作業記憶を担う海馬および歯状回による神経機構
佐々木拓哉・Jill K. Leutgeb
(米国California大学San Diego校Division of Biological Sciences)
email:佐々木拓哉
DOI: 10.7875/first.author.2018.011
Dentate network activity is necessary for spatial working memory by supporting CA3 sharp-wave ripple generation and prospective firing of CA3 neurons.
Takuya Sasaki, Verónica C. Piatti, Ernie Hwaun, Siavash Ahmadi, John E. Lisman, Stefan Leutgeb, Jill K. Leutgeb
Nature Neuroscience, 21, 258-269 (2018)
記憶の保持や将来の行動の設計には海馬のニューロンの同期した神経活動が重要である.このような同期した神経活動においては,海馬リップル波とよばれる脳波が発生する.この研究において,筆者らは,歯状回から海馬への神経の投射が海馬リップル波の発生とどのように関連し作業記憶を担うかについて調べた.作業記憶の課題を遂行しているラットにおいて神経活動を記録した結果,報酬をあたえたときに,歯状回の顆粒細胞における神経発火の頻度の顕著な上昇,および,海馬リップル波の発生の頻度の上昇が観察された.歯状回から海馬CA3野への入力線維を消失させると,海馬リップル波の発生の頻度の上昇は観察されなくなかった.また,このようなニューロンの同期した神経活動には海馬の場所細胞の前向き発火が含まれており,これが歯状回からの神経の入力に依存することが明らかにされた.以上の結果から,歯状回と海馬CA3野との協調的な神経活動のパターンが適切な作業記憶に寄与することが示唆された.
海馬の錐体細胞とその上流に位置する歯状回の顆粒細胞は密な神経回路を形成しており,こうした連合性の神経回路が記憶の保持において重要な役割を担うと考えられている1,2).作業記憶は作業の実行に必要な情報を短期的に保存する記憶である.これまでの研究により,海馬あるいは歯状回を破壊すると作業記憶を必要とする行動課題の成績がいちじるしく低下することが示されてきた3,4).
げっ歯類において金属電極を用いて海馬における神経活動を測定すると,歯状回から直接の投射をうける海馬CA3野において,ときおり,多数のニューロンの同期した神経活動が検出される.ニューロンの集合した神経活動を反映する脳波を解析すると,このような同期した神経活動は150~250 Hzの周波数をもつ海馬リップル波として検出される.すなわち,海馬リップル波はこの領域の同期した神経活動の指標になる.さらに詳細な解析により,海馬リップル波とともに生じるニューロンの同期した神経活動には,動物が行動しているときに生じる連続的な神経発火のパターンが再生されることが示されている5).こうした特徴的な神経活動は,記憶の固定や想起などの基礎となる機構として重要だと考えられてきた6).最近の研究においては,覚醒した状態において海馬リップル波を選択的に排除すると空間記憶の課題が正しく遂行されないという知見も得られている7).海馬リップル波とそれにともなう同期した神経活動は,作業記憶の保持と適切な行動の設計に重要な神経機構であると考えられる.
以上2つの知見をまとめると,作業記憶には,歯状回における神経活動,および,海馬のニューロンの同期した神経活動が必要であることがわかる.この2つをつなげると,海馬における同期した神経活動を制御するのが歯状回であり,歯状回と海馬との連絡が作業記憶に重要な役割を担う可能性が考えられる.この仮説を検証するため,歯状回における神経活動が必須となる作業記憶の課題をラットに遂行させ,そのときの歯状回および海馬CA3野の神経活動を測定し2つの領域がどのように関連するかを検討した.
