ヒトの集団における合意形成の過程の計算論モデルとその神経機構
鈴木 真介
(米国California Institute of Technology,Division of the Humanities and Social Sciences)
email:鈴木真介
DOI: 10.7875/first.author.2015.045
Neural mechanisms underlying human consensus decision-making.
Shinsuke Suzuki, Ryo Adachi, Simon Dunne, Peter Bossaerts, John P. O'Doherty
Neuron, 86, 591-602 (2015)
ヒトは社会生活を営むなかで個々の人の選好や利害関係を調整し他者と合意を形成することができる.この研究においては,集団において合意形成をめざす際のヒトの意思決定のパターンを再現しうる計算論モデルを提案し,そのモデルを核磁気共鳴画像装置を用いた脳イメージング実験により検証した.その結果,ヒトは,自分自身の選好,他者の過去の行動,それぞれの選択肢がどのくらい他者に好まれているのか,の3種類の情報を組み合わせて合意形成のための意思決定を行っていることがわかった.さらに,それらの情報はそれぞれ別の脳領域,腹内側前頭前野,後部上側頭溝および側頭頂接合部,頭頂間溝および下頭頂葉において処理されており,最終的には背側前帯状皮質において統合されていることが明らかにされた.
われわれはしばしば好みや利害の異なる人々の意見をまとめ集団として意思決定を行う必要にせまられる.たとえば,家族や友人と食事に行く際には個々の人の希望(和食が好き,洋食が好き,など)を調整してレストランを決めなければならない.このような合意形成は,ハチの群れの営巣地の選択,渡り鳥の群れの道順あるいは目的地の選択,ヒトの社会における陪審員(裁判員)制度など,さまざまな生物において広く観察されている1).そして,集団で行う意思決定には,捕食される危険を減らす,より正確な選択を可能にする,などの利益のあることが実証されている2).合意形成の問題は経済学,社会心理学,生態学などの分野において古くから研究されてきたが,個々の人の意思決定とその相互作用からどのように合意形成が行われるのかについては,いまだによくわかっていない.また,それをささえる神経機構の解明に関しては,ヒトあるいはほかの生物をとわず,まったくの手つかずである.
ヒトの集団における合意形成の過程とそれをささえる神経機構について検証するため,ひとりの被験者が核磁気共鳴画像装置(MRI)のなかで脳の活動を計測されながらほかの被験者と合意形成をめざす実験パラダイムを開発した.この実験では,2つの商品(たとえば,バッグと帽子)から1つを選ぶという意思決定を,6人の被験者が同時に行う(図1).全員の選択がおわったのち,おのおのの被験者はほかの被験者がどちらの商品を選択したのかについて知らされる.もし,全員が同じ商品を選択していれば6人の被験者全員がその商品を獲得し,つぎの商品についての選択に進む.一方,全員の選択が一致しなかった場合,同じ商品についてふたたび選択を行う.制限回数のうちに合意に達しなかった場合はいずれの商品も獲得できないため,被験者はしばしば,自分の好きな商品を選びつづけるか,早期に妥協して確実な合意形成をめざすかのトレードオフに直面する.また,統制条件として,被験者がコンピュータープログラムと合意形成をめざす実験も行った.
この実験における被験者の意思決定のパターンを再現しうる複数の計算論モデルを構築し,実際の被験者の行動と比較した.その結果,以下の3つの仮説を組み込んだモデルが被験者の行動をもっともよく説明できることがわかった.第1に,被験者は自分の好きな商品を選びやすい.第2に,前回の選択において多くの被験者に選ばれた商品を選びやすい.つまり,合意形成のため多数派に同調する.第3に,被験者は隠れ状態である他者の選好を機械学習アルゴリズムの一種であるベイズ学習を用いて推定する.いい換えると,おのおのの商品がどのくらい他者に好まれているのかを推定し意思決定に利用している.この結果から,ヒトは自分自身の選好,他者の過去の行動,おのおのの選択肢がどのくらい他者に好まれているのか,の3種類の情報を組み合わせて,合意形成のための意思決定を行っていることが示された.
モデルベース脳イメージング解析とよばれる手法を用いて3),この3種類の情報が脳のどの領域において処理されているのか(情報と脳の活動とが相関するか)について調べた.
