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非空間性の出来事の順序を表現する海馬における発火率および時間による符合化

寺田 慧・藤澤茂義
(理化学研究所脳総合研究センター システム神経生理学研究チーム)
email:寺田 慧藤澤茂義
DOI: 10.7875/first.author.2017.065

Temporal and rate coding for discrete event sequences in the hippocampus.
Satoshi Terada, Yoshio Sakurai, Hiroyuki Nakahara, Shigeyoshi Fujisawa
Neuron, 94, 1248-1262.e4 (2017)




要 約


 海馬はエピソード記憶や空間の探索に不可欠な領域であり,発火率および時間による符合化により出来事や場所の順序の関係を表現すると考えられている.しかしながら,これらの符合化は空間の情報に対してしか確認されておらず,非空間性の情報を含めた包括的な表現の機構であるかどうかは不明であった.この研究においては,非空間性の情報の統合を必要とする意思決定課題を実行しているラットの海馬CA1野に超小型かつ高密度の電極を刺入して個々のニューロンの神経活動を記録した.その結果,音や匂いなどそれぞれの情報に対して選択的に神経活動を示す“イベント細胞”を発見した.さらに,イベント細胞の発火のタイミングはシータ波により精密に決められており,シータ波の下降位相において過去の情報が,上昇位相において未来の情報がそれぞれ表現されていた.以上から,海馬のイベント細胞は発火率の上昇により出来事の内容を表現し,発火のタイミングにより出来事の順序を圧縮して表現することが明らかにされた.

はじめに


 海馬はエピソード記憶および空間の探索をつかさどる領域であることが知られており1,2),出来事や場所の順序の関係を表現するのに不可欠とされた3).現在までに,空間の探索における場所細胞の研究にもとづき,海馬は発火率の符号化および時間による符合化を用いてこれらの順序の関係を表現するのではないかと仮説がたてられている.
 発火率の符号化とはニューロンの発火の頻度による情報の表現であり,空間の探索においては場所細胞が発火率を上昇させる場所受容野に該当する4).一方で,時間の符号化とは発火のタイミングによる情報の表現であり,動物が場所受容野を通過するにしたがいニューロンのシータ波に対する発火の位相が徐々に早まる位相の前進に該当する5).これらの符号化があわさることにより,シータ波の1周期のなかで場所細胞の集団における発火の順序が動物が実際に探索した場所の並びに対応する.つまり,動物がいままで走ってきた過去の場所とこれからどこにむかうのかという未来の場所の時系列の情報が海馬において百ミリ秒のオーダーで圧縮して表現されており,それがシータ波の1周期ごとにくり返されるのである.このようなニューロンの集団の連鎖した発火は過去から未来までの時系列の順序を表現すると考えられている.
 海馬はエピソード記憶など非空間的な情報における順序の関係も発火率および時間による符合化を用いて表現することが予想されている.しかしながら,これまでこれらの符合化は空間の情報に対してのみ観察されており,この仮説を直接に検討した研究はなかった.この研究は,非空間的な情報の順序の関係につき海馬における発火率および時間による符合化について明らかにすることを目的とした.

1.非空間性の情報統合を必要とする意思決定課題および超小型かつ高密度の電極によるニューロンの神経活動の記録


 頭部を固定したラットのための非空間性の情報統合を必要とする意思決定課題を考案した(図1).この課題においては,ラットは音刺激と匂い刺激をそれぞれ順にあたえられ,それらの刺激の組合せにより左右一方のレバーを選択し,正解した場合にのみレバーの先端から報酬として水があたえられる6).重要なのは,個々の感覚に対する刺激だけでは正解は決まらず,ラットはそれらを統合した組合せの情報を認識しなければならない点である.



 この意思決定課題を十分に学習したラットを対象に,シリコンプローブとよばれる超小型かつ高密度の電極を海馬CA1野に刺入し,ラットが課題を実行している際に大規模な細胞外記録を実施した.この技術を用いることにより,数十個の個々のニューロンの神経活動を精密な時間分解能で同時に観察することできる.その結果,754個の錐体細胞が同定され解析の対象とされた.

2.出来事の内容を表現する発火率による符合化


 音条件,匂い条件,選択行動ごとに刺激前後ヒストグラムを作成し,個々のニューロンがおのおののイベントに対しどのように発火率を上下させるのかを比較した.その結果,多数のニューロンが特定の匂い刺激や音刺激などそれぞれの出来事の生起により選択的に発火率を上昇させることがわかった.このようなニューロンを特定の出来事の情報を表現するとして“イベント細胞”と定義した.イベント細胞のなかには特定の組合せの情報に対してのみ神経活動を示すニューロンも存在した.したがって,イベント細胞の神経活動は外的な刺激の表現にとどまらず,情報の統合といった内的な過程を反映することも明らかにされた.
 イベント細胞の集団としての神経活動を評価するため,ポピュレーションベクトルを作成し自己相関解析を実施した.これにより,イベント細胞の集団は音の呈示,匂いの呈示,選択行動という3つの出来事に対し固有の神経活動のパターンをもち,出来事のあいだ,その神経活動のパターンは維持されることがわかった.以上の結果から,海馬のイベント細胞は出来事の内容の情報を発火率の変化により表現することが示された.

