つのグループがともにリップル波において高い発火率を示していたが,新奇の環境をコードする場所細胞のほかは,時間が経過するにつれその発火率は徐々に低下した.この作用はNMDA受容体の拮抗薬であるMK801により阻害された.
以上の結果から,海馬において睡眠中に生じる長期抑圧は直前の新奇の経験に関与したニューロンには生じないことが示唆された.
おわりに
これまで,リップル波は記憶の固定において重要であると考えられてきたが,具体的にどのように記憶を定着させるのかは明確ではなかった.この研究において,リップル波が海馬において長期抑圧をひき起こすこと,また,その長期抑圧は直前の新奇経験に関与したニューロンには影響しないことが明らかにされた.これらの結果から,リップル波が不要なシナプスの結合強度を弱めることにより必要なシナプスのコントラストを強め,その結果,海馬において長期増強が飽和することをふせいでいることが示唆された.
現在,多くの脳疾患と睡眠の異常とのかかわりが指摘されているが,リップル波の発生が破綻している可能性も大いにありうる8,9).それを詳細に記述し,正常にもどす処置を施すことにより,これらの疾患の症状の緩和あるいは治療の方法を探ることが今後の課題である.
文 献
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- Witton, J., Staniaszek, L. E., Bartsch, U. et al.: Disrupted hippocampal sharp-wave ripple-associated spike dynamics in a transgenic mouse model of dementia. J. Physiol., 594, 4615-4630 (2016)[PubMed]
著者プロフィール
略歴:2016年 東京大学大学院薬学系研究科 修了,同年 理化学研究所 基礎科学特別研究員を経て,2017年よりドイツMax Planck Institute for Brain Research研究員.
研究テーマ:睡眠の機構および役割.
藤澤 茂義(Shigeyoshi Fujisawa)
理化学研究所脳科学総合研究センター チームリーダー.
研究室URL:http://fujisawalab.brain.riken.jp/aboutjp.html
池谷 裕二(Yuji Ikegaya)
東京大学大学院薬学系研究科 教授.
研究室URL:http://www.yakusaku.jp/index.html
© 2018 乘本裕明・藤澤茂義・池谷裕二 Licensed under CC 表示 2.1 日本