マウスのES細胞を用いた胃組織の作製
野口隆明・栗崎 晃
(産業技術総合研究所幹細胞工学研究センター 幹細胞制御研究チーム)
email:野口隆明,栗崎 晃
DOI: 10.7875/first.author.2015.102
Generation of stomach tissue from mouse embryonic stem cells.
Taka-aki K. Noguchi, Naoto Ninomiya, Mari Sekine, Shinji Komazaki, Pi-Chao Wang, Makoto Asashima, Akira Kurisaki
Nature Cell Biology, 17, 984-993 (2015)
この研究において,マウスのES細胞を用い,胚葉体形成法による分化の誘導ののち,成長因子であるSHHおよびDKK1をくわえることにより胎生期における胃原基に似た構造への分化が誘導され,さらに,この構造を長期にわたり3次元培養することにより胃腺をもつ立体的な胃組織の構造への分化が誘導された.くわえて,これらES細胞に由来する胃組織の一部は,胃酸を分泌する壁細胞,および,消化酵素を分泌する主細胞へと分化し,機能的な胃の性質を示した.さらに,この胃組織に胃がんに関連する遺伝子を過剰に発現させることにより,上皮が過剰に増殖する前がん状態が誘導された.これらの結果から,試験管において分化の誘導された胃組織は,種々の胃疾患モデルの作製への応用が可能と考えられた.
近年,試験管においてES細胞やiPS細胞から肝細胞,膵臓β細胞,小腸細胞の分化を誘導する方法が確立されつつあり,再生医療や病態モデルへの応用の可能性が注目をあつめている.とくに,腸に関しては,ヒトのiPS細胞を3次元培養することにより立体的な組織の構造への分化を誘導する方法が報告され,立体的な臓器の作製への期待も高まっている1).今回,筆者らは,試験管内においてマウスのES細胞から胎生期の胃の原基に似た構造への分化を誘導し,さらに,この構造を3次元培養系に移して長期にわたり培養することにより,新生仔の胃線のように発達した上皮構造をもつ胃組織を作製した.
胃は食道から腸へとつづく腸管臓器の中央に位置し,ほかの腸管臓器と同様に,内胚葉に由来する分泌能をもつ機能的な上皮細胞が内腔をおおい,外側を中胚葉に由来する粘膜筋層がかこんでいる.この内胚葉組織のまわりを中胚葉組織がかこむ構造は発生の過程においても重要と考えられており,互いの組織が成長因子をやりとり(クロストーク)することにより,おのおのの腸管臓器の発生する領域の決定から個々の細胞の分化の制御までが行われている2).胃においても,中胚葉に由来する組織が隣接する内胚葉に由来する上皮細胞の発生を制御すると考えられており,とくに,転写因子をコードするBarx1遺伝子が胎生期において中胚葉の領域の胃の全体で発現しWnt阻害タンパク質が分泌することにより胃の上皮細胞の分化が制御されることが報告されている3).筆者らは,ES細胞を用いた試験管内における胃の分化の誘導においても,胃の発生と同様に,この内胚葉および中胚葉の構造を模すことが重要だと考えた.しかし,これまでのES細胞あるいはiPS細胞からの内胚葉に由来する組織への分化の誘導は,そのほとんどが内胚葉にのみ着目しており,胃の発生の過程を模すように内胚葉細胞および中胚葉細胞の分化を同時に誘導し胃の全体の分化を誘導した例は報告されていなかった.
今回,確立された,ES細胞から胃組織への分化の誘導法の概略を示す(図1).まず,マウスのES細胞をLIF(leukemia inhibitory factor)の非存在下において胚葉体を形成させ,おのおのの胚葉への分化をあまり制御させることなく自由に分化させた.その結果,胚葉体において,Sox17遺伝子およびFoxa2遺伝子を発現する内胚葉に分化する部分と,そのまわりでT(Brachyury)遺伝子を発現する中胚葉に分化する部分が形成された.この構造を血清代替培地において接着培養したところ,外側の中胚葉の一部はBarx1遺伝子を発現し,自由な分化の条件においても胚葉体の形成と接着培養により胃の原基に似た部分の分化の誘導が可能であると推察された.しかし,定量的PCRにより食道,胃,腸のマーカー遺伝子の発現を調べたところ,この自由分化系ではおもに腸の遺伝子マーカーの発現が優位に上昇しており,胃の遺伝子マーカーはほとんど検出されなかったため,胃に分化している部分はごく一部であると示唆された.そこで,この分化の誘導法を改善し,より効率よく胃への分化が誘導される条件をスクリーニングした.最終的に,胚葉体の形成ののち成長因子であるSHHおよびDKK1を特定の濃度でくわえることにより,おおよそ60%の効率で前方内胚葉の遺伝子マーカーであるSox2遺伝子およびBarx1遺伝子を発現する胃原基に類似した構造への分化が誘導された.この胃原基に似た構造は培養ディッシュにおいて中身が空洞の球体構造をしており,その頂点から底まで,内側がSox2遺伝子を発現する内胚葉,外側がBarx1遺伝子を発現する中胚葉から構成され,胎生期の胃原基とほぼ同等の遺伝子発現パターンを示していた.