ラットの作業記憶について評価するため,8方向への放射状の迷路を用いた行動課題を構築した.ここでは,8方向すべてのアームの末端に報酬がおかれ,ラットはこれらの報酬をすべて得るように訓練される.はじめに,ランダムに選択された4つのアームがひとつずつ順番に提示される(強制選択フェーズ).これらのアームは実験者により決定される.4つのアームにおいて報酬を得たのち,すべてのアームに対しアクセスが可能になる(自由選択フェーズ).この行動課題における最適な戦略は,1回の試行においてすべてのアームを1回ずつ訪問することであり,自由選択フェーズにて残り4つのアームをまちがわずに選択することである.すでに訪問していたアームにふたたび訪問することがあった場合,その行動は失敗になる.このような状況では,ラットはすでに訪問したアームとまだ訪問していないアームとを記憶する必要がある.こうした一時的に場所を覚えるような記憶を作業記憶として評価した.まずは,行動課題の平均の成功率が50%以上になるまでラットを訓練した.そののち,これらのラットにおいてコルヒチンの投与により歯状回の顆粒細胞を死滅させた.このような歯状回を損傷したラットは歯状回の約72%において細胞層の体積が減少していた.歯状回を損傷させたのち行動課題を提示したところ,すべてラットにおいて正しいアームの選択能は顕著に低下した.この結果から,歯状回がこの行動課題を正しく遂行するために必要であることが確認された.
歯状回における神経活動について調べるため,歯状回を損傷していない正常なラットの歯状回に金属電極を埋め込み,行動課題を遂行しているときの神経発火のパターンについて解析した.その結果,歯状回の顆粒細胞の多くにおいて,行動課題において報酬を獲得したときに神経発火の頻度が上昇した.この上昇は,報酬を獲得するまえと比較して4倍以上であり,知るかぎり,報酬を獲得したときにこれほどいちじるしく神経活動が増加する脳の領域は存在せず,歯状回は報酬シグナルの情報処理において重要な役割を担うことが示唆された.
報酬を獲得したときに増加した歯状回の顆粒細胞の神経活動が,投射先である海馬CA3野における神経活動とどのように関連するかを調べた.正常なラットの海馬CA3野に金属電極を刺入し,脳波の変動の周波数を解析したところ,報酬を獲得したときには150~250 Hzの周波数帯をもつ海馬リップル波の発生の頻度が有意に上昇することがわかった(図1a).こうした報酬に選択的な海馬リップル波の発生しているときには,海馬CA3野において個々のニューロンの神経発火の頻度が5.2倍に上昇した.すなわち,おのおののニューロンの神経活動が同期しやすくなっていた.さらに,こうした報酬に選択的な海馬リップル波の発生の頻度は,正しい試行を選択したときには,まちがった試行を選択したときと比較して有意に高かった.すなわち,報酬を獲得したときの海馬リップル波は作業記憶の正確な処理と相関することがわかった.
海馬CA3野においてみられた報酬に選択的な海馬リップル波が,投射元である歯状回からの神経の入力に依存するかどうか調べた.そのため,歯状回を損傷したラットにおいても同様に海馬CA3野から神経活動を記録した.歯状回を損傷したラットについては,歯状回の顆粒細胞をできるだけすべて死滅させるよう試みたが,コルヒチンの効果は十分ではなく,一部に顆粒細胞が残存する領域が散見された.このような領域においては,歯状回の顆粒細胞から海馬CA3野への入力線維である苔状線維がいくらか残存しており,海馬CA3野は歯状回からの神経の入力をうけていた.このような実験データを定量的に評価するため,海馬CA3野のおのおのの電極の記録部位において残存する苔状線維の量を測定した.具体的には,苔状線維をTIMM染色法により染色し,海馬において電極が存在するおのおのの部位における量を0~3の値でスコア化し,スコア0およびスコア1の部位を低密度での入力部位,スコア2の部位を高密度での入力部位とした.海馬CA3野における海馬リップル波の発生の頻度を調べたところ,低密度での入力部位においては報酬に選択的な海馬リップル波の発生はみられなかった(図1b).より厳密には,報酬を獲得したときに上昇するべき海馬リップル波の発生の頻度が,苔状線維の入力の少ない部位では観察されなくなったということである.一方,高密度での入力部位においては,報酬を獲得したときの海馬リップル波の発生の頻度の上昇は正常なラットと同様に観察された.
海馬CA3野の個々のニューロンにおける神経発火のパターンは歯状回からの神経の入力にどのように依存するか,詳細に解析した.海馬CA3野の個々のニューロンは,動物が特定の位置を移動しているときに選択的に発火する“場所細胞”であり,空間の認識に重要な脳の機構であると考えられている.このような場所に選択的な海馬CA3野における神経活動を解析したところ,歯状回を損傷したラットの低密度での入力部位においては,正常なラットと比較して,場所に対する選択性は有意に低く,神経発火の頻度は有意に高かった.したがって,海馬CA3野の場所に選択的な神経発火には歯状回からの神経の入力が重要であることが示唆された.
