記憶の想起の成功には側頭葉の領域のあいだのシグナルによる皮質層のあいだの神経回路の活性化が必要である
竹田真己・宮下保司
(東京大学大学院医学系研究科 統合生理学)
email:宮下保司
DOI: 10.7875/first.author.2015.054
Top-down regulation of laminar circuit via inter-area signal for successful object memory recall in monkey temporal cortex.
Masaki Takeda, Kenji W. Koyano, Toshiyuki Hirabayashi, Yusuke Adachi, Yasushi Miyashita
Neuron, 86, 840-852 (2015)
大脳の側頭葉には視覚の長期的な記憶にかかわるニューロンが存在する.しかし,従来の電気生理学的な手法はニューロンの活動をひとつずつ計測する手法が一般的であったため,個々のニューロンの反応特性を調べるのには適する一方,複数の領域にまたがるニューロンがどのような原理により活性化されるかについて調べることは困難であった.今回,筆者らは,複数の記録チャネルをもつ電極を使用することにより側頭葉のTE野において皮質層のあいだのシグナルを記録し,また,より高次の領域である側頭葉の36野からのシグナルを同時に記録することにより,サルが視覚の長期的な記憶を想起している際にはTE野の皮質層のあいだにまたがる神経回路が36野からのトップダウンのシグナルにより活性化されることが重要であることを明らかにした.領域のあいだのシグナルと皮質層のあいだのシグナルとを同時に記録する手法により,記憶の想起をささえるニューロンのネットワークの作動原理の解明が進むとともに,視覚的な記憶障害にかかわる神経回路の研究が進展すると期待される.
大脳の側頭葉は物体に関する視覚的な記憶をつかさどる領域であり1,2),記憶の記銘あるいは想起のときに活動するニューロンが存在する3).解剖学的には,側頭葉は36野やTE野といった複数の領域から構成されていることが知られている.従来の電気生理学的な手法を用いた研究により,36野からTE野へ逆行性のシグナルが伝達されこのシグナルが視覚的な記憶の想起に貢献することが示唆されていたが4),これまで,この逆行性のシグナルを直接的に検証した研究はなかった.その大きな原因としては,従来は個々のニューロンの活動をひとつずつ計測する手法が一般的だったことがあげられる.こうした手法は個々のニューロンの反応特性を調べるのには適している一方,複数の領域がどのように協調的にはたらいているのかを調べることは困難であった.また,同じ領域の皮質層のあいだの神経回路に関してはおもに初期感覚野において研究が進められてきたが,側頭葉においては最近になりようやく報告がされはじめたばかりで5),不明な点が多い.とくに,領域のあいだの協調的な神経活動が同じ領域の皮質層のあいだにまたがる神経回路をどのように活性化するかについて調べることは,記憶を含むヒトの認知の過程における神経回路の作動原理を理解することにつながり,脳科学における長年の課題であった.
記憶の想起にかかわる側頭葉の領域のあいだのシグナルおよび同じ領域の皮質層のあいだのシグナルの伝達の過程について調べるため,サルに対連合記憶課題を課し4-7),物体の視覚性の情報の記憶を想起する際のニューロンの活動を解析した.対連合記憶課題とは,対となる言葉や図形をあらかじめ連想により記憶し,手がかりになる言葉や図形を見た際に対となる言葉や図形を思い出す課題であり,記憶障害の程度を調べる試験として臨床において広く使用されている(図1a).TE野の記録においては,複数の皮質層から同時に記録するため1本のシャフトに複数の記録電極を備える多点リニア電極を用いた.また,タングステン電極を用いて36野からも同時に計測した(図1b).36野の単一ユニット活動とTE野の局所フィールド電位との協調性をコヒーレンスを計算することにより検証した.解析の結果,サルが手がかりになる図形をヒントに対となる図形を想起している際には,36野の個々のニューロンがTE野の局所フィールド電位と低周波帯域においてコヒーレントな神経活動を示した.また,36野における神経活動はTE野における神経活動より17 ms早かった.
36野とTE野とのコヒーレントな神経活動がTE野のどの皮質層に局在するかを検証した.皮質層におけるおのおのの記録電極の位置は脳における電流源の分布を推定する電流源密度推定法を用いて推定した.低周波数帯域におけるコヒーレンスの皮質層におけるパターンを主成分分析したところ,TE野浅層あるいはTE野深層のいずれかが高いパターンが抽出され,すべての分散の8割以上を説明した.主成分空間で低周波数帯域におけるコヒーレンスのクラスター解析を行ったところ,36野のニューロンがTE野深層とコヒーレンスを示すクラスター,TE野浅層とコヒーレンスを示すクラスター,TE野深層およびTE野浅層とコヒーレンスを示すクラスターの3つに分離された.