さらに,この胃原基に似た構造を血清代替培地において3日間にわたり自由に分化させたところ,Sox2遺伝子およびPdx1遺伝子を発現する胎生11.5日目の胃原基に酷似した構造へと分化した.内腔の上皮細胞におけるSox2遺伝子およびPdx1遺伝子の発現パターンから,この胃原基に似た構造は,胃酸などの分泌の機能を担う胃体部,および,おもにホルモンを分泌する幽門部へと分化する可能性が示唆された.
発生期の原基の構造をコラーゲンゲルに包埋し,3次元培養することにより発生を進めると,成体に近い組織が作製されることが示されている1).そこで,ES細胞から分化させた胃原基に似た構造についても,同様にコラーゲンゲルを用いた3次元培養により,より発生の進んだ胃組織へと成熟させることを試みた.胃原基に似た構造への分化を誘導したのち,血清代替培地において1週間以上にわたり自由に分化させ,ピンセットで球体構造のみを回収してコラーゲンゲルに包埋した.そののち,3次元培養を2週間以上つづけたところ,より大きな構造をもつ胃組織への分化が誘導された.この胃組織は,内腔の上皮にペプシノーゲンを発現した主細胞,H+/K+-ATPaseを発現した壁細胞,Muc5acを発現した粘液細胞をもち,その周囲をDesminおよび平滑筋アクチンを発現する粘膜筋板がおおっていたことから,より成体に近い胃が作製されていると示唆された.さらに,マイクロアレイ法により遺伝子の発現を網羅的に確認した結果,食道,肺,膵臓,肝臓,腸と比べ,胃にもっとも近い遺伝子発現パターンを示したことから,この胃組織は胃に特異的に分化していることが示された.くわえて,この胃組織は培地にペプシノーゲンを分泌していることがELASA法により確認され,ヒスタミンの刺激に応答して培地のpHを低下させることもわかり,内腔の上皮細胞が消化酵素や胃酸の分泌といった胃の機能的な性質の一部を保持していることが確認された.しかし,この時点においては,上皮に発達した胃腺の構造はみられず,基本的には1層の平坦な上皮が内腔を構成しており,成体と比べると未発達であった.
この胃組織の構造をさらに2週間以上も3次元培養することにより,未発達な上皮がより発達した胃腺の構造へと分化しないか検討した.胚様体の形成の期間も含めて56~60日間まで培養期間を延ばすと,胃組織において内腔の上皮の一部が深い分泌腺の構造を形成し,成体においてみられる胃腺に似た構造が確認された.この胃腺の底には分泌顆粒を蓄積した主細胞が多くみられ,成体の胃腺と同様に,胃腺の底に幹細胞や主細胞の存在することが示唆された.胃腺における細胞の分布をよりくわしく調べたところ,一部の胃腺の底部にLgr5遺伝子を発現する幹細胞,胃腺の中段にH+/K+-ATPaseを発現する壁細胞,胃腺のもっとも上部にMuc5acを発現する粘液細胞が位置し,発達した胃腺において,成体と同様に分化した細胞が整って存在することが示された.これらの細胞は電子顕微鏡によっても確認され,新生仔の胃細胞と非常に類似した形態を示し,構造としても胃腺のなかに成熟した胃細胞の存在することが示された.
以上から,試験管における培養のみでES細胞から成体に近い胃組織が作製されたと結論づけた.