これらはこの研究の主要な発見である報酬に依存的な神経活動とは関係しない神経発火であったが,この海馬CA3野の場所細胞が,報酬に依存的な海馬リップル波が発生しているあいだどのような神経発火のパターンを示すかについて解析した.海馬CA3野のそれぞれの場所細胞は,場所受容野に入ると選択的な神経発火を示すことがよく知られている.しかし,こうした場所受容野における神経発火にくわえて,場所受容野の外においても海馬リップル波に神経発火が観察されることがある.このような海馬リップル波の神経発火のパターンについて,動物が場所受容野に入るまえ(前向き発火)と入ったあと(後向き発火)とに分けて解析した.その結果,正常なラットにおいては,前向き発火のほうが後向き発火よりも神経発火の頻度が有意に高いことがわかった(図2a).この結果は,迷路における行動課題を進めるにつれて,いまだ訪問していない場所に受容野をもつ海馬CA3野の場所細胞が,今後の先読みを実行するかのように将来に訪問すべき標的の位置を表象することを意味する.こうした前向き発火の有意な増加は,動物が正しく課題を遂行した試行において顕著であった.以上の結果をまとめると,海馬CA3野の場所細胞における報酬を獲得したときの神経発火のパターンは,動物が将来に訪問すべき場所を表象するような神経活動であること,および,このような神経表象が行動の成績と相関すること,が示された.歯状回を損傷したラットにおいてもこの前向き発火が観察されるかどうか検証したところ,低密度での入力部位においては前向き発火と後向き発火の頻度に有意差はなく(図2b),前向き発火は明確には生じていなかった.行動課題を正しく遂行できない歯状回を損傷したラットにおいて前向き発火が顕著に生じないという結果から,将来,訪問すべき場所を表象する神経活動が行動の成績と相関することがあらためて示された.
歯状回は海馬の神経回路において情報処理の最初の段階にあり,記憶の保持に重要であると考えられてきた.しかし,歯状回の神経活動に関する従来の研究においては,空間の表象やパターンの分離などの情報の表現に焦点があてられ,記憶の機能との関連は明確ではなかった8,9).この研究においては,歯状回の顆粒細胞の新しい神経表象として,報酬に対する神経発火の頻度の上昇が見い出された.さらに,海馬のニューロンの同期した神経発火を促進し,前向き発火のような特徴的な神経活動に必要な神経の入力を歯状回が供給することが示された.これらの知見から,パターンの分離など従来の知見のほかにも歯状回の役割が明らかにされ,歯状回が作業記憶をはじめとする目標指向型の行動をサポートする神経発火のパターンの生成に必要であることが示唆された.
この研究は,作業記憶に必要な海馬の神経機構の一端を解明し,この結果は,適切かつ効率的に複数の作業を進めるための脳における情報処理の機構の解明への布石になる.今後は,この研究により解明された神経活動が,前頭皮質など脳のほかの領域とどのように相互作用するか調べる必要がある.また,見い出された神経活動の時空間パターンを人為的に操作し,行動課題の成績の変化を調べる必要がある.今後の検証を重ねることにより,作業記憶をつかさどる神経活動がより詳細に解明されることが期待される.
略歴:2010年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程 修了,2011年 埼玉大学脳科学融合研究センター 研究員,2012年 生理学研究所 研究員,2013年 米国California大学San Diego校 研究員を経て,2014年より東京大学大学院薬学系研究科 助教,2017年より科学技術振興機構 さきがけ研究員を兼任.
研究テーマ:神経生理学,神経回路学.
抱負:脳の機能にひそむ神経回路のコードを解読したい.
Jill K. Leutgeb
米国California大学San Diego校Associate Professor.
© 2018 佐々木拓哉・Jill K. Leutgeb Licensed under CC 表示 2.1 日本
(米国California大学San Diego校Division of Biological Sciences)
email:佐々木拓哉
DOI: 10.7875/first.author.2018.011
Dentate network activity is necessary for spatial working memory by supporting CA3 sharp-wave ripple generation and prospective firing of CA3 neurons.