被験者自身の選好(選択した商品の価値)に関する情報は腹内側前頭前野において処理されていた(図2).さらに,この領域における脳の活動はコンピュータープログラムと合意形成をめざす場合にも被験者自身の選好を反映していた.先行研究により,腹内側前頭前野は食べ物,服飾品,金銭などさまざまなモノの“価値”を表象していることが知られていた4).今回の結果から,腹内側前頭前野における選好(価値)の処理が合意形成のような複雑な社会的な状況においてもはたらくことが明らかにされた.
ほかの被験者の前回の行動に関する情報は後部上側頭溝および側頭頂接合部において処理されていた(図2).しかし,この領域における脳の活動はコンピュータープログラムと合意形成をめざす場合にはみられなかった.後部上側頭溝および側頭頂接合部が社会的な状況(ほかの“ヒト”との相互作用)に特異的にかかわっているのか,あるいは,注意のようなより一般的な機能にかかわっているのかについては,長年にわたり議論されてきた5).今回の結果から,後部上側頭溝および側頭頂接合部は社会的な状況に特異的に特定の情報処理(他者の過去の行動に関する情報の処理)を担うことが明らかにされた.
自分が選んだ商品がどのくらいほかの被験者に好まれているのかに関する情報は頭頂間溝および下頭頂葉において処理されていた(図2).また,この領域における脳の活動はコンピュータープログラムと合意形成をめざす場合にも同様にみられた.つまり,頭頂間溝および下頭頂葉における情報処理は社会的な状況にかぎらずより一般的なものであることが示された.この結果は,頭頂間溝および下頭頂葉が知覚や報酬の情報を含む環境一般に関する学習に関与しているという過去の知見と6),広い意味で整合的であった.
3種類の情報が意思決定に寄与するためには,最終的には統合されて商品の選択確率に変換される必要がある.では,その統合はどこで行われているのだろうか? もし,脳のある領域がその統合にかかわっているのであれば,それぞれの情報処理を担う領域との情報のやりとり(機能的な結合)があるはずであり,さらに,商品の選択確率の情報を保持しているはずである.この2つの条件をみたす脳の領域を探すことにより情報の統合がどの領域において行われているのか調べたところ,背側前帯状皮質において3種類の情報が統合されていることが明らかにされた(図2).脳の領域のあいだの機能的な結合を調べる解析法により7),背側前帯状皮質と3種類の情報の統合を担う領域との脳の活動の相関が意思決定にともない有意に強くなることが示された.さらに,新たなモデルベース脳イメージング解析により,背側前帯状皮質は商品の選択確率の情報を保持していることがわかった.
複雑な状況にて行われる意思決定においては種々の情報を適切に統合することが重要である.これまでの研究では,情報の統合は腹内側前頭前野において行われるという説と背側前帯状皮質において行われるという説とが対立していた.今回の結果は背側前帯状皮質で行われるという説を支持するものであり,少なくとも社会的な状況においては,情報の統合は背側前帯状皮質で行われることが示唆された.
この研究においては,ヒトの集団における合意形成の過程について,個々の被験者の意思決定を再現しうる計算論モデルを提案し,その神経基盤を明らかにした.近年,社会的な状況における意思決定に関して神経活動レベルから行動レベルまで統一的に理解しようとする“社会神経科学”が勃興しつつある8).しかし,その多くの研究においては,被験者に少数(通常は1人)の対戦相手と経済ゲームなどをプレーさせ,そのあいだの行動や神経活動を記録することによりその理解をめざしており,被験者が3人以上の集団において相互に作用するようなケースは,脳イメージング実験の環境上の制約からあまり行われていなかった.筆者らの成果は,ヒトの集団行動および群衆行動をささえる神経機構の一端を明らかにした点において,ヒトを含む生物の社会的な知性の起源の解明につながる重要な一歩であると信じている.
略歴:2008年 筑波大学大学院システム情報工学研究科 修了,同年 理化学研究所脳科学総合研究センター 研究員,2011年 北海道大学大学院文学研究科 研究員を経て,2012年より米国California Institute of Technology研究員.
研究テーマ:社会的な意思決定の計算論的および神経科学的な基盤.
関心事:社会神経科学,神経経済学,計算論的神経科学.
© 2015 鈴木 真介 Licensed under CC 表示 2.1 日本
(米国California Institute of Technology,Division of the Humanities and Social Sciences)
email:鈴木真介
DOI: 10.7875/first.author.2015.045
Neural mechanisms underlying human consensus decision-making.