胃においてTGFαが過剰に発現すると巨大な皺襞の形成が誘導されることから胃がんの原因のひとつといわれている.この病態はメネトリエ病と考えられており,TGFαを過剰に発現させたトランスジェニックマウスも同様の病態を示すことがわかっている4).この病態をin vitroにおいて再現するため,ES細胞から分化の誘導された胃組織にTGFαを過剰に発現させることにより,試験管内におけるメネトリエ病の病態モデルの作製を試みた.マウスのES細胞におけるテトラサイクリン発現誘導系5) を利用して,ヒトのTGFαを条件的に過剰に発現するES細胞を樹立し,このES細胞を用いて胃組織への分化を誘導した.立体的な胃の構造が形成されたのち,3次元培養においてヒトのTGFαを過剰に発現させたところ,内腔の上皮が多層になり過剰に増殖した巨大な皺襞様の上皮組織が観察された.この巨大な皺襞の内側には一部に管腔構造がみられたほか,TGFαを過剰発現していない試料に比べMuc5acを発現する粘液細胞が顕著に増殖し,H+/K+-ATPaseを発現する壁細胞が減少していた.壁細胞の減少にともない,ヒスタミンの存在のもとでのpHの低下も抑制されていた.これらは,TGFαを過剰に発現させたメネトリエ病の病態モデルマウスにおいても観察される表現型であり,TGFαの過剰発現によりメネトリエ病の病態の一部が模倣されたと考えられた.今後,この巨大な皺襞様の上皮組織を回収し移植実験などを行うことにより,病態をより詳細に評価する必要があると考えている.
今回,筆者らは,マウスのES細胞を用いて試験管内における培養のみで成体に近い胃組織を構築する新規の培養法を開発し,さらに,胃の病態モデルとして応用が可能であることを示した.今後,ヒトの多能性細胞を用いた胃組織の構築が望まれるが,ヒトのES細胞とマウスのES細胞の性質には違いのあることから6),いまだ,ヒトの胃組織の作製にはいたっていない.近年,マウスのES細胞の状態に近いとされるヒトの基底状態の多能性幹細胞を樹立したとの報告があいついでおり7),これらの知見をもとに,マウスのES細胞に近いヒトESの細胞を作製し,ヒトの胃組織の作製をめざしたい.
略歴:筑波大学大学院生命環境科学研究科博士課程 在学中.
栗崎 晃(Akira Kurisaki)
産業技術総合研究所幹細胞工学研究センター 上席主任研究員.
研究室URL:https://unit.aist.go.jp/scrc/ci/teams/stemcell/index.html
© 2015 野口隆明・栗崎 晃 Licensed under CC 表示 2.1 日本
(産業技術総合研究所幹細胞工学研究センター 幹細胞制御研究チーム)
email:野口隆明,栗崎 晃
DOI: 10.7875/first.author.2015.102
Generation of stomach tissue from mouse embryonic stem cells.
Taka-aki K. Noguchi, Naoto Ninomiya, Mari Sekine, Shinji Komazaki, Pi-Chao Wang, Makoto Asashima, Akira Kurisaki
Nature Cell Biology, 17, 984-993 (2015)
要 約
この研究において,マウスのES細胞を用い,胚葉体形成法による分化の誘導ののち,成長因子であるSHHおよびDKK1をくわえることにより胎生期における胃原基に似た構造への分化が誘導され,さらに,この構造を長期にわたり3次元培養することにより胃腺をもつ立体的な胃組織の構造への分化が誘導された.くわえて,これらES細胞に由来する胃組織の一部は,胃酸を分泌する壁細胞,および,消化酵素を分泌する主細胞へと分化し,機能的な胃の性質を示した.さらに,この胃組織に胃がんに関連する遺伝子を過剰に発現させることにより,上皮が過剰に増殖する前がん状態が誘導された.これらの結果から,試験管において分化の誘導された胃組織は,種々の胃疾患モデルの作製への応用が可能と考えられた.
はじめに
近年,試験管においてES細胞やiPS細胞から肝細胞,膵臓β細胞,小腸細胞の分化を誘導する方法が確立されつつあり,再生医療や病態モデルへの応用の可能性が注目をあつめている.とくに,腸に関しては,ヒトのiPS細胞を3次元培養することにより立体的な組織の構造への分化を誘導する方法が報告され,立体的な臓器の作製への期待も高まっている1).今回,筆者らは,試験管内においてマウスのES細胞から胎生期の胃の原基に似た構造への分化を誘導し,さらに,この構造を3次元培養系に移して長期にわたり培養することにより,新生仔の胃線のように発達した上皮構造をもつ胃組織を作製した.