Takuya Sasaki, Verónica C. Piatti, Ernie Hwaun, Siavash Ahmadi, John E. Lisman, Stefan Leutgeb, Jill K. Leutgeb
Nature Neuroscience, 21, 258-269 (2018)
要 約
記憶の保持や将来の行動の設計には海馬のニューロンの同期した神経活動が重要である.このような同期した神経活動においては,海馬リップル波とよばれる脳波が発生する.この研究において,筆者らは,歯状回から海馬への神経の投射が海馬リップル波の発生とどのように関連し作業記憶を担うかについて調べた.作業記憶の課題を遂行しているラットにおいて神経活動を記録した結果,報酬をあたえたときに,歯状回の顆粒細胞における神経発火の頻度の顕著な上昇,および,海馬リップル波の発生の頻度の上昇が観察された.歯状回から海馬CA3野への入力線維を消失させると,海馬リップル波の発生の頻度の上昇は観察されなくなかった.また,このようなニューロンの同期した神経活動には海馬の場所細胞の前向き発火が含まれており,これが歯状回からの神経の入力に依存することが明らかにされた.以上の結果から,歯状回と海馬CA3野との協調的な神経活動のパターンが適切な作業記憶に寄与することが示唆された.
はじめに
海馬の錐体細胞とその上流に位置する歯状回の顆粒細胞は密な神経回路を形成しており,こうした連合性の神経回路が記憶の保持において重要な役割を担うと考えられている1,2).作業記憶は作業の実行に必要な情報を短期的に保存する記憶である.これまでの研究により,海馬あるいは歯状回を破壊すると作業記憶を必要とする行動課題の成績がいちじるしく低下することが示されてきた3,4).
げっ歯類において金属電極を用いて海馬における神経活動を測定すると,歯状回から直接の投射をうける海馬CA3野において,ときおり,多数のニューロンの同期した神経活動が検出される.ニューロンの集合した神経活動を反映する脳波を解析すると,このような同期した神経活動は150~250 Hzの周波数をもつ海馬リップル波として検出される.すなわち,海馬リップル波はこの領域の同期した神経活動の指標になる.さらに詳細な解析により,海馬リップル波とともに生じるニューロンの同期した神経活動には,動物が行動しているときに生じる連続的な神経発火のパターンが再生されることが示されている5).こうした特徴的な神経活動は,記憶の固定や想起などの基礎となる機構として重要だと考えられてきた6).最近の研究においては,覚醒した状態において海馬リップル波を選択的に排除すると空間記憶の課題が正しく遂行されないという知見も得られている7).海馬リップル波とそれにともなう同期した神経活動は,作業記憶の保持と適切な行動の設計に重要な神経機構であると考えられる.
以上2つの知見をまとめると,作業記憶には,歯状回における神経活動,および,海馬のニューロンの同期した神経活動が必要であることがわかる.この2つをつなげると,海馬における同期した神経活動を制御するのが歯状回であり,歯状回と海馬との連絡が作業記憶に重要な役割を担う可能性が考えられる.この仮説を検証するため,歯状回における神経活動が必須となる作業記憶の課題をラットに遂行させ,そのときの歯状回および海馬CA3野の神経活動を測定し2つの領域がどのように関連するかを検討した.
1.作業記憶にかかわる課題の遂行には歯状回の顆粒細胞が必要である
ラットの作業記憶について評価するため,8方向への放射状の迷路を用いた行動課題を構築した.ここでは,8方向すべてのアームの末端に報酬がおかれ,ラットはこれらの報酬をすべて得るように訓練される.はじめに,ランダムに選択された4つのアームがひとつずつ順番に提示される(強制選択フェーズ).これらのアームは実験者により決定される.4つのアームにおいて報酬を得たのち,すべてのアームに対しアクセスが可能になる(自由選択フェーズ).この行動課題における最適な戦略は,1回の試行においてすべてのアームを1回ずつ訪問することであり,自由選択フェーズにて残り4つのアームをまちがわずに選択することである.すでに訪問していたアームにふたたび訪問することがあった場合,その行動は失敗になる.このような状況では,ラットはすでに訪問したアームとまだ訪問していないアームとを記憶する必要がある.こうした一時的に場所を覚えるような記憶を作業記憶として評価した.まずは,行動課題の平均の成功率が50%以上になるまでラットを訓練した.そののち,これらのラットにおいてコルヒチンの投与により歯状回の顆粒細胞を死滅させた.このような歯状回を損傷したラットは歯状回の約72%において細胞層の体積が減少していた.歯状回を損傷させたのち行動課題を提示したところ,すべてラットにおいて正しいアームの選択能は顕著に低下した.この結果から,歯状回がこの行動課題を正しく遂行するために必要であることが確認された.