Shinsuke Suzuki, Ryo Adachi, Simon Dunne, Peter Bossaerts, John P. O'Doherty
Neuron, 86, 591-602 (2015)
要 約
ヒトは社会生活を営むなかで個々の人の選好や利害関係を調整し他者と合意を形成することができる.この研究においては,集団において合意形成をめざす際のヒトの意思決定のパターンを再現しうる計算論モデルを提案し,そのモデルを核磁気共鳴画像装置を用いた脳イメージング実験により検証した.その結果,ヒトは,自分自身の選好,他者の過去の行動,それぞれの選択肢がどのくらい他者に好まれているのか,の3種類の情報を組み合わせて合意形成のための意思決定を行っていることがわかった.さらに,それらの情報はそれぞれ別の脳領域,腹内側前頭前野,後部上側頭溝および側頭頂接合部,頭頂間溝および下頭頂葉において処理されており,最終的には背側前帯状皮質において統合されていることが明らかにされた.
はじめに
われわれはしばしば好みや利害の異なる人々の意見をまとめ集団として意思決定を行う必要にせまられる.たとえば,家族や友人と食事に行く際には個々の人の希望(和食が好き,洋食が好き,など)を調整してレストランを決めなければならない.このような合意形成は,ハチの群れの営巣地の選択,渡り鳥の群れの道順あるいは目的地の選択,ヒトの社会における陪審員(裁判員)制度など,さまざまな生物において広く観察されている1).そして,集団で行う意思決定には,捕食される危険を減らす,より正確な選択を可能にする,などの利益のあることが実証されている2).合意形成の問題は経済学,社会心理学,生態学などの分野において古くから研究されてきたが,個々の人の意思決定とその相互作用からどのように合意形成が行われるのかについては,いまだによくわかっていない.また,それをささえる神経機構の解明に関しては,ヒトあるいはほかの生物をとわず,まったくの手つかずである.
1.ヒトの合意形成の過程とその神経機構を検証する脳イメージング実験
ヒトの集団における合意形成の過程とそれをささえる神経機構について検証するため,ひとりの被験者が核磁気共鳴画像装置(MRI)のなかで脳の活動を計測されながらほかの被験者と合意形成をめざす実験パラダイムを開発した.この実験では,2つの商品(たとえば,バッグと帽子)から1つを選ぶという意思決定を,6人の被験者が同時に行う(図1).全員の選択がおわったのち,おのおのの被験者はほかの被験者がどちらの商品を選択したのかについて知らされる.もし,全員が同じ商品を選択していれば6人の被験者全員がその商品を獲得し,つぎの商品についての選択に進む.一方,全員の選択が一致しなかった場合,同じ商品についてふたたび選択を行う.制限回数のうちに合意に達しなかった場合はいずれの商品も獲得できないため,被験者はしばしば,自分の好きな商品を選びつづけるか,早期に妥協して確実な合意形成をめざすかのトレードオフに直面する.また,統制条件として,被験者がコンピュータープログラムと合意形成をめざす実験も行った.
2.被験者は3種類の情報を組み合わせて意思決定を行う
この実験における被験者の意思決定のパターンを再現しうる複数の計算論モデルを構築し,実際の被験者の行動と比較した.その結果,以下の3つの仮説を組み込んだモデルが被験者の行動をもっともよく説明できることがわかった.第1に,被験者は自分の好きな商品を選びやすい.第2に,前回の選択において多くの被験者に選ばれた商品を選びやすい.つまり,合意形成のため多数派に同調する.第3に,被験者は隠れ状態である他者の選好を機械学習アルゴリズムの一種であるベイズ学習を用いて推定する.いい換えると,おのおのの商品がどのくらい他者に好まれているのかを推定し意思決定に利用している.この結果から,ヒトは自分自身の選好,他者の過去の行動,おのおのの選択肢がどのくらい他者に好まれているのか,の3種類の情報を組み合わせて,合意形成のための意思決定を行っていることが示された.
3.3種類の情報はそれぞれ脳の別の領域において処理される
モデルベース脳イメージング解析とよばれる手法を用いて3),この3種類の情報が脳のどの領域において処理されているのか(情報と脳の活動とが相関するか)について調べた.
被験者自身の選好(選択した商品の価値)に関する情報は腹内側前頭前野において処理されていた(図2).さらに,この領域における脳の活動はコンピュータープログラムと合意形成をめざす場合にも被験者自身の選好を反映していた.先行研究により,腹内側前頭前野は食べ物,服飾品,金銭などさまざまなモノの“価値”を表象していることが知られていた4).今回の結果から,腹内側前頭前野における選好(価値)の処理が合意形成のような複雑な社会的な状況においてもはたらくことが明らかにされた.
