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言語の背側-腹側二重経路を導入したコンピューターモデルを用いて失語症の理解と言語の神経基盤の理解とを同一の枠組みで実現する

上野泰治・Matthew A. Lambon Ralph
(英国Manchester大学School of Psychological Sciences,Neuroscience and Aphasia Research Unit)
email:上野泰治
DOI: 10.7875/first.author.2011.163

Lichtheim 2: synthesizing aphasia and the neural basis of language in a neurocomputational model of the dual dorsal-ventral language pathways.
Taiji Ueno, Satoru Saito, Timothy T. Rogers, Matthew A. Lambon Ralph
Neuron, 72, 385-396 (2011)




要 約


 19世紀末に提唱された言語のモデルでは単一の神経経路が仮定されていた.その一方で,現在の神経科学は,背側経路のほか前部側頭葉や腹側経路も言語に関与していることを示唆しているものの,いまだにこの二重経路を実装したコンピューターモデルは存在しない.また,健常者の言語機能と失語症患者の言語機能とを統合的に説明するようなモデルも存在しない.この論文における新しいコンピューターモデルは,健常者と失語症患者の言語機能を説明するのみならず,脳の解剖学的な制約をもその構造に入れることを試みた.このように,心理学的な機能と脳のギャップとを橋渡しすることでできあがった解剖学的に制約されたコンピューターモデルは,脳における損傷部位とその結果としての言語機能の低下への関係を説明するための基盤,また,脳の機能イメージング法によるデータをシミュレーションするための基盤を提唱することを可能とする,唯一無二のものとなった.

はじめに


 脳における言語機能の局在の研究は120年以上もまえにさかのぼる.当時は,Wernicke,Broca,Freudらが,脳に損傷をもつ患者の言語機能の低下パターン(失語症状)を蓄積し,どの部位がどの言語機能に関与しているのかを明らかにしていた.なかでも有名なLichtheim脳解剖モデル(Lichtheim-Wernickeモデルとも知られている)は,後上側頭回(Wernicke野)を聴覚言語の理解,下前頭回(Broca野)を言語の発話機能と関連づけ,かつ,この2つの脳部位を接続する部位を予測しそれを言語の反復機能と関連づけた1).のちに,Geschwindは,弓状束という神経線維の束をこのモデルに組み込み反復機能をそこに位置づけた.この解剖学的な言語のモデルはWernicke野からBroca野に弓状束を経由して上方向(背側)に情報がむかうため,言語の背側経路モデルとよばれている.このモデルは120年たったいまもなお,脳病変にもとづく言語機能の低下を理解するための枠組みとして使われている.
 しかし,神経科学の発展によりほかの脳部位や神経経路も言語機能に関与していることが明らかになってきた.じつは最近,Wernickeもすでに腹側経路に注目していたことが示唆されている2).たとえば,背側経路の範囲外である側頭葉の前下部も言語理解に関与しているという知見が,脳の機能イメージング法3),経頭蓋磁気断層刺激法4),意味認知症などの脳損傷患者5) などから示唆されてきた.また,背側経路のみならず,外包を経由して側頭葉と前頭葉を接続する腹側経路も,神経線維のイメージング法や6),類人猿における神経線維のイメージング法7) から示されてきた.このような結果を反映し,かつ,視覚処理の二重経路モデルのアナロジーとして提唱されてきたのが,言語の二重経路の解剖学的なモデルである6-8)図1).