2.報酬を獲得したときの歯状回および海馬CA3野における神経活動
歯状回における神経活動について調べるため,歯状回を損傷していない正常なラットの歯状回に金属電極を埋め込み,行動課題を遂行しているときの神経発火のパターンについて解析した.その結果,歯状回の顆粒細胞の多くにおいて,行動課題において報酬を獲得したときに神経発火の頻度が上昇した.この上昇は,報酬を獲得するまえと比較して4倍以上であり,知るかぎり,報酬を獲得したときにこれほどいちじるしく神経活動が増加する脳の領域は存在せず,歯状回は報酬シグナルの情報処理において重要な役割を担うことが示唆された.
報酬を獲得したときに増加した歯状回の顆粒細胞の神経活動が,投射先である海馬CA3野における神経活動とどのように関連するかを調べた.正常なラットの海馬CA3野に金属電極を刺入し,脳波の変動の周波数を解析したところ,報酬を獲得したときには150~250 Hzの周波数帯をもつ海馬リップル波の発生の頻度が有意に上昇することがわかった(図1a).こうした報酬に選択的な海馬リップル波の発生しているときには,海馬CA3野において個々のニューロンの神経発火の頻度が5.2倍に上昇した.すなわち,おのおののニューロンの神経活動が同期しやすくなっていた.さらに,こうした報酬に選択的な海馬リップル波の発生の頻度は,正しい試行を選択したときには,まちがった試行を選択したときと比較して有意に高かった.すなわち,報酬を獲得したときの海馬リップル波は作業記憶の正確な処理と相関することがわかった.
3.報酬に選択的な海馬リップル波の発生は歯状回からの神経の入力に依存する
海馬CA3野においてみられた報酬に選択的な海馬リップル波が,投射元である歯状回からの神経の入力に依存するかどうか調べた.そのため,歯状回を損傷したラットにおいても同様に海馬CA3野から神経活動を記録した.歯状回を損傷したラットについては,歯状回の顆粒細胞をできるだけすべて死滅させるよう試みたが,コルヒチンの効果は十分ではなく,一部に顆粒細胞が残存する領域が散見された.このような領域においては,歯状回の顆粒細胞から海馬CA3野への入力線維である苔状線維がいくらか残存しており,海馬CA3野は歯状回からの神経の入力をうけていた.このような実験データを定量的に評価するため,海馬CA3野のおのおのの電極の記録部位において残存する苔状線維の量を測定した.具体的には,苔状線維をTIMM染色法により染色し,海馬において電極が存在するおのおのの部位における量を0~3の値でスコア化し,スコア0およびスコア1の部位を低密度での入力部位,スコア2の部位を高密度での入力部位とした.海馬CA3野における海馬リップル波の発生の頻度を調べたところ,低密度での入力部位においては報酬に選択的な海馬リップル波の発生はみられなかった(図1b).より厳密には,報酬を獲得したときに上昇するべき海馬リップル波の発生の頻度が,苔状線維の入力の少ない部位では観察されなくなったということである.一方,高密度での入力部位においては,報酬を獲得したときの海馬リップル波の発生の頻度の上昇は正常なラットと同様に観察された.
4.歯状回に依存的な海馬リップル波に含まれる場所細胞の神経表象
海馬CA3野の個々のニューロンにおける神経発火のパターンは歯状回からの神経の入力にどのように依存するか,詳細に解析した.海馬CA3野の個々のニューロンは,動物が特定の位置を移動しているときに選択的に発火する“場所細胞”であり,空間の認識に重要な脳の機構であると考えられている.このような場所に選択的な海馬CA3野における神経活動を解析したところ,歯状回を損傷したラットの低密度での入力部位においては,正常なラットと比較して,場所に対する選択性は有意に低く,神経発火の頻度は有意に高かった.したがって,海馬CA3野の場所に選択的な神経発火には歯状回からの神経の入力が重要であることが示唆された.