36野からTE野へと伝達された協調的な神経活動はTE野における局所の神経回路に影響をあたえているのだろうか.この問いに答えるため,TE野のガンマ活動に注目し,記憶を想起しているときどの皮質層においてガンマ活動が高まっているかについて調べた.その結果,さきのクラスターとは関係なく,ガンマ活動はTE野浅層において高かった.そこで,TE野の局所フィールド電位とコヒーレントな36野のスパイク列を抽出し,TE野浅層のガンマ活動のスパイクトリガー平均を解析することにより,TE野浅層のガンマ活動が36野とTE野深層とのコヒーレンスおよび36野とTE野浅層とのコヒーレンスと関連しているかどうかを調べた.その結果,36野とTE野浅層とのコヒーレンスはTE野浅層のガンマ活動とは関連しない一方,36野とTE野深層とのコヒーレンスはTE野浅層のガンマ活動と強く関連していた.この36野-TE野深層-TE野浅層のシグナルの伝達が実際に視覚的な記憶の想起に貢献しているかどうか検討するため,サルが記憶の想起に成功したときと失敗したときのシグナルの伝達の強度を比較した.その結果,36野-TE野深層-TE野浅層のシグナルの伝達はサルが視覚性の情報の記憶を正しく思い出したときのみに作動し,思い出しに失敗したときには作動しないことが示された.このことから,A36野-TE野深層-TE野浅層のシグナルの伝達は記憶を正しく思い出す際に必要であることが示唆された.これらの結果は,霊長類の側頭葉において,記憶の想起をつかさどる領域のあいだおよび同じ領域の皮質層のあいだのシグナルの伝達の原理を示したはじめての報告であった.
これまでにも,領域のあいだの情報伝達8,9) あるいは皮質層のあいだの情報伝達10,11) については個別に研究されてきた.今回の研究は,こうした領域のあいだと皮質層のあいだを伝達するシグナルの経路をはじめて報告した.この研究の重要な点は,側頭葉における領域のあいだ(36野とTE野のあいだ)およびおなじ領域(TE野)の皮質層のあいだの神経回路を伝達するシグナルが,物体の視覚的な情報の記憶を正しく想起する際に必要であることを示した点にある.この研究により,記憶の想起に関連するニューロンのネットワークとしての作動原理の理解が深まっただけでなく,このネットワークが正常にはたらかなくなった際の視覚性の記憶障害にかかわる神経回路の研究にもつながることが期待される.
略歴:2005年 東京大学大学院医学系研究科博士課程 修了,同 助手,同 特任講師を経て,2015年より順天堂大学大学院医学研究科 特任講師.
宮下 保司(Yasushi Miyashita)
順天堂大学大学院医学研究科 特任教授.
© 2015 竹田真己・宮下保司 Licensed under CC 表示 2.1 日本
(東京大学大学院医学系研究科 統合生理学)
email:宮下保司
DOI: 10.7875/first.author.2015.054
Top-down regulation of laminar circuit via inter-area signal for successful object memory recall in monkey temporal cortex.
Masaki Takeda, Kenji W. Koyano, Toshiyuki Hirabayashi, Yusuke Adachi, Yasushi Miyashita
Neuron, 86, 840-852 (2015)
要 約
大脳の側頭葉には視覚の長期的な記憶にかかわるニューロンが存在する.しかし,従来の電気生理学的な手法はニューロンの活動をひとつずつ計測する手法が一般的であったため,個々のニューロンの反応特性を調べるのには適する一方,複数の領域にまたがるニューロンがどのような原理により活性化されるかについて調べることは困難であった.今回,筆者らは,複数の記録チャネルをもつ電極を使用することにより側頭葉のTE野において皮質層のあいだのシグナルを記録し,また,より高次の領域である側頭葉の36野からのシグナルを同時に記録することにより,サルが視覚の長期的な記憶を想起している際にはTE野の皮質層のあいだにまたがる神経回路が36野からのトップダウンのシグナルにより活性化されることが重要であることを明らかにした.領域のあいだのシグナルと皮質層のあいだのシグナルとを同時に記録する手法により,記憶の想起をささえるニューロンのネットワークの作動原理の解明が進むとともに,視覚的な記憶障害にかかわる神経回路の研究が進展すると期待される.
はじめに
大脳の側頭葉は物体に関する視覚的な記憶をつかさどる領域であり1,2),記憶の記銘あるいは想起のときに活動するニューロンが存在する3).解剖学的には,側頭葉は36野やTE野といった複数の領域から構成されていることが知られている.従来の電気生理学的な手法を用いた研究により,36野からTE野へ逆行性のシグナルが伝達されこのシグナルが視覚的な記憶の想起に貢献することが示唆されていたが4),これまで,この逆行性のシグナルを直接的に検証した研究はなかった.その大きな原因としては,従来は個々のニューロンの活動をひとつずつ計測する手法が一般的だったことがあげられる.こうした手法は個々のニューロンの反応特性を調べるのには適している一方,複数の領域がどのように協調的にはたらいているのかを調べることは困難であった.また,同じ領域の皮質層のあいだの神経回路に関してはおもに初期感覚野において研究が進められてきたが,側頭葉においては最近になりようやく報告がされはじめたばかりで5),不明な点が多い.とくに,領域のあいだの協調的な神経活動が同じ領域の皮質層のあいだにまたがる神経回路をどのように活性化するかについて調べることは,記憶を含むヒトの認知の過程における神経回路の作動原理を理解することにつながり,脳科学における長年の課題であった.