 言語の二重経路の解剖学的なモデルは,脳の機能イメージング法や失語症の研究,神経線維のイメージング法の知見を反映したものであり,これまでの研究をうまく説明しているようにみえる.しかし,このモデルは依然として120年前のモデルと同じく静的なモデルである.つまり,解剖的なモデルとはあくまで,言語機能に関連しているとされる(つまり,機能イメージング法で明らかにされる)脳部位を神経線維のイメージング法により事後的につなぎあわせたものである.ここで重要なこととして,ある課題における脳の活性化が脳の機能イメージング法で検出されても,その部位がその機能に必要であることは証明しえない(十分条件でしかない).また,神経線維のイメージング法により言語関連部位が解剖学的に接続しあっているという事実は,その接続関係(その部位のあいだの情報連絡)が言語機能に必須であることを意味しない.いい換えると,言語に関連する脳部位が解剖学的に接続することによりトータルで言語機能を実現するであろうと仮定されている静的な写真が脳の解剖的なモデルである.よって,これらの脳部位がこのように連絡しあうことで本当に言語機能が実現されるのかどうか(解剖的なモデルの機能性),また,各部位における計算処理などの詳細などについては不明のままである.
 ある構造あるいは機構によりある機能が実現されるかといった“エンジニアリングテスト”,たとえば,モーター,シャーレ,ナット,ボルト,ホイール,タイヤという部位をある方法で接続してある構造をつくりあげ,モーターをこのように回すとその物体(車)全体が前に動くという機能が実現するか,を行うにあたり有用な手法はコンピューターモデルである.たとえば,あるニューラルネットワークモデル9) は文字の読み機能に障害をもつ患者の言語機能を再現してその理由を理解することを目的とし,どういった構造あるいは認知機構がその機能低下を実現しうるかを明らかにした.このように,ターゲットとする認知機能を実際に学習させることにより,その機能と構造あるいは機構との関連性また因果関係を解明できることがコンピューターモデルの特徴のひとつである.しかし,こういった特徴にもかかわらずコンピューターモデルの研究者と神経学者との接点が(言語研究において)希薄であったことの理由は,これまでのコンピューターモデルはその構造を比較的自由に決定しており,そこに脳の解剖構造との対応関係が希薄であったためである.つまり,コンピューターモデルがある機能を実現したとしても,脳のどの部位の計算処理について論じているのかが比較的不明瞭であった.
 これをふまえ,この研究では,現代の二重経路の知見および解剖学的な知見にもとづいてニューラルネットワークの構造を構築した.このように,さきに構造を決定するとコンピューターモデルは大きな制約をうけることになり,目的とする機能の学習はより困難になる.この解剖学的な制約をもつコンピューターモデルを用いて以下の点を検証することにより,神経科学,計算論,認知言語心理学を橋渡しするような領域横断的なコンピューターモデルを提唱することを目的とした.1)エンジニアリングテスト:このコンピューターモデルは(解剖学的な制約をあたえられたにもかかわらず)実際にヒト成人と同じレベルにまで言語機能を学ぶことができるのか? また,そのコンピューターモデルの学習過程はヒト子どもの学習曲線を再現できるか? 2)失語症の再現:ヒト成人と同じレベルにまで学習できるならば,そののち,そのコンピューターモデルを損傷させることで失語症患者の言語パターンを再現することができるか? 3)神経科学における知見の再現:現代における脳の機能イメージング法により明らかになった神経科学におけるほかの知見もコンピューターモデルにより再現することができるか? 4)二重経路の機能的な必然性:二重経路は本当に必要なのか,なぜ脳が二重経路をもつように進化および発達したのかについて計算論的な説明を提唱できるか?

1.実験の方法


 神経線維の結合イメージング法にもとづき解剖学的な制約を含めたコンピューターモデルを構築した.このコンピューターモデルを用い日本語3モーラ単語1710語を学習させた(モーラとは,日本語での音の単位).課題は,1)聴覚言語の理解,2)意味からの言語発話,3)言語反復,の3つとした.実際の日本語音声や意味の特徴を可能なかぎり保つように変換されたバイナリー情報を,音声や意味の入力情報およびターゲット情報(めざすべき出力情報)とした.

2.エンジニアリングテストと言語発達


 この解剖学的に制約されたコンピューターモデルは3つの言語課題を学習することに成功した.まず言語反復が学習され,つぎに聴覚言語理解,最後に言語発話が学習されるという点において,実際の子どもの言語発達曲線を再現することに成功した.また,学習ののちのコンピューターモデルの能力をヒト成人の能力と比較したところ,実際のヒト成人とコンピューターモデルの成績は同等であった.とくに,ヒトが非単語(意味を知らない音配列)を反復できるのと同じように,コンピューターモデルも学習していない音配列情報の反復能力を創発的に獲得することに成功した.まとめると,解剖学的な制約をうけたコンピューターモデルが実際に機能すること(神経学者による脳の解剖的なモデルの機能性)を実証することができた.

3.失語症の再現


 コンピューターモデルの各部位に“損傷”(ノイズ負荷など)をあたえることにより脳損傷患者の再現を試みた.このコンピューターモデルは解剖学的な制約をうけたものであるため,実在する患者の損傷部位とコンピューターモデルの損傷部位とを対応させることが可能であった.その結果,同一部位の損傷により実際の脳損傷患者の言語機能の低下パターンを生み出すことに成功した.たとえば,前部下部側頭葉の損傷は意味認知症の患者の言語低下パターン5) (言語反復は可能だが,聴覚言語の理解や言語発話が低下)を再現した.そのほか,背側経路(下部縁上回)の損傷は言語反復が困難となる伝導失語の症状を示し,同一部位に損傷をもつ患者のパターン10) を再現した.また,このコンピューターモデルは実際の失語症患者の言語回復パターンを再現することにも成功した.

4.神経科学における知見の再現


 このコンピューターモデルは脳の解剖学モデルとの対応をもっているため,神経科学(脳の機能イメージング法)における知見のシミュレーションを行う基盤をも提唱した.この利点にもとづき,神経科学における2つの代表的な知見を再現した.ひとつは,聴覚言語の理解,すなわち,音情報を意味情報に変換する過程において,上側頭回の各部位は後ろから前にむかってだんだんと音を意味に変換しているという脳の機能イメージング法の結果である11).つまり,後部上側頭回はより音韻の情報処理を行っており,中部そして前部にむかうにつれ,だんだんと意味の情報処理を行うよう脳部位の機能が変化していくという知見である.この目的のため,コンピューターモデルの各部位の計算処理の質(各部位で計算される表象の質)を精査することを試みた.方法として,音の似ている2つの単語,あるいは,意味の似ている2つの単語がコンピューターモデルの各部位においてどれほどよく似たパターン(脳の神経発火パターンに対応)として表現されているかを検討した.この手法の背後にある考え方は,ある部位が意味処理をしているならば,意味のよく似た2つの単語はよく似たパターンとして表現されているはず,という神経科学の考え方を借用したものである.その結果,この知見の再現に成功した.つまり,上側頭回を後部から中部そして前部にむかって,音の情報処理から意味の情報処理へと表象(計算処理)の質が変化していることが明らかになったのである.もうひとつのターゲットとなった神経科学における知見は脳損傷部位と言語発話における意味エラーの関連性についてであり,これもコンピューターモデルにおいて再現された.