3.イベント細胞における位相の前進と位相の固定


 この意思決定課題においてはシータ波が安定して観測され7),ほとんどのニューロンの神経活動はこの脳波に強い影響をうけていた.そこで,イベント細胞の発火のタイミングとシータ波の位相にどのような関係があるかを調べた.その結果,イベント細胞は選好する出来事の生起に対し選択的に位相の前進を示すことがわかった.具体的には,イベント細胞は情報の呈示のまえにはシータ波の谷から山にむかう上昇位相において発火するが,情報の呈示にともない位相は急激に変化し,最終的にはシータ波の山から谷にむかう下降位相にまで移動した.一方で,それ以外の出来事に対しこれらのニューロンは発火のタイミングを変化させなかった.さらに,イベント細胞はこの急激な位相の前進のあとにも下降位相における発火を維持しつづけるという位相の固定を示すこともわかった.

4.出来事の内容と順序を圧縮して表現する連鎖した発火


 これらの位相の前進と位相の固定によりどのような情報が表現されるのかを調べるため,同時に記録した数十個のイベント細胞の集団としての神経活動をベイズ推定にもとづくデコーディングを用いて解析した8,9).これは,あるニューロンの発火が生起したときにある出来事が生起する確率を算出するアプローチであり,この解析を応用することにより,おのおののシータ波の位相におけるニューロンの集団の神経活動がどのような情報をもつのかを,生起する出来事に関する確率分布として評価することができる.
 その結果,下降位相においては過去の出来事である組合せの確率密度が,一方で,上昇位相においては未来の出来事である選択行動の確率密度が,それぞれもっとも高くなることがわかった.エラー試行における確率密度はあやまった組合せおよび選択行動に対しもっとも高くなった.これらの結果から,イベント細胞は出来事の順序と同じ順序で発火しており,この連鎖した発火はシータ波の1周期ごとにくり返し起こることが示された.

おわりに


 海馬の場所細胞における発火率の符号化および時間の符号化は,脳においてエピソード記憶がどのように表現されるのかという問いに非常に重要な仮説をあたえた.しかし,それらは空間の情報においてのみ観察された現象にもとづいており,海馬は非空間性の記憶に対してもそれらを用いるのかどうかは不明であった.この研究により,海馬のイベント細胞は発火率の上昇により出来事の内容を表現し,発火のタイミングにより出来事の順序を圧縮して表現することが明らかにされた(図2).これらの結果は,海馬が空間にとどまらず種々の記憶の表現においても発火率の符号化および時間の符号化を用いることを示唆しており,海馬における空間の表現に関する理論体系をエピソード記憶に対し拡張するのに重要な指標となるだろう.




文 献



  1. Tulving, E. & Markowitsch, H. J.: Episodic and declarative memory: role of the hippocampus. Hippocampus, 8, 198-204 (1998)[PubMed]

  2. Burgess, N., Maguire, E. A. & O’Keefe, J.: The human hippocampus and spatial and episodic memory. Neuron, 35, 625-641 (2002)[PubMed]

  3. Eichenbaum, H. & Cohen, N. J.: Can we reconcile the declarative memory and spatial navigation views on hippocampal function? Neuron, 83, 764-770 (2014)[PubMed]

  4. O’Keefe, J. & Dostrovsky, J.: The hippocampus as a spatial map. Preliminary evidence from unit activity in the freely-moving rat. Brain Res., 34, 171-175 (1971)[PubMed]

  5. O’Keefe, J. & Recce, M. L.: Phase relationship between hippocampal place units and the EEG theta rhythm. Hippocampus, 3, 317-330 (1993)[PubMed]

  6. Isomura, Y., Harukuni, R., Takekawa, T. et al.: Microcircuitry coordination of cortical motor information in self-initiation of voluntary movements. Nat. Neurosci., 12, 1586-1593 (2009)[PubMed]

  7. Buzsaki, G.: Theta oscillations in the hippocampus. Neuron, 33, 325-340 (2002)[PubMed]

  8. Feng, T., Silva, D. & Foster, D. J.: Dissociation between the experience-dependent development of hippocampal theta sequences and singletrial phase precession. J. Neurosci., 35, 4890-4902 (2015)[PubMed]

  9. Zhang, K., Ginzburg, I., McNaughton, B. L. et al.: Interpreting neuronal population activity by reconstruction: unified framework with application to hippocampal place cells. J. Neurophysiol., 79, 1017-1044 (1998)[PubMed]


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著者プロフィール


寺田 慧(Satoshi Terada)
略歴:2016年 京都大学大学院文学研究科博士課程 修了,同年より理化学研究所脳総合研究センター 研究員.
研究テーマ:海馬における神経表象の機構.

藤澤 茂義(Shigeyoshi Fujisawa)
理化学研究所脳総合研究センター チームリーダー.
研究室URL:http://fujisawalab.brain.riken.jp/aboutjp.html

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