胃は食道から腸へとつづく腸管臓器の中央に位置し,ほかの腸管臓器と同様に,内胚葉に由来する分泌能をもつ機能的な上皮細胞が内腔をおおい,外側を中胚葉に由来する粘膜筋層がかこんでいる.この内胚葉組織のまわりを中胚葉組織がかこむ構造は発生の過程においても重要と考えられており,互いの組織が成長因子をやりとり(クロストーク)することにより,おのおのの腸管臓器の発生する領域の決定から個々の細胞の分化の制御までが行われている2).胃においても,中胚葉に由来する組織が隣接する内胚葉に由来する上皮細胞の発生を制御すると考えられており,とくに,転写因子をコードするBarx1遺伝子が胎生期において中胚葉の領域の胃の全体で発現しWnt阻害タンパク質が分泌することにより胃の上皮細胞の分化が制御されることが報告されている3).筆者らは,ES細胞を用いた試験管内における胃の分化の誘導においても,胃の発生と同様に,この内胚葉および中胚葉の構造を模すことが重要だと考えた.しかし,これまでのES細胞あるいはiPS細胞からの内胚葉に由来する組織への分化の誘導は,そのほとんどが内胚葉にのみ着目しており,胃の発生の過程を模すように内胚葉細胞および中胚葉細胞の分化を同時に誘導し胃の全体の分化を誘導した例は報告されていなかった.
1.ES細胞から胃原基に似た構造への分化の誘導
今回,確立された,ES細胞から胃組織への分化の誘導法の概略を示す(図1).まず,マウスのES細胞をLIF(leukemia inhibitory factor)の非存在下において胚葉体を形成させ,おのおのの胚葉への分化をあまり制御させることなく自由に分化させた.その結果,胚葉体において,Sox17遺伝子およびFoxa2遺伝子を発現する内胚葉に分化する部分と,そのまわりでT(Brachyury)遺伝子を発現する中胚葉に分化する部分が形成された.この構造を血清代替培地において接着培養したところ,外側の中胚葉の一部はBarx1遺伝子を発現し,自由な分化の条件においても胚葉体の形成と接着培養により胃の原基に似た部分の分化の誘導が可能であると推察された.しかし,定量的PCRにより食道,胃,腸のマーカー遺伝子の発現を調べたところ,この自由分化系ではおもに腸の遺伝子マーカーの発現が優位に上昇しており,胃の遺伝子マーカーはほとんど検出されなかったため,胃に分化している部分はごく一部であると示唆された.そこで,この分化の誘導法を改善し,より効率よく胃への分化が誘導される条件をスクリーニングした.最終的に,胚葉体の形成ののち成長因子であるSHHおよびDKK1を特定の濃度でくわえることにより,おおよそ60%の効率で前方内胚葉の遺伝子マーカーであるSox2遺伝子およびBarx1遺伝子を発現する胃原基に類似した構造への分化が誘導された.この胃原基に似た構造は培養ディッシュにおいて中身が空洞の球体構造をしており,その頂点から底まで,内側がSox2遺伝子を発現する内胚葉,外側がBarx1遺伝子を発現する中胚葉から構成され,胎生期の胃原基とほぼ同等の遺伝子発現パターンを示していた.
さらに,この胃原基に似た構造を血清代替培地において3日間にわたり自由に分化させたところ,Sox2遺伝子およびPdx1遺伝子を発現する胎生11.5日目の胃原基に酷似した構造へと分化した.内腔の上皮細胞におけるSox2遺伝子およびPdx1遺伝子の発現パターンから,この胃原基に似た構造は,胃酸などの分泌の機能を担う胃体部,および,おもにホルモンを分泌する幽門部へと分化する可能性が示唆された.
2.3次元培養による胃原基に似た構造から立体的な胃組織への分化の誘導
発生期の原基の構造をコラーゲンゲルに包埋し,3次元培養することにより発生を進めると,成体に近い組織が作製されることが示されている1).そこで,ES細胞から分化させた胃原基に似た構造についても,同様にコラーゲンゲルを用いた3次元培養により,より発生の進んだ胃組織へと成熟させることを試みた.胃原基に似た構造への分化を誘導したのち,血清代替培地において1週間以上にわたり自由に分化させ,ピンセットで球体構造のみを回収してコラーゲンゲルに包埋した.そののち,3次元培養を2週間以上つづけたところ,より大きな構造をもつ胃組織への分化が誘導された.この胃組織は,内腔の上皮にペプシノーゲンを発現した主細胞,H+/K+-ATPaseを発現した壁細胞,Muc5acを発現した粘液細胞をもち,その周囲をDesminおよび平滑筋アクチンを発現する粘膜筋板がおおっていたことから,より成体に近い胃が作製されていると示唆された.さらに,マイクロアレイ法により遺伝子の発現を網羅的に確認した結果,食道,肺,膵臓,肝臓,腸と比べ,胃にもっとも近い遺伝子発現パターンを示したことから,この胃組織は胃に特異的に分化していることが示された.くわえて,この胃組織は培地にペプシノーゲンを分泌していることがELASA法により確認され,ヒスタミンの刺激に応答して培地のpHを低下させることもわかり,内腔の上皮細胞が消化酵素や胃酸の分泌といった胃の機能的な性質の一部を保持していることが確認された.しかし,この時点においては,上皮に発達した胃腺の構造はみられず,基本的には1層の平坦な上皮が内腔を構成しており,成体と比べると未発達であった.