これらはこの研究の主要な発見である報酬に依存的な神経活動とは関係しない神経発火であったが,この海馬CA3野の場所細胞が,報酬に依存的な海馬リップル波が発生しているあいだどのような神経発火のパターンを示すかについて解析した.海馬CA3野のそれぞれの場所細胞は,場所受容野に入ると選択的な神経発火を示すことがよく知られている.しかし,こうした場所受容野における神経発火にくわえて,場所受容野の外においても海馬リップル波に神経発火が観察されることがある.このような海馬リップル波の神経発火のパターンについて,動物が場所受容野に入るまえ(前向き発火)と入ったあと(後向き発火)とに分けて解析した.その結果,正常なラットにおいては,前向き発火のほうが後向き発火よりも神経発火の頻度が有意に高いことがわかった(図2a).この結果は,迷路における行動課題を進めるにつれて,いまだ訪問していない場所に受容野をもつ海馬CA3野の場所細胞が,今後の先読みを実行するかのように将来に訪問すべき標的の位置を表象することを意味する.こうした前向き発火の有意な増加は,動物が正しく課題を遂行した試行において顕著であった.以上の結果をまとめると,海馬CA3野の場所細胞における報酬を獲得したときの神経発火のパターンは,動物が将来に訪問すべき場所を表象するような神経活動であること,および,このような神経表象が行動の成績と相関すること,が示された.歯状回を損傷したラットにおいてもこの前向き発火が観察されるかどうか検証したところ,低密度での入力部位においては前向き発火と後向き発火の頻度に有意差はなく(図2b),前向き発火は明確には生じていなかった.行動課題を正しく遂行できない歯状回を損傷したラットにおいて前向き発火が顕著に生じないという結果から,将来,訪問すべき場所を表象する神経活動が行動の成績と相関することがあらためて示された.
おわりに
歯状回は海馬の神経回路において情報処理の最初の段階にあり,記憶の保持に重要であると考えられてきた.しかし,歯状回の神経活動に関する従来の研究においては,空間の表象やパターンの分離などの情報の表現に焦点があてられ,記憶の機能との関連は明確ではなかった8,9).この研究においては,歯状回の顆粒細胞の新しい神経表象として,報酬に対する神経発火の頻度の上昇が見い出された.さらに,海馬のニューロンの同期した神経発火を促進し,前向き発火のような特徴的な神経活動に必要な神経の入力を歯状回が供給することが示された.これらの知見から,パターンの分離など従来の知見のほかにも歯状回の役割が明らかにされ,歯状回が作業記憶をはじめとする目標指向型の行動をサポートする神経発火のパターンの生成に必要であることが示唆された.
この研究は,作業記憶に必要な海馬の神経機構の一端を解明し,この結果は,適切かつ効率的に複数の作業を進めるための脳における情報処理の機構の解明への布石になる.今後は,この研究により解明された神経活動が,前頭皮質など脳のほかの領域とどのように相互作用するか調べる必要がある.また,見い出された神経活動の時空間パターンを人為的に操作し,行動課題の成績の変化を調べる必要がある.今後の検証を重ねることにより,作業記憶をつかさどる神経活動がより詳細に解明されることが期待される.
文 献
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- Jadhav, S. P., Kemere, C., German, P. W. et al.: Awake hippocampal sharp-wave ripples support spatial memory. Science, 336, 1454-1458 (2012)[PubMed]
- Leutgeb, J. K., Leutgeb, S., Moser, M. B. et al.: Pattern separation in the dentate gyrus and CA3 of the hippocampus. Science, 315, 961-966 (2007)[PubMed]
- Senzai, Y. & Buzsaki, G.: Physiological properties and behavioral correlates of hippocampal granule cells and mossy cells. Neuron, 93, 691-704.e5 (2017)[PubMed]
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著者プロフィール
略歴:2010年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程 修了,2011年 埼玉大学脳科学融合研究センター 研究員,2012年 生理学研究所 研究員,2013年 米国California大学San Diego校 研究員を経て,2014年より東京大学大学院薬学系研究科 助教,2017年より科学技術振興機構 さきがけ研究員を兼任.
研究テーマ:神経生理学,神経回路学.
抱負:脳の機能にひそむ神経回路のコードを解読したい.
Jill K. Leutgeb
米国California大学San Diego校Associate Professor.
© 2018 佐々木拓哉・Jill K. Leutgeb Licensed under CC 表示 2.1 日本