5.二重経路の機能的な必然性


 解剖学的なモデルをコンピューターモデルに実装することのもっとも大きな利点は,その解剖学的な構造が本当に重要なのかどうかを実際に検証できる点にある.この文脈では,二重経路をもつことが言語機能にとり不可欠であるのかどうかを検討できる.この目的のため,背側経路を取り去った単一経路のコンピューターモデルを構築し同じように学習を試みた.結果として,この単一経路コンピューターモデルは聴覚言語の理解や言語発話の課題ではヒト成人と同等の能力をもつよう発達しうる一方で,非単語の反復がまったくできないことが明らかになった.このことから,二重経路をもつことの意義を計算論的なアプローチにより明らかにすることができた.つまり,二重経路モデルは意味処理をおもに行う経路(腹側経路)と音韻処理をおもに行う経路(背側経路)とを効率的に分業(排他的な分業ではない)させることで,非単語の反復などの音韻処理を意味処理からある程度まで自由にすることができる.一方で,単一経路モデルは単語反復の機能が意味処理に強く影響をうけてしまうため,非単語の反復(音のよく似た実在単語の意味を無視しないといけない反復)ができなくなる.これは正にある機能を実現する脳の解剖学的な構造を議論するにあたり,計算論的なアプローチが有意義であることのひとつの例である.

おわりに


 この研究では,神経線維のイメージング法にもとづく言語の二重経路の解剖学的なモデルをそのままコンピューターモデルの構造へと変換し言語機能を学習させることを試みた.結果として,このコンピューターモデルは神経学者による解剖学的なモデルの機能性を実証することに成功し,二重経路の機能的な必然性を計算論的なアプローチから証明した.また,損傷する脳とコンピューターモデルの部位とを対応させながら失語症を再現することや,脳の機能イメージング法などの神経科学における知見を再現するための基盤を提唱することに成功した.このことは,神経科学と計算論における知見を共通の土台で議論するための枠組みを提唱したということであり,今後,2つの領域をつなぐ領域横断的な研究の促進されることが期待される.とくに,今回のコンピューターモデルには組み込まれなかった脳部位を組み込んだり,新しい機能(たとえば,視覚言語処理)を学習させたりすることは自由であり,おのおのの神経学者が理論的に好む脳部位を導入しその機能的な必然性(必要性)を計算論的に検証するための基盤が提唱されている.

文 献



  1. Lichtheim, L.: On aphasia. Brain, 7, 433-485 (1885)

  2. Weiller, C., Bormann, T., Saur, D. et al.: How the ventral pathway got lost: and what its recovery might mean. Brain Lang., 118, 29-39 (2011)[PubMed]

  3. Binney, R. J., Embleton, K. V., Jefferies, E. et al.: The ventral and inferolateral aspects of the anterior temporal lobe are crucial in semantic memory: Evidence from a novel direct comparison of distortion-corrected fMRI, rTMS, and semantic dementia. Cerebral Cortex, 20, 2728-2738 (2010)[PubMed]

  4. Pobric, G., Jefferies, E. & Lambon Ralph, M. A.: Anterior temporal lobes mediate semantic representation: Mimicking semantic dementia by using rTMS in normal participants. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 104, 20137-20141 (2007)[PubMed]

  5. Patterson, K., Nestor, P. J. & Rogers, T. T.: Where do you know what you know? The representation of semantic knowledge in the human brain. Nat. Rev. Neurosci., 8, 976-987 (2007)[PubMed]

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  7. Rauschecker, J. P. & Scott, S. K.: Maps and streams in the auditory cortex: nonhuman primates illuminate human speech processing. Nat. Neurosci., 12, 718-724 (2009)[PubMed]

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著者プロフィール


上野 泰治(Taiji Ueno)
略歴:英国Manchester大学博士課程に在籍中.
研究テーマ:脳の解剖学的な制約を導入したコンピューターモデルを用いて,言語や認知機能の獲得,低下,回復を再現し,その基盤および機構を理解する.
抱負:英国で培った知識,技能,国際ネットワークを日本に還元すること,そして,将来,自分より若い研究者が同じ道を進みたいと志した際に支援してあげられるような立場でいられることを願っています.

Matthew A. Lambon Ralph
英国Manchester大学Professor.

© 2011 上野泰治・Matthew A. Lambon Ralph Licensed under CC 表示 2.1 日本