ほかの被験者の前回の行動に関する情報は後部上側頭溝および側頭頂接合部において処理されていた(図2).しかし,この領域における脳の活動はコンピュータープログラムと合意形成をめざす場合にはみられなかった.後部上側頭溝および側頭頂接合部が社会的な状況(ほかの“ヒト”との相互作用)に特異的にかかわっているのか,あるいは,注意のようなより一般的な機能にかかわっているのかについては,長年にわたり議論されてきた5).今回の結果から,後部上側頭溝および側頭頂接合部は社会的な状況に特異的に特定の情報処理(他者の過去の行動に関する情報の処理)を担うことが明らかにされた.
自分が選んだ商品がどのくらいほかの被験者に好まれているのかに関する情報は頭頂間溝および下頭頂葉において処理されていた(図2).また,この領域における脳の活動はコンピュータープログラムと合意形成をめざす場合にも同様にみられた.つまり,頭頂間溝および下頭頂葉における情報処理は社会的な状況にかぎらずより一般的なものであることが示された.この結果は,頭頂間溝および下頭頂葉が知覚や報酬の情報を含む環境一般に関する学習に関与しているという過去の知見と6),広い意味で整合的であった.
4.3種類の情報は背側前帯状皮質において統合される
3種類の情報が意思決定に寄与するためには,最終的には統合されて商品の選択確率に変換される必要がある.では,その統合はどこで行われているのだろうか? もし,脳のある領域がその統合にかかわっているのであれば,それぞれの情報処理を担う領域との情報のやりとり(機能的な結合)があるはずであり,さらに,商品の選択確率の情報を保持しているはずである.この2つの条件をみたす脳の領域を探すことにより情報の統合がどの領域において行われているのか調べたところ,背側前帯状皮質において3種類の情報が統合されていることが明らかにされた(図2).脳の領域のあいだの機能的な結合を調べる解析法により7),背側前帯状皮質と3種類の情報の統合を担う領域との脳の活動の相関が意思決定にともない有意に強くなることが示された.さらに,新たなモデルベース脳イメージング解析により,背側前帯状皮質は商品の選択確率の情報を保持していることがわかった.
複雑な状況にて行われる意思決定においては種々の情報を適切に統合することが重要である.これまでの研究では,情報の統合は腹内側前頭前野において行われるという説と背側前帯状皮質において行われるという説とが対立していた.今回の結果は背側前帯状皮質で行われるという説を支持するものであり,少なくとも社会的な状況においては,情報の統合は背側前帯状皮質で行われることが示唆された.
おわりに
この研究においては,ヒトの集団における合意形成の過程について,個々の被験者の意思決定を再現しうる計算論モデルを提案し,その神経基盤を明らかにした.近年,社会的な状況における意思決定に関して神経活動レベルから行動レベルまで統一的に理解しようとする“社会神経科学”が勃興しつつある8).しかし,その多くの研究においては,被験者に少数(通常は1人)の対戦相手と経済ゲームなどをプレーさせ,そのあいだの行動や神経活動を記録することによりその理解をめざしており,被験者が3人以上の集団において相互に作用するようなケースは,脳イメージング実験の環境上の制約からあまり行われていなかった.筆者らの成果は,ヒトの集団行動および群衆行動をささえる神経機構の一端を明らかにした点において,ヒトを含む生物の社会的な知性の起源の解明につながる重要な一歩であると信じている.
文 献
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- Krause, J., Ruxton, G. D. & Krause, S.: Swarm intelligence in animals and humans. Trends Ecol. Evol., 25, 28-34 (2010)[PubMed]
- O'doherty, J. P., Hampton, A. & Kim, H.: Model-based fMRI and its application to reward learning and decision making. Ann. N. Y. Acad. Sci., 1104, 35-53 (2007)[PubMed]
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- Sanfey, A. G.: Social decision-making: insights from game theory and neuroscience. Science, 318, 598-602 (2007)[PubMed]
著者プロフィール
略歴:2008年 筑波大学大学院システム情報工学研究科 修了,同年 理化学研究所脳科学総合研究センター 研究員,2011年 北海道大学大学院文学研究科 研究員を経て,2012年より米国California Institute of Technology研究員.
研究テーマ:社会的な意思決定の計算論的および神経科学的な基盤.
関心事:社会神経科学,神経経済学,計算論的神経科学.
© 2015 鈴木 真介 Licensed under CC 表示 2.1 日本