1.36野のニューロンはTE野の局所フィールド電位と低周波数帯域においてコヒーレントな活動を示す
記憶の想起にかかわる側頭葉の領域のあいだのシグナルおよび同じ領域の皮質層のあいだのシグナルの伝達の過程について調べるため,サルに対連合記憶課題を課し4-7),物体の視覚性の情報の記憶を想起する際のニューロンの活動を解析した.対連合記憶課題とは,対となる言葉や図形をあらかじめ連想により記憶し,手がかりになる言葉や図形を見た際に対となる言葉や図形を思い出す課題であり,記憶障害の程度を調べる試験として臨床において広く使用されている(図1a).TE野の記録においては,複数の皮質層から同時に記録するため1本のシャフトに複数の記録電極を備える多点リニア電極を用いた.また,タングステン電極を用いて36野からも同時に計測した(図1b).36野の単一ユニット活動とTE野の局所フィールド電位との協調性をコヒーレンスを計算することにより検証した.解析の結果,サルが手がかりになる図形をヒントに対となる図形を想起している際には,36野の個々のニューロンがTE野の局所フィールド電位と低周波帯域においてコヒーレントな神経活動を示した.また,36野における神経活動はTE野における神経活動より17 ms早かった.
2.36野のニューロンはTE野浅層あるいはTE野深層の局所フィールド電位とコヒーレントな神経活動を示す
36野とTE野とのコヒーレントな神経活動がTE野のどの皮質層に局在するかを検証した.皮質層におけるおのおのの記録電極の位置は脳における電流源の分布を推定する電流源密度推定法を用いて推定した.低周波数帯域におけるコヒーレンスの皮質層におけるパターンを主成分分析したところ,TE野浅層あるいはTE野深層のいずれかが高いパターンが抽出され,すべての分散の8割以上を説明した.主成分空間で低周波数帯域におけるコヒーレンスのクラスター解析を行ったところ,36野のニューロンがTE野深層とコヒーレンスを示すクラスター,TE野浅層とコヒーレンスを示すクラスター,TE野深層およびTE野浅層とコヒーレンスを示すクラスターの3つに分離された.
3.36野とTE野深層との協調的な神経活動はTE野浅層のガンマ活動と関連する
36野からTE野へと伝達された協調的な神経活動はTE野における局所の神経回路に影響をあたえているのだろうか.この問いに答えるため,TE野のガンマ活動に注目し,記憶を想起しているときどの皮質層においてガンマ活動が高まっているかについて調べた.その結果,さきのクラスターとは関係なく,ガンマ活動はTE野浅層において高かった.そこで,TE野の局所フィールド電位とコヒーレントな36野のスパイク列を抽出し,TE野浅層のガンマ活動のスパイクトリガー平均を解析することにより,TE野浅層のガンマ活動が36野とTE野深層とのコヒーレンスおよび36野とTE野浅層とのコヒーレンスと関連しているかどうかを調べた.その結果,36野とTE野浅層とのコヒーレンスはTE野浅層のガンマ活動とは関連しない一方,36野とTE野深層とのコヒーレンスはTE野浅層のガンマ活動と強く関連していた.この36野-TE野深層-TE野浅層のシグナルの伝達が実際に視覚的な記憶の想起に貢献しているかどうか検討するため,サルが記憶の想起に成功したときと失敗したときのシグナルの伝達の強度を比較した.その結果,36野-TE野深層-TE野浅層のシグナルの伝達はサルが視覚性の情報の記憶を正しく思い出したときのみに作動し,思い出しに失敗したときには作動しないことが示された.このことから,A36野-TE野深層-TE野浅層のシグナルの伝達は記憶を正しく思い出す際に必要であることが示唆された.これらの結果は,霊長類の側頭葉において,記憶の想起をつかさどる領域のあいだおよび同じ領域の皮質層のあいだのシグナルの伝達の原理を示したはじめての報告であった.
おわりに
これまでにも,領域のあいだの情報伝達8,9) あるいは皮質層のあいだの情報伝達10,11) については個別に研究されてきた.今回の研究は,こうした領域のあいだと皮質層のあいだを伝達するシグナルの経路をはじめて報告した.この研究の重要な点は,側頭葉における領域のあいだ(36野とTE野のあいだ)およびおなじ領域(TE野)の皮質層のあいだの神経回路を伝達するシグナルが,物体の視覚的な情報の記憶を正しく想起する際に必要であることを示した点にある.この研究により,記憶の想起に関連するニューロンのネットワークとしての作動原理の理解が深まっただけでなく,このネットワークが正常にはたらかなくなった際の視覚性の記憶障害にかかわる神経回路の研究にもつながることが期待される.
文 献
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著者プロフィール
略歴:2005年 東京大学大学院医学系研究科博士課程 修了,同 助手,同 特任講師を経て,2015年より順天堂大学大学院医学研究科 特任講師.
宮下 保司(Yasushi Miyashita)
順天堂大学大学院医学研究科 特任教授.
© 2015 竹田真己・宮下保司 Licensed under CC 表示 2.1 日本