3.ES細胞に由来する胃組織における機能的な胃線の構造
この胃組織の構造をさらに2週間以上も3次元培養することにより,未発達な上皮がより発達した胃腺の構造へと分化しないか検討した.胚様体の形成の期間も含めて56~60日間まで培養期間を延ばすと,胃組織において内腔の上皮の一部が深い分泌腺の構造を形成し,成体においてみられる胃腺に似た構造が確認された.この胃腺の底には分泌顆粒を蓄積した主細胞が多くみられ,成体の胃腺と同様に,胃腺の底に幹細胞や主細胞の存在することが示唆された.胃腺における細胞の分布をよりくわしく調べたところ,一部の胃腺の底部にLgr5遺伝子を発現する幹細胞,胃腺の中段にH+/K+-ATPaseを発現する壁細胞,胃腺のもっとも上部にMuc5acを発現する粘液細胞が位置し,発達した胃腺において,成体と同様に分化した細胞が整って存在することが示された.これらの細胞は電子顕微鏡によっても確認され,新生仔の胃細胞と非常に類似した形態を示し,構造としても胃腺のなかに成熟した胃細胞の存在することが示された.
以上から,試験管における培養のみでES細胞から成体に近い胃組織が作製されたと結論づけた.
4.ES細胞に由来する胃組織を用いた胃がんの病態モデルの作製
胃においてTGFαが過剰に発現すると巨大な皺襞の形成が誘導されることから胃がんの原因のひとつといわれている.この病態はメネトリエ病と考えられており,TGFαを過剰に発現させたトランスジェニックマウスも同様の病態を示すことがわかっている4).この病態をin vitroにおいて再現するため,ES細胞から分化の誘導された胃組織にTGFαを過剰に発現させることにより,試験管内におけるメネトリエ病の病態モデルの作製を試みた.マウスのES細胞におけるテトラサイクリン発現誘導系5) を利用して,ヒトのTGFαを条件的に過剰に発現するES細胞を樹立し,このES細胞を用いて胃組織への分化を誘導した.立体的な胃の構造が形成されたのち,3次元培養においてヒトのTGFαを過剰に発現させたところ,内腔の上皮が多層になり過剰に増殖した巨大な皺襞様の上皮組織が観察された.この巨大な皺襞の内側には一部に管腔構造がみられたほか,TGFαを過剰発現していない試料に比べMuc5acを発現する粘液細胞が顕著に増殖し,H+/K+-ATPaseを発現する壁細胞が減少していた.壁細胞の減少にともない,ヒスタミンの存在のもとでのpHの低下も抑制されていた.これらは,TGFαを過剰に発現させたメネトリエ病の病態モデルマウスにおいても観察される表現型であり,TGFαの過剰発現によりメネトリエ病の病態の一部が模倣されたと考えられた.今後,この巨大な皺襞様の上皮組織を回収し移植実験などを行うことにより,病態をより詳細に評価する必要があると考えている.
おわりに
今回,筆者らは,マウスのES細胞を用いて試験管内における培養のみで成体に近い胃組織を構築する新規の培養法を開発し,さらに,胃の病態モデルとして応用が可能であることを示した.今後,ヒトの多能性細胞を用いた胃組織の構築が望まれるが,ヒトのES細胞とマウスのES細胞の性質には違いのあることから6),いまだ,ヒトの胃組織の作製にはいたっていない.近年,マウスのES細胞の状態に近いとされるヒトの基底状態の多能性幹細胞を樹立したとの報告があいついでおり7),これらの知見をもとに,マウスのES細胞に近いヒトESの細胞を作製し,ヒトの胃組織の作製をめざしたい.
文 献
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- Takashima, Y., Guo, G., Loos, R. et al.: Resetting transcription factor control circuitry toward ground state pluripotency in human. Cell, 158, 1254-1269 (2014)[PubMed]
著者プロフィール
略歴:筑波大学大学院生命環境科学研究科博士課程 在学中.
栗崎 晃(Akira Kurisaki)
産業技術総合研究所幹細胞工学研究センター 上席主任研究員.
研究室URL:https://unit.aist.go.jp/scrc/ci/teams/stemcell/index.html
© 2015 野口隆明・栗崎 晃 Licensed under CC 表示 2